希望なき就職活動、僕のモラトリアムは終わった(青春発墓場行き 6)

希望なき就職活動、僕のモラトリアムは終わった(青春発墓場行き 6)
(イラスト・戸梶 文)

2003年の春、就職浪人を決めた僕の大学5回生がスタートした。下宿先を引き払い、実家暮らしを始めた。

卒業するために2単位しか残っていないので、半年間、大学を休学することにした。その間、バイトをして後期の授業料を払うつもりでいた。そしたら、休学するのにもお金がいることが判明し、理不尽だと思ったが、仕方なく十数万を払い、僕は、正真正銘、何もない人間になった。

寿司が宙を飛んでいたバイトの職場

コンビニのバイトに落ちた僕だったが、今度は学費を稼ぐためになんとしてもバイトを見つけなければならない。

僕は実家の近所にある宅配寿司屋の配達のバイトを受けた。そうしたら、運良く受かった。大学合格以来、僕の久しぶりの成功体験だった。しかし、そこは、昔テレビでやっていた、びっくり人間大集合のような場所だったのである。

まず、店長はフランチャイズで、雇われたおばさんだったのだが、この人のヒステリーが凄い。高校生やフリーターの女の子が、何人も一日で来なくなる。なぜなら、仕事が遅いとイライラして、寿司が飛ぶ。比喩ではない。本当にバッテラが舞うのだ。当たったら痛い。

そして、アルバイトの人間は、ヤンキーが多かった。バイクに乗れるバイトということで、バイク好きが多く、僕はバイト終わりに、バイクの改造につきあわされた。全然バイク興味ないのに……。さからったら殴られそうな勢いだったので、仕方なくつきあった。女のヤンキーもいたが、近くの「王将」というラブホテルの枕が餃子の形をしているというトリビアを聞いた記憶しか残っていない。

そんなことをしているうちに、僕はまたもや、就職活動の時期を漫然と過ごしてしまった。乗り遅れた。実際はわざとなのだが。

僕の大学生活はなんだったのだろう?

とうとう待ったなしの状況まで追い込まれた。そのとき、ある企業から電話がかかってきた。一度会わないかと言われた。これはたぶんリクルーターというやつである。その後、何度か会ううちに、トントン拍子でその会社から内定が出た。もう外は肌寒く、季節は秋を迎えていた。

もう親は養ってくれない年齢なのだから、就職するしかない。内定をもらったのは大手化学メーカー。全然興味のない業界だったが、僕は覚悟を決めた。そして、残りの2単位をとって、大学を無事卒業したのだった。

3月末、僕は、新大阪駅のプラットホームに立っていた。配属が東京に決まり、茨城の工場で研修作業があるため、上京することが決まっていた。

親が見送りに来ていた。新幹線がゆっくりとホームに入ってくる。僕は、ドアから中に入り、指定された席に座り、ゆっくりと窓を眺めた。手を振る両親。ゆっくりと出発する新幹線。

モラトリアムは終わった。

僕の大学生活はなんだったのだろう。振り返ってみると、何もモノに出来なかったという感想しかない。何かに打ち込むことも、大恋愛をすることも、世界一周をして見聞を広めることも、何もしなかった。いったい僕は何をしていたんだろう。

そして結果が、不本意な就職。人生、このままでいいだろうか。僕の目から自然と涙がこぼれてきた。僕は普段まったく泣かないので、自分でも驚いた。東京には何の憧れもなかった。行きたくなかった。これから苦難の道を歩むことになるだろう。もうひとりの僕が、そう、告げていた。

東京駅に着いたころには、涙も枯れていた。僕は、ひとりで立っていた。

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