西日に向かって歩く午後

いま、僕はスマホに向かってこのエッセイのアイデアを吹き込んでいる。白い日傘をさして、川沿いの道を西日に向かって歩きながら。
家から仕事場へ向かう途中で、特別な散歩というわけでもない。ただの移動。でも、心はどこか軽やかだ。
傾きかけた太陽の光が、いつもの道を少しだけ違った顔に見せてくれる。
何度も通っているこの道に、こんな看板があっただろうか。マンションの一階に、小さな調剤薬局。今まで気づかなかったものにふと目がとまる。その一瞬の“発見”が、なんとも言えずうれしい。
すれ違う人も、歩く風の中の景色の一部になる。
息を弾ませながら横を走り去っていく男性、イヤホンで音楽(?)を聴きながら橋を渡る若者、楽しそうに会話しながらこちらに向かってくる東南アジア系の女性の二人組。
名前も知らない彼ら、彼女たちの存在が、今日という風景にほんの少しの奥行きを与えてくれる。
僕は街歩きが好きで、地方や海外に行くとよく歩く。知らない街を自分の足でめぐるのは、それだけで楽しい。
でも実は、地元の住宅街をひとりで歩く時間にも、似たような感覚があると気づいた。旅のように見るもの全てに心を奪われるわけではないが、心が風景のなかの「何か」を見つけ出すのだ。
どちらも、世界と自分の境界線を目と耳と肌で確かめる時間だ。
歩いているうちに、頭のなかに溜まっていたモヤモヤがふわっと解き放たれるような感覚もある。ひとりで歩くという行為が、自分を少しずつ整えてくれる。
誰とも話さず、音楽も聴かず、ただ世界と自分のあいだにある空気を感じる。ふだんインターネットにどっぷり浸かっている僕にとって、それはとても貴重な時間だ。
目や耳や鼻から入ってくる穏やかな刺激を受けながら、ときどき新しい何かに遭遇する楽しみ。それが、ひとりで歩くことの何よりの魅力だと思う。
TBSの論評番組が、本を読むことの大切さを説いていた。ネットでは得られない偶然の出会いがあるからだという。たしかに本を通じて、未知の世界に触れることもある。
だが、寺山修司は言っていた。「書を捨てよ、町へ出よう」。本では出会えないリアルな景色が、歩く先には広がっている。
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