福島の「原子力災害伝承館」その周りには「なんでもない土地」が広がっていた

福島県双葉町の「東日本大震災・原子力災害伝承館」と周辺の「なんでもない土地」

福島県双葉町にある「東日本大震災・原子力災害伝承館」。その名の通り、2011年3月の震災とその後の原発事故の教訓を「後世に継承・発信」することを目的とした施設で、廃炉作業が続く福島第一原発から約5kmの場所にあります。

筆者は2021年1月末、この「伝承館」をひとりで訪れました。

前回このあたりを訪れたのは2019年3月。伝承館最寄りのJR双葉駅は当時、まだ再開していませんでした。東京方面に向かう乗客は、双葉駅の一つ手前の浪江駅で電車からバスに乗り替え、双葉、大野、夜ノ森の各駅を通過して、その先の富岡駅で再び電車に乗って、南へ向かっていました。

東日本大震災の後、4、5回はこのあたりをひとり旅している筆者も、双葉駅で降りたのは今回が初めてでした。

「なんでもない土地」が原発事故の被害を物語っている

駅と伝承館を往復する無料バスが、1時間に1〜2本出ています。

双葉町の大部分は放射線量が高いため、立ち入りが制限される「帰還困難区域」とされてきました。そのうち、双葉駅周辺と伝承館がある北東の一部地域は昨年の春、例外的に避難指示が解除されました。

双葉駅近くの薬局

伝承館までは車で10分ほど。バスの窓に遮光フィルムのようなものが貼られており、外の景色を見られないのが残念でした。伝承館に到着したのは朝8時30分。開館は9時なので、しばし周りを歩いてみました。

伝承館の周囲を見回してみましたが、隣接する双葉町産業交流センターのほか、建物らしい建物はありませんでした。しかし建設中の建物があったり、近くで堤防を作ったりしていて、大型のダンプが行き交っていました。

そこには「なんでもない土地」がありました。

放射線量が高い表面の土を削り取っただけの土地。田んぼでも畑でも、家を建てるために整地した土地でもない、のっぺらぼうみたいな土地があるのです。

田畑が広がる田舎で少年時代を過ごした筆者にとっては、この「なんでもない土地」こそが、原発事故の被害を如実に物語っているように感じられました。

伝承館近くの風景。あぜ道の表土が削られ、轍(わだち)がない

9時ちょうどになるのとほぼ同時に、入館しました。この日、入場者第1号がおそらく私でした。

入場料は600円(税込)。残念ながら、館内ではスマホなどでの撮影ができません。

(編集部注:来館者の要望を受け、3月20日から一部をのぞいて館内の撮影ができるようになったとのことです)

実は、この伝承館は2020年9月にオープンしたのですが、「何を伝えたいのかよくわからない」という批判があります。筆者も訪問の数日前に、福島県で暮らす人が伝承館について「失敗の教訓を生かさなければ意味がない」と口にするのを耳にしました。

毎日新聞によると、そのような批判を受けて、開館から半年で展示内容の変更が行われたそうです。

筆者が訪れたのは変更前ですが、記憶とメモを頼りに、館内の様子を書いていきます。

まず大きなスクリーンのある部屋で、東日本大震災と福島第一原発の事故についての5分ほどの映像を観ます。見学者は筆者を含め3人でした。映像のナレーションは、福島県出身の俳優・西田敏行さん。原発の廃炉作業について「(自分が)生きているうちに見届けられるか」という言葉が印象的でした。

その後は展示スペースに移動。地震発生時の混乱、津波、原発事故、その後の除染、そして復興とテーマごとに分かれたパネルや映像、展示物を観ました。

「語り部」の話も聞きました。平日の朝1回目の講話だったせいか、聞き手は筆者のみ。震災当時、浪江町で暮らしていた男性(現在68歳)の話を1対1で聞きました。震災直後は情報が得られず、男性が福島第一原発の事故について初めて知ったのは事故の翌日である13日、避難先に届いた新聞を読んだときだったそうです。

小学校に残されたなんでもない手紙に胸をうたれた

館内には、被災者の肉声を伝えるインタビュー映像や、津波で根こそぎ引っこ抜これたポストなど、震災の恐ろしさを示すものが多数ありました。しかし筆者の心を傷めたのは、小学生や中学生が震災発生の「前」に書いた作文や手紙でした。

たとえば、「原子力を考える日」がテーマの小学6年生の作文には「原子力発電のおかげで生活がゆたかになった」と書かれていました。この生徒は、いまどんな思いでいるのでしょうか。

かつて原子力を推進する標語「原子力 明るい未来の エネルギー」のゲートがあった場所

また、原発事故の影響で閉鎖された双葉町の小学校から見つかったという手紙は、バレンタインデーのために書かれたものなのでしょう。「『友チョコ』だからムリして食べなくていいよ」と、つたない字が並んでいました。

この手紙は、渡したかった相手にちゃんと届いたのだろうか。それとも、渡せないまま持っていたのだろうかと考えると、胸が苦しくなりました。

こうした展示を見ると、写真を撮影してSNSでシェアできたらなあと思います。ネットのクチコミにも「伝承が目的なのに『館内撮影禁止』はどうなのか」という厳しいコメントがありました。

この施設の目的は、入場料で建設費を回収することではなく、「伝承」にあるのだから、より広く知ってもらったほうがよさそうです。

もうひとつ気になったのは、津波の映像が少なかったことです。「東日本大震災」とうたっている以上、岩手県や宮城県の津波被害の映像をとりまとめ、残すべきなのではないでしょうか。

そうした映像を見たくない、トラウマになっているという人もいるでしょうから、たとえば区画を分けて展示するなどといった方法もありそうです。

福島在住者が言っていた「原発事故の『失敗』に関する情報が少ない」というのも、なるほどなと思いました。

津波によって原発の電源が喪失した結果、水素爆発が起きたという流れはちゃんと語られるのですが、なぜその場所に電源があったのか、同じ失敗をしないようにするにはどうしたらいいのか、そこがよくわからなかったのです。

もしかしたらこのあたりは、3月の展示内容の変更で改善されているのかもしれませんが。

伝承館がある一画だけが周りの景色から浮いているように見えた

1時間ほど伝承館の展示を観て周ったあと、隣の産業交流センターで、隣町・浪江町の名物「なみえ焼そば」を食べ、腹ごなしに駅まで徒歩で帰ることにしました。

駅まで約30分。すれ違うのは工事や建設の関係者ばかりで、寂しかったのですが、途中、真新しいアスファルトに動物の足跡を見つけました。

ネコなのか、イタチなのか、タヌキなのか。とりあえず彼らが生きていける場所ではあるのだなと、少しほっとしました。

(編集部注:一部の記述について不正確との指摘がありましたので、修正しました。また、伝承館の周辺の状況について「双葉町内では生コン工場が稼働しており、産業交流センターに隣接してホテルも建設中です。さらに20社以上の進出に向けた産業団地の工事も始まっています」という指摘がありました)

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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