3・11で芽生えた違和感、僕は大手企業を飛び出した NEWPEACE高木新平さん

(撮影・斎藤大輔)
(撮影・斎藤大輔)

新卒で入社した大手広告会社を1年で退職し、「トーキョーよるヒルズ」などシェアハウスの立ち上げなどを手がけた後、26歳で起業したNEWPEACE代表の高木新平さん。会社を辞めてから起業するまでについて聞きました。

――新卒で入社した会社を退職した経緯についてお聞かせください。

高木:大学に入学した2000年代後半にSNSが登場して、コミュニケーションが変わると思いました。学生の頃は、繊維研究会というサークルに所属して、トレンドを意識した洋服ではなく、市井の人の生活を観察して洋服を作っていました。

デザイナーが作るファッションではなく、普通の人たちが生活する中で生まれる洋服をブログで公表する、という、オープンなプロセスの中で洋服作りをしていたんです。

――面白い試みですね。

高木:生産者と消費者の関係が変わっていくという予感もありました。作って消費するだけではなく、もっと双方向になると。それが面白かったし、広告もメディアもその流れになると思ったんです。そしてたまたまSNS的な視点からキャンペーンをやっている人たちと出会って、広告会社を志望して入社しました。

ただ、入社して、インタラクティブプランナーという肩書きでSNSを使ったプロモーションに携わったのですが、旧来型の広告会社にとってSNSは、出稿費用のかからない、費用対効果のいいメディアという感覚でした。

その中で、電気関係の団体がクライアントになり、2011年4月に原発関連のSNSをリリースすることを目標に動いていたのですが、原発の安全性について議論するはずが、実際には安全面を強調する流れになっていることに少し違和感を覚えていました。そして、リリース直前の3月に東日本大震災と、福島第一原発事故が起きました。

(撮影・斎藤大輔)

――そうだったのですか。

高木:その時、原発に賛成、反対ということよりも、自分がピュアに人に勧められないものを広げるのはエネルギーの使い方として間違っているのではないかと思いました。これを一回OKにしてしまうと、自分の中に「Why」がないというか、ピュアなモチベーションがなくなってしまう気がして。

復興のために、被災者の方々の思い出の写真を掲載するWebサイトを個人で作ったのですが、会社の広報からリスクを指摘されたこともありました。その時、自分がやりたいことをできないのであれば会社は辞めた方がいいと思って、そのまま辞めました。

――思い切りましたね。

高木:仕事もなく、支え合える友達もなく、本当に勢いで辞めてしまったので、途端に家賃も払えなくなるし、社会の中で居場所がなくなる感じがしましたね。

その時に、やはり3.11をきっかけに会社を辞めた(現在NEWPEACE共同代表COOの)村上明和に会いました。村上も新卒で入社した外資系メーカーを辞めており、3.11をきっかけで何か変えたいという思いを持っていました。

――同じ気持ちを持つ仲間に出会ったのですね。

高木:そうです。そこで、ライフスタイルを変えたいという気持ちから、六本木でシェアハウス「トーキョーよるヒルズ」を始めました。夜中に会社以外の生産活動をしたい人が集まる場としてオープンしました。後に東京都知事選に立候補する起業家の家入一真さんもその一人でした。当時、家入さんの住んでいたマンションがシェアハウスの裏にあったんです。

家入さんとは「企業に属することなく、個人がスキルを売る時代が来るよね」と話していました。そこで、個人のスキルを活かした仕事の実現を目的とする「Liverty」プロジェクトが誕生し、そこから派生して、ECサイト開設サービスの「BASE」もできました。

やがて仲間たちがそれぞれの道を行くことになり、よるヒルズのシェアハウスは1年半で解散しました。その後、名前を変えて「リバ邸」となり、今は会社化して全国50カ所で展開しています。

――シェアハウスを出た後はどうしていたのでしょうか?

高木:インターネット選挙の解禁を目的とした「One voice Campaign」やアメリカ大使館×ニコニコ生放送での大統領選の番組づくりなど、SNS×パブリックイシューで企画ばかりしていました。

妻が妊娠中に起業

――その後2015年に起業されていますが、きっかけは何だったのでしょうか?

高木:フリーランスとして新しい生き方を提唱していましたが、正直、実体がないのも感じていましたし、自分自身を変えたいと思っていました。ところが、その頃はあまりに自由人で、全国各地や世界をフラつきながら最小限の日数で稼ぐようなライフスタイルをしていたこともあって、なかなか頭を切り替えることができずにいたんです。

2014年に家入さんが立候補した都知事選をプロデュースしたんですが、それで仕事も全部なくなり、燃え尽き、人生も考え直そうかと思っていた時に今の妻に出会いました。結婚して子どももできて、家庭を維持するための仕事もできたのかもしれませんが、子どもが生まれた後だと保守的になると思って、妻が妊娠中に起業しました。

――何もない状態からのスタートだったかと思いますが、最初はどのようにして事業展開をしていたのでしょうか。

高木:びっくりするくらい手がかりがなくて(笑)。 ただ、世の中の文脈をとらえて社会課題を言語化したり、企業や人の存在意義を定義するのが得意だったことに気がつきました。何もないところからジャンルを開拓して、ムーブメントをしかけるということをやってきたので、社会文脈を起点としたブランディングはできそうだと。

――なるほど。

高木:世の中がどんどん変わって、新しい流れができても乗れない人が多いですよね。価値観をアップデートして行こうぜ、と言っても自分一人では実践できない。そこで、そういう企業を応援することで輪を広げて、人の行動や世の中の流れを変えていければいいなと思って、最初は企業やサービスのブランディング、PRからスタートしました。

――自分の思いを事業で実現したかったということでしょうか?

高木:起業するのは事故に遭ったようなものです。「アクシデンタル・アントレプレナー」という言葉がありますが、家入さんも僕もそうでした。明確な目標や拠り所があったわけではなく、スタンダードからはみ出て追い込まれたから起業したという感じですね。でもそこにこそ、チャンスがある。

自分の思いと世の中の交差点

(撮影・斎藤大輔)

――ほとんどの仕事が未経験だったと思いますが、どのような姿勢で取り組んできたのでしょうか?

高木:自分の思いと世の中の交差点を意識しています。価値観が変わっていく、テクノロジーが変わっていく、新たな課題が生まれるといった社会の背景を、NEWPEACE社では「社会文脈」と読んでいますが、常に「こうしたい」という自分の思いと社会文脈との交差点を探して、企業やサービスのブランディング、PRを考えています。その交差点を探していけば、事業が自然と本質的なものになると思います。

それから、様々な経営者と話していて気づくのは、自分が本当に信じられることをやることの重要さです。ロジックだけで理解できることは、何とでも整合性がついてしまいますよね。でも、本当に信じられることをやっていないと熱狂は生まれず、社員やユーザーを巻き込みきれない。

――生理的に嫌なこと、腑に落ちないことはやらない、ということですね。

高木:会社を辞めた時も同じです。このまま自分に嘘をついていると、自分が殺されてしまうな、というのがありました。

「得意」に向き合って小さく試せるチャンス

――ご自分の考え方のルーツは何だと思いますか?

高木:やはり、繊維研究会というサークルに所属して洋服を作っていたことかもしれません。刺激的な先輩がたくさんいました。

自分が大学に入学した2006年のタイム誌の「Person of the year」の表紙は、YouTubeが登場したタイミングだったこともあり、PCの画に「YOU」でした。それを見て個人が主役になる時代が来る、パーソナルファブリケーションを意識した服作りをしようと言っていたのです。

広告会社も、結局は退社しましたが、民主的なものは権威の側ではなくインディペンデントなもの、業界の外から生まれるので、結果として僕は業界に入らなくてよかったと思います。

――自分の中に最初から答えがあったのですか?

高木: 最初から答えがあったというよりは、行動していく中でクリアになっていった、という感じです。まずは得意なことから始める。得意なことは「自分の労力の割にありがたがられること」だと思うんですよ。得意なことをすると周りにありがたがられるので、自然と好きになって、得意なことが自分のやりたいことになっていくんだと思います。

――確かにそうですね。

高木:ただオリジナルな「得意」を育てることは、会社ではプライオリティーを下げてしまうこともあります。会社のプロジェクトでは自分の役割やタスクを全うすることが求められるので。

そういう意味で副業は面白いと思います。安心の拠点がありながら、自分の得意を小さく試せる。副業は社会を変えるのではないかと考えていますね。

――今後、働き方はどうなっていくと思いますか?

高木:終身雇用が緩やかに崩壊しているので、正社員、フリーランス、経営者というきれいな分かれ方はなくなっていくと思います。全員ではないにしても、複数の仕事や所属を持つことが当たり前の時代になる。経営者をやりながらどこかに所属することもあるかもしれません。

会社も、スタートアップか大企業かというような二項対立はなくなって、全てがグラデーションになっていく。その流れは止められないと思います。でも、そうやって自分がマイクロ化していけばいくほど、軸がないと自分が摩耗してしまいますよね。

そうなると、DoよりもBeが大事になるかもしれません。作っている物やサービス、会社の権威や歴史ではなく、仲間がいい、居心地がいい、複業などオープンな働き方を許容する、そういう会社が人気になるかもしれません。シングルも増えて行って、プライベートなつながりが家族ではなくなっていくかもしれませんね。

【インタビュー後編】会員制カレー店で作る「誰もが挑戦できる居場所」 NEWPEACE高木新平さん

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