観光客のいない京都「円町」の寺にひとりたたずむ(地味町ひとり散歩 5)

僕が昔やっていたバンド「たま」は2003年に解散しました。

「いつまでも坊主頭でランニングシャツ着て、桶や鍋を叩いてるんじゃねーよ」

「なにおーん、そっちだってキノコみたいな髪型してたけど、今じゃ帽子で隠してるじゃないか。その帽子、剥ぎ取ってやろうか!」

と、つかみあいの喧嘩の末の解散……

というわけではなく、メンバーそれぞれが並行してやっていたソロや別バンドでの活動が忙しくなってきたのが一番の原因でした。

実際、解散ライブを行いファンが悲しみに暮れてる数日後、僕とギターの知久君が参加している「パスカルズ」というバンドは、ヨーロッパツアーのために日本を飛び立っています。

そんな感じなので、バンドとしての活動は停止したものの、1、2年に一度くらいのペースでこそこそ「セッション」という名前で集まって、実質的に「たま」をその日だけ再結成したりしているのです。

京都だけど、有名な寺社仏閣がない地味な町

今年は京都で春に行う予定だったのですが、新型コロナの影響で延期になりました。ようやく11月に小さな古いホールで開催されることになり、その流れでせっかく京都に行くのだからと、ひとり散歩をすることにしました。

選んだ町は、京都市内の「円町(えんまち)」。京都には何十回も来ていますが、聞いたことのない地名です。京都駅からJR嵯峨野線で4つ目。二条駅の隣の各駅停車の駅です。

実は、その前の週の土日も大阪と神戸でライブがあったのですが、この京都の円町にとてもコストパフォーマンスのよいホテルがありました。

そもそも安い上に折からのGoToキャンペーンで、新幹線で自宅と京都を往復するよりもそのホテルにずっと泊まっていた方が安く、半額くらいで済む計算なのです。なので、そこに1週間滞在することになり、この地味町を歩くことにしました。

円町の駅前はコンビニやファストフードのお店がありますが、商店街などはありませんでした。まぁ一般的な京都の住宅地という感じでしょうか。グーグルマップで調べたところ、駅の近くには観光客がわざわざ訪れるような有名な寺や神社などはないようです。

町に出てまず僕がキョロキョロするのは、もちろん缶ドリンクの自動販売機です。

関西は割とよく来ているので、残念ながら新しい缶は見つかりませんでしたが、とにかく値段の安さには驚かされます。東京近辺だとほとんどが定価販売で時々「100円ジュース販売中!」などという自販機を見かける程度ですが、関西では定価販売の方が少ないくらいで、100円はデフォルト。

中にはこの写真のように、60円からというのもありました。ペットボトルですら90円です。これは本当に関西のうらやましいところですね。

お腹がすいてきたところで、現れたのは「千成餅食堂」。元々はお餅がメインだったのでしょうか。京都らしい風情を感じます。

さて、メニューを見ると、関東では見たことのない「衣笠丼」というのが目につきました。まったく内容が想像できません。衣笠と言えば、元広島カープで連続試合出場日本記録を持つ衣笠祥雄さんしか思い浮かびません。

「鉄人」の異名をもつ衣笠選手から取った丼だとしたら、なにかしらかの鉄分が入っているのか。それともスタミナのためのニンニクかなにかがたっぷり載った丼なのか。とにかく頼んでみました。

出てきたのは、油揚げと青ねぎを甘辛く炊いて、卵でとじた丼でした。要するに玉子丼に油揚げの切ったのが混ざっている感じで、衣笠選手とはどうやら何の関係もない丼でした。

でも、丼にしてはさっぱりしていて、揚げ物がだんだんきつくなってきているお年頃の僕には、とてもおいしくいただけた一品でした。

さて、そろそろ出かけます。すると「空気無料」という店が。良かったです。

他の店に知らないまま冷やかしで入って呼吸したら、「うちは空気、有料でおます。消費税込みで550円いただいときまひょか」と言われたらどうしましょう。京都は独特の文化があるので、そういうこともあるのでしょうか。

散歩は、できるだけ大きな道を避け、小道へ小道へと入って行くのが面白いです。ただあまりに小道すぎると、いつのまにか「よそ者は立ち入り禁止」のようなところに入り込んでしまい、ジロッと見られることもあるのですが。

「達磨寺」で思い出した高校の文化祭のエピソード

と、懐かしい声が聞こえてきました。

「古新聞、古雑誌、段ボールなどありましたら、お引き取りしておりま~す」

これはチリ紙交換! 

昭和の時代には毎日のように聞いていましたが、気がついたら聞くことがなくなっていたチリ紙交換屋さん。京都ではまだ現役で、なんだかタイムスリップしたような気分になりました。もっとも、立ち止まってジロジロ見る勇気はなかったので、実際にチリ紙と交換してるかは分かりませんでした。

というか、今では「チリ紙」というものが若い人には分からないかもしれませんね。トイレの拭き紙ですが、トイレットペーパーではなく、厚いティッシュペーパーが1枚ずつ束になったようなものです。

今は11月下旬。公園に立ち寄るとちょうど紅葉していて、いい感じでした。

ベンチに座って休もうとしたら、謎のオブジェに占拠されていて座れませんでした。もしかしたらバンクシーの立体作品なのかもしれませんね。

また時節柄、町にはマスクの落し物が多かったです。毎年寒くなってくると手袋の落し物が多い気がするのですが、これが2020年という年を象徴しているのかもしれませんね。

と、突然こんなお寺がありました。京都ですから、お寺はたくさんあります。でも、グーグルマップを見ても、この場所にお寺のマークがあるものの特に名前などの記載もないので、有名なお寺ではないようでした。

実際、観光客は誰もおらず、境内には僕ひとりでした。

達磨寺(だるまでら)と名乗っているだけあって、たくさんの達磨がありました。

ここで思い出したのが、僕の高校時代の文化祭です。校庭で仮装行列の行進があったのですが、僕はクラスのみんなを扇動して「米押し達磨」というのを作って出しました。僕が神主の格好で先導し、その後を米俵を押す大きなハリボテの達磨が行進していくのです。

僕の高校は群馬県の高崎というところにあり、高崎は少林寺というお寺が「達磨寺」として有名でした。なので、閉会式のスピーチで校長先生から「今回は高崎名物の達磨なども出て、華を添えました」などとお褒めの言葉もいただきました。

しかし、僕がそんな郷土を讃えるような殊勝なことをする人間でしょうか。答えはノーです。

それから数日後くらいでしょうか。担任の先生から呼び出しを喰らいました。

「石川、やってくれたな」

僕はニヤリと笑いました。

「米押し達磨」=コメオシダルマ。

決して逆さまからは読まないでください。

そんなことを思い出しながらメインの達磨を見ていると、お腹に何か書いてあります。「おさ…長か?」

なんだろうと思いながら横にまわってみると、

おさいせんをねだっている達磨でした。

まあ、たとえそれが神職であっても、お金は必要ということですね。こんな感じで、知られざる京都の秋の一日をひゅるりと満喫してきました。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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