「他の人と同じようには弾けない」 ピアニスト岡城千歳がひとり多重録音に挑む理由
岡城千歳。1990年代、20代前半で米プロ・ピアノレーベル初の専属アーティストとして鮮烈なデビューを飾ったピアニストです。驚異的なテクニックと独特な解釈によるシューマンやドビュッシー、スクリャービンの個性的な演奏は、世界的に大きな話題となり数々のディスク賞を受賞しました。
その後、ワーグナーの管弦楽曲やマーラー、チャイコフスキーの交響曲のピアノ編曲版、ビートルズや坂本龍一作品などのCDでも注目されましたが、2000年代半ばに表舞台から姿を消します。それから15年あまり。新しい録音のリリースとともに演奏活動を再開すると知り、来日中にインタビューの機会を設けてもらいました。
プロフィール
岡城千歳(おかしろ・ちとせ):米ニューヨーク在住のピアニスト、編曲家、プロデューサー。大阪府出身。桐朋女子高等学校、桐朋学園を経て米ジュリアード音楽院修士号を取得。マンハッタン音楽院プロフェッショナルスタディズプログラムでカール・ウルリッヒ・シュナーベルに師事。カーネギーホール小ホールでデビュー。プロ・ピアノレーベルなどから10枚以上のCDをリリース。2004年に活動休止。2020年に活動再開し新録音のリリースを予定している。
ベートーヴェンは「解決するから苦手」
ーーピアニストとして生きていこうと思ったのはいつですか。
岡城:大学1年のときですかね。フルトヴェングラーが指揮するワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」のレコードにはまってしまって。学校から帰ると一番に聴いては、毎日ひとりでずっと泣いていました。
ーー毎日ひとりで、ですか。
岡城:ええ、ひとりで(笑)。いま聴くとだいぶ印象は変わってるんですけど、あのころはあれが究極のワーグナーだと思ってましたね。ああいう世界ができるんだったら、音楽にまさる芸術はないなと思いました。そこまで人の心を動かせるってすごいなと。
小さいころからピアノを弾いてはいたけど、ああいう力が音楽にあると思ってなかった。肩をつかんで揺さぶられる感じ。解決しない和音が延々と続いて、地べたを引きずり回されるような。「こんなことができるのなら、私はこの世界を本気で追求したい」と思ったんです。
ーークラシック音楽といえば、日本ではベートーヴェンが圧倒的人気ですが、解決しない和声が好きということは……。
岡城:苦手ですね、ベートーヴェン。ジャン! バンバン! だから何? って(笑) 名曲だとは思うけど、なんか入っていけない。(親しいピアニストの)ディックラン・アタミアンさんにも、なんで弾かないのって言われるけど「だって、ジャンジャンで解決するの嫌いだもん」って。やっぱり漂ってるのがいい。
ーー漂い系の作曲家は、ほかには。
岡城:ドビュッシーですね。でもドビュッシーは、みんな弱音でしか弾かないでしょう? バアンとか弾くと、何でそんな大きい音で弾くんだとか言われちゃうんだけど。「スタイルが違うだろう」って。スタイルって何? スタイルを守るって何? コピーするってことですよね。「印象派」って呼び名もよくないと思うんだけど。
ーー先生の顔色をうかがっているような演奏は多いですからね。でま岡城さんは若いころから堂々としていました。
岡城:ドビュッシーって本当に和声が微妙で。右手をモヤモヤ弾いてて、左手もモヤモヤだったら全体がモヤモヤで和声が見えない。「ここのモヤモヤを出すためにここをはっきり書いた」と思ったら、やっぱりはっきり弾きたい。
それに、ゆっくりした曲でも必ず高揚点ってのがあって。最初は微妙な色合いで始まるけど、それが向かう点が必ずあるわけですよ。で、その到達した和声をバアンと出したいなって。全部モヤモヤ弾いちゃったら、色がなんにもなくなっちゃうじゃんと思う。
例えば「前奏曲集」だってものすごい不協和音のところとかもあるわけで。そこを弾くんだったら、やっぱり音のぶつかりを出したいなと思うとバアンっと出したい。でも、そうすると「この人、何か変」「音、間違えてる」とか言われてしまう(笑)。
他人と一緒では「私のやりたいことができない」
ーーなぜ突然音楽活動をやめたのですか。
岡城:当時、音楽ビジネスに疑問を感じることが多くて。そのうち、あれだけ没頭していたクラシック音楽にも拒絶反応が出るようになってしまった。音楽の存在意義にも疑問を持つようになって「音楽は何も救えない、自分さえも救えないのだから」って。
それで演奏も録音もやめて、ブージー&ホークス(米大手音楽出版社)の依頼でジョン・アダムズ(米作曲家)などのオーケストラ作品をピアノ用に編曲する仕事をしていました。坂本龍一さんの息子さんにピアノを教えていたこともあります。
ーー2018年に「坂本龍一ピアノワークス3」がリリースされましたが、2004年のライブ録音が中心で本格的な活動再開ではありませんでした。
岡城:実はいま、スクリャービンの「プロメテウス」の録音をリリースする準備をしているのですけど、本当はそちらを先に出したかったんです。でも諸々の事情で「坂本3」が先になって。今年5月には篠崎“まろ”史紀さんと共演した「坂本4」が、9月には「プロメテウス」がリリース予定です。
ーー「プロメテウス~火の詩」とはスクリャービンの交響曲第5番の副題ですが、実質的にはピアノ協奏曲の形をとっています。巨大オーケストラと混声合唱の部分はどうするんですか。
岡城:全部ピアノです。自分で編曲して、ひとりで7人分弾いて多重録音します。1回でマイク10本使うので、最大で70段の音をミックスします。構想は長いですよ。編曲自体も10年以上かかっていますから。最初はむやみに音を重ねてたんです。でも悩みに悩んで、音を削る路線にしました。ジョン・アダムズなどの編曲の経験も活きたでしょうね。あれをやってなかったら、できてなかったと思います。
ーー原曲通りのオーケストラではなく、ピアノの多重録音を選んだ理由は何ですか。
岡城:オケと一緒にやったら絶対私のやりたいことなんてできないもん。無理ですもん。
ーーどんな指揮者でも無理ですか。
岡城:ダメ、無理(笑)。この曲はオケだけのところもかなり凝っているんですが、彼(スクリャービン)のオーケストレーションは100%いいとは言い切れないんですよ。彼はやっぱりピアノの人だったから。
ーー確かに管弦楽曲は「プロメテウス」が最後で、その後は後期のピアノソナタに戻ります。
岡城:彼がオケでは言いたいことを言えてないということを全て理解したうえで「でもオケではどうやってやるか」って考えてくれるならいいけど、指揮者ってピアニストじゃないから。だから、(既存の演奏は)やたらテンポが早かったりする。
そもそも、あの曲をオケでやるってこと自体が無理かもしれない。でも、保守的な人がほとんどだから「スクリャービンがそこまでオーケストレーションを素晴らしく完成させたのに何でそれを崩すようなことをやるのか」って言われるんですよ。作曲家は神様であるわけではないのに。
なぜ自分であの曲をやりたいかというと、(プロメテウスが)最後に決起するでしょ? (ゼウスに)反抗して。そこの心理を描いた演奏を聴いたことがないので。
スクリャービンがあれを書くためにどれだけ苦しい思いをしたのかは、全部音に現れているんですよ。でも色光ピアノ(スクリャービンが開発した鍵盤と色の照明を連動させた楽器)や神秘和音(スクリャービンが使用した独特の和音)に焦点がいってしまって、「なんだか奇妙な人だね」で終わってるのが違うと思うんですよね。だから自分の理想を形にしてみたかった。
ーープロメテウスや作曲家の苦悩に、ご自身の苦悩と立ち上がりをなぞらえている部分もあったんでしょうか。
岡城:あるかもしれないですね、あったから支えられたんですね。
自分は他人と違った弾き方しかできない
ーーひとりでやるのは楽ですか。
岡城:ひとりの方が全然楽。全てコントロールしたい。レコーディングも結局全部コントロールできちゃうから。ライブはそうはいかない部分があるじゃないですか。
レコーディングでも、ホールに調律師の方が居残って聴いてくれようとするんですけど、「コントロールルームに行ってヘッドホンで聴いてくれる?」って言って(笑) 何かひとりじゃないと嫌だから。レコーディングのときは完全にひとり。
ーー音大時代も他人のスタイルを押し付けられるのが嫌だったとうかがいましたが。
岡城:その中でも自由にやらせてもらったと思います。自分のパッションが過剰になって行き場がなかったというのは、高校のときからずっと悩んでいたので。みんな器用に他人のスタイルをコピーしていくから、「ああなれたら楽なんだろうな」とは思ってたんですけどね。
コピーするのは嫌だったし、できないし、意味がわからないし。意味がわかれば努力してやったんだろうけど。だってコピー演奏が増えても「何で今さら」って。でも世の中ってそうですよね、音楽に限らず。
ーーそれでも孤独の道を選ぶということですよね。
岡城:うん。それはアタミアンさんも言ってました。「自分は周りの人とは違った弾き方をするから、ずいぶんそういう孤独は感じてきたけど、でもこれでいいんだと思う」って。だってそれしかできないし。それ以外のことができる人がうらやましいです。できないわけですから。
できないし、やりたくないし。やろうと思えば……できないですね。やろうと思っても、できないと思う。