「ゆるくて不完全な感じがすごくいい」拾ったダンボールで財布を作るアーティスト
街角に捨てられていたダンボールで、財布を作る。「ダンボールピッカー」を自称するアーティストの島津冬樹さん(31)は、3年前に大手広告代理店を退社。さまざまな国のダンボールを拾い集めて、財布やカード入れを作りながら、各地でワークショップを開いています。その活動を追ったドキュメンタリー映画『旅するダンボール』が12月上旬に劇場公開されることになりました。
島津さんの活動はいま、リサイクルという概念の先にある「アップサイクル」の観点からも注目されています。古くなった物を再び使うだけではなく、より高い次元の価値を付与して利用しようという考え方です。
島津さんは10月下旬、東京・原宿のギャラリーで、ダンボールアートのワークショップを開きました。会場では、30〜40代の男性数人と両親に連れられてやってきた小学1年生の女の子が、自分で選んだダンボールを使って、島津さん指導のものと、カード入れ作りに挑戦しました。
約1時間後、作品を完成させた参加者たちは、「名刺入れとして仕事で使いたい」「家でも作ってみたい」などと、満足げに自分だけのダンボール製カード入れを眺めていました。
こうしてダンボールの面白さを伝えていく島津さんに、ダンボールの魅力やダンボール財布を作ることになった経緯について話を聞きました。
仕事を「辞められない恐怖」が大きくなってダンボールの道へ
ーーなぜ「ダンボール」で、なぜに「財布」なのでしょうか?
島津:この活動は、多摩美術大学の2年生のときに始めたんですけども、家にたまたま「レッドウッド クリーク」っていうお酒のダンボールがあって、それがすごくおしゃれだったんです。何かに使えないかなと思ってそれをとってあったのと、自分の財布がけっこうボロボロだったんです。買い換えるお金もなかったので、ダンボールで作っちゃおうっていうのがきっかけですね。
ーーそのダンボール財布を、お店や人前で出すことに抵抗はなかったのですか?
島津:ありました(笑)。特にそのとき初めて作ったダンボール財布は、ダンボールにガプテープを貼って作ったものだったので。友だちにも「何それ?」って言われることが多かったですし、結構恥ずかしかったです。
ーーそれがどのように現在の活動につながっていったのでしょうか。
島津:ダンボール財布でもちゃんと使えることがわかったからです。多摩美では11月に「芸術祭」っていうのをやっていて、自分で作ったものを販売できるんです。そこで、500円でダンボール財布を販売したら、すごく評判がよくて。大学の先生も「おもしろい活動だから続けなさい」って感じでだったので、いろんなフリーマーケットに行ってみようと。活動というか、少し深く突き詰めてみようかなと思ったのが、大学2年生の冬でした。
ーーしかし、大学卒業後は、就職したんですよね。
島津:もともとアートディレクターになりたいっていう夢があったんですけど、ダンボールと出会ってからはアーティストとしてやっていきたいなっていう思いもあって、先生に相談したんです。「就職しないで、アーティストみたいなことをしたい」って。そしたら「お前はちょっと社会を経験したほうがいい」って言われて。社会経験を積むんだったら大きい会社のほうがいいということで、広告代理店を勧められました。それで、受けてみようかなと。
ーーそれで電通に就職したわけですね。でも3年半で退職した。
島津:実は、入る時から辞めようっていう考えはあったんです。僕としては広告がずっとやりたい仕事だったかっていうと、ちょっと違った。だから「辞める」っていう話は1年目から周囲に話していて。「辞める」って言っていて辞めないのが、一番恥ずかしいじゃないですか。だから自分を追い込むためにも、「辞める、辞める」ってずっと言い続けていたんです。でも、そのあいだに給料も上がっていっちゃって、少しずつ辞めづらくなっていった。だから、思い切って辞めました。
ーー大きな会社を辞めることに不安はなかったのですか?
島津:「辞められない恐怖」のほうが大きかったですね。やりたいことをやらずに死にたくないと思って。ただ、そのときは地に足がまったくついてなくて。ダンボールの財布がそんなに売れてるわけでもなかったし、ワークショップも頻繁にやっていなかったんで。まずは続けていくために、デザインの仕事とかを請け負いながらじゃないとダメだなというのがありました。
ーーご家族の反応はどうでしたか。
島津:いまは結婚していますが、その年のお正月に、当時まだ彼女だった今の妻のご両親に挨拶に行きまして。「会社を辞めます」という話と「結婚します」っていう話を同時にして。ちょっと緊張しましたね(笑)
デザインが「ゆるい」ところさえ「あたたかい」
ーーそこまで島津さんを惹きつけたダンボールの魅力とは、なんでしょう。
島津:ダンボールの「暖かさ」が好きで。その暖かさってどこからくるのかっていうと、ひとつは、ゆるいデザインが多いことです。農家のおじさんがデザインしたものとか、明らかにデザイナーじゃない人がデザインしている。そこにすごく人間味を感じるんですよ。ダンボールって「身体にかけるだけで暖かい」という物理的な暖かさもありますが、そういう暖かさもあるんです。
あとはダンボールっていうのは、やっぱり「旅」をしてくる。いろんな人の気持ちが、箱に書いたサインだったり、シールやラベルに込められているし、「旅をしてきたダンボール」にはロマンがあるというか。すごく遠い国から運ばれてきて、日本にやってきたっていう。ダンボールを見ているだけで物語が見えてくるっていうのが、楽しいんです。
ーークオリティの低さすらも「暖かい」と。
島津:やっぱりダンボールって、末端のものというか、そこに入る中身のほうが大切じゃないですか。だからそんなにこだわって作られていないところもあるんですけど、逆にそこが愛らしいというか。不完全な感じっていうのがすごくいいんですよね。会社でアートディレクターをやっていたときは、キチッとしているのがすべてで、レギュレーション通りに作るっていうのが決まっていた。だから僕らにない感性で作られているダンボールっていうのは、非常に面白いですよね。
ーー島津さんは世界各国を旅して、そこでダンボールを拾うということもされていますね。島津さんの好きなダンボールは、どういったものですか?
島津:日本のものでは、みかんのダンボールを中心に好きなんですけど、海外のものはやっぱり色が違いますよね。まず地の色がすごく渋くて、深みがあるんですよ。だから日本のダンボールより海外のほうがベースの色がいい。あと、海外の人って、色を使うのがうまいんですよ。鮮やか。アメリカとかアフリカとかオーストラリアとか、農業大国のダンボールのデザインがすごく好きですね。
オーストラリアのオレンジの箱なんて、「オレンジ」ってどこにも書いてなくて、ひたすらカンガルーの写真。オーストラリア産ってことしか伝わってこない(笑)。それくらいの潔さってなかなかないですよね。
ーー島津さんのダンボール財布づくりを追ったドキュメンタリー映画では、「アップサイクル」という言葉が出てきますが、お話をうかがっていると、当初はそこまで意識したものではなかったんですね。
島津:おっしゃる通りです。僕は地球のために何かをするとか、まったく意識せずにやっていました。ただ、今回のドキュメンタリー映画の撮影を通じて、自分の考えがどんどん整理されていったように思います。もともと「不要なものから大切なものへ」っていうのが、僕が掲げていたテーマなんですけど、それが「アップサイクル」という言葉にあてはまるんだっていう気づきがありました。
僕の場合は対象がダンボールだったんですけど、今日みたいなワークショップや展示を通じて、物を捨てる前に次の使い道を考えるきっかけになればいいと思っています。いろんな物があるなかで、リサイクルとかにも限界があるし、捨てるんじゃなくて、こうやって使ってみようかなっていうアイデアを生むみたいな。そういうことが、この先は重要になる気がしています。