「キャリアを考えるようになった」 女性医師が学び直しをきっかけに起業した理由
ひとり時間をリカレント教育(学び直し)にあてて、キャリアチェンジを行った社会人にインタビューをするこの企画。今回紹介するのは産業医の資格を持ち、Plenty of Fruits株式会社の代表取締役として活動する佐々木ちひろさん(44歳)です。
もともとは腎臓内科医として病院に勤務していましたが、「学び直し」をきっかけに、産業医に転身。2018年には、睡眠の研修やコーチングなどを行い、働く人をサポートする事業の会社を設立しました。なぜ「学び直し」をしようと思ったのか、「学び直し」をしたことでどのような変化があったのか、佐々木さんに聞きました。
心理学から医学の道へ
ーー佐々木さんはもともと、医学部出身ではなかったとお聞きしています。
佐々木さん(以下佐々木):もともとは大学で心理学を学んでいました。在学中に医師になろうと思って、卒業後に医学部に入り直した感じですね。
ーーなかなか珍しい経歴と思うのですが、どのようなことが心理学から医学に移られる契機になったのでしょうか。
佐々木:心理学を専攻するきっかけとしては、「人間の在り方」に興味があったことが大きかったです。例えば同じ環境に育った兄弟でも全然違う性格になったり、恵まれた環境に育っても必ずしも満たされていなかったり、また、その逆もありますよね。
心理学を学ぶ過程で、心の問題から身体の不調になったり、身体の問題から心の不調になるようなケースを学んで、心と身体ってすごく密接だということを知り、身体のことをもっと知りたいと思いました。そうした思いが生まれたことから、医学部への進学を決めました。
ーー卒業後は腎臓内科に進まれました。その理由は何ですか。
佐々木:最初は心療内科に興味がありました。私自身、心理学を学んでいた時代から心療内科でずっとアルバイトをしていたんですね。ただ、そこで業務を行ううちに心の病そのものというよりは、いわゆる高血圧とか糖尿病みたいに、治らない病気の人のメンタルケアをしたいという思いが強くなって、慢性疾患を見る科に行きたいと思ったんです。
腎臓病もそのひとつです。腎臓そのものの病気だけでなく、高血圧や糖尿病から腎臓が悪くなる人がたくさんいて、一生付き合わなくてはなりません。病気を抱えながら生活をする患者さんたちのサポートがしたいと思い、腎臓内科に入りました。
学び直しがきっかけで「やりたいこと」に気づく
ーーその後クリニックを経営することになりますね。
佐々木:医師になって5年目くらいのタイミングで、仕事のあり方を変えざるを得なくなりました。当時、夫の実家が透析のクリニックをやっていて、親族が体調不良になりました。それで医局を辞めて、クリニックを継ぐことになったんです。
そこのスタッフがけっこう多かったんです。その当時、患者さんは100人ちょっとで、スタッフは40人くらいという状況でした。患者さんに対してはもちろん、スタッフの生活もちゃんとケアをしなくちゃと思ったんですけど、これまでマネジメントの勉強をしたことはないので、いきなり40人もの部下のケアをするのは怖いものがありました。そこで、マネジメントの勉強を本格的にしようと思ったんです。
ーーそこで学び直しを始めることになったのですね。
佐々木:マネジメントや経営の勉強ができるところがないかと探したんですけど、透析のクリニックって週6日、朝から夜までやっているので、なかなかまとまった時間がとれない。さてどうしようと思ってネットで検索をしたら、オンラインで学習ができるビジネス・ブレークスルー大学が出てきました。グッドタイミングだと思い、入学することを決めたんです。
ーー入学されて、いかがでしたか。
佐々木:入ったのは経営学部なので、イメージとしては簿記とかをやる感じだったんですけど、リーダーシップとかセルフマネジメントとか、自分の生き方を考えるような授業が多かったんです。そうした授業を受けたことが、自分にとって大きな分岐点となりました。
何がやりたいとか、何にわくわくするとか、自分がなりたい将来像を描くような機会がたびたびありましたので、既定路線でこういう風になったらいいなという像で終わらせず、だんだん自分のやりたいことがわかるようになりました。
ーーどんなことをやりたいと思うようになったのでしょうか。
佐々木:私はクリニックの運営をちゃんとするという目的で入学したんですけど、1年生の時に、女性や子どもの人生をサポートしたいという思いが出てきました。それを自分のキャリアにどうやって反映させようと考えたり、心理学を始めた時の気持ちの根本にあった、「人間ってどうしてこうなんだろう」という、人間に対する考えを深めたい気持ちが強くなったんです。
また、ほかの学生さんとの交流も大きかったですね。昔はほとんど医療関係者のみとの交流で、開業医になってからもあまり変わらなかったんですけど、さまざまな業界の方と触れ合うことで、社会人ってこんな感じなんだとか、医療の世界は特殊なんだとか改めて感じることもできました。同時に社会の広さを実感して、自分自身もより広い世界に触れたいと思うようになったんです。
ーー印象に残っている授業には、どのようなものがありますか。
佐々木:「プロフェッショナル・コネクター」として活動される勝屋久さんが担当された、「スタートアップ事例研究」(現在は「自己エネルギー創造講義」に科目名を変更)という授業は印象に残っています。自分のやりたいことをビジネスにした人、公務員だけど自分のやりたいことを仕事に反映している人のような事例を見て、自分が何をやりたいか、どういう人生を送りたいかを追求する授業でした。
マネタイズをどうするか、事業計画書はどう作成するか、といったスキル面ではなくて、本当にやりたいことを仕事にするという、根底の部分を突き詰めることに重点が置かれていて。ちょうど受講期は、プライベートであまり夫とうまくいってなくて、クリニックの仕事を続けるべきかを考えるきっかけになりました。
「キャリアをしっかりと考えるようになった」
ーーその後のキャリアチェンジについて教えてください。
佐々木:在学中に離婚することを決め、ヘルスケアのコンサルティング会社に転職しました。そこで知ったのが「産業保健」という分野です。産業保健では、病気を抱えながらいかに仕事を長く続けるか、あるいは長く働き続けるためにどのように健康を維持するかというアプローチをします。このアプローチはとても新鮮に感じ、かつ自分のやりたいこととも合致していると思いました。
その年に産業医の資格を取って、翌年からは複数の企業で産業医業務を行うようになりました。産業医業務では、医師としての知見以外のことも求められます。家庭と仕事の両立、睡眠の確保、キャリア面などの相談にも対応できるようになりたいと思い、睡眠やコーチングの勉強を始めました。そのうちに、睡眠の研修やコーチングの依頼が増えてきたこともあって、2018年に、企業や働く人のサポート事業を掲げた会社を起業しました。
ーーどのような仕事をしているのでしょうか?
佐々木:現在は、産業医として健康診断のチェックや面談業務のほか、病気の予防やセルマネジメントのための研修、人事やマネジメントをする方からの相談やコーチングなど、業務としてはより多彩になったと思います。経営者の視点と会社員の視点が合わさったことは、産業医としては非常に役に立ちました。例えば面談の際、会社員としての自分の経験なども交えて話すことで、相談者により心を開いてもらえたりすることがあります。私自身もまた、会社のサポートをするとともに、一緒に成長していくという側面もありますね。
ーーご自身がどう変わられたと思いますか。
佐々木:人生をしっかり考えるようにはなりましたね。それまでは大学の医局に入ってから開業医になって、クリニックを運営していくみたいな、自分で選ぶというよりは、既成のレール上でうまくやる感じでした。今は自分がどういうことを大事にしたいか、そこから何を選び取るかという風に変わったのが大きいですね。
――今後の目標を教えて下さい。
佐々木:私の理想は、誰もが自分のことを理解して、誰かにおもねらずに自分の人生を生きられるようになることです。産業医として相談者と面談する際に、「やりたいことがわからない」とか、「何がストレスで、何が楽しいかがわからない」と言われる機会は少なくはありません。
この背景には、ネガティブな感情はそもそも感じてはいけないという刷り込みがあるのではないかと思います。私達は不快な感情のその下にある自分の願いは無視して、それを回避したり克服したりする行動をしているのだと思います。
いわゆるネガティブな感情は、私たちが本当は大事にしたい願いが満たされなかったサインです。その感情を通じて、本当に大事にしたいことに気づいてほしいし、私もそのお手伝いができたらと思っています。