「男はお金としてしか見ていない」デートクラブ女性の告白(沖縄・東京二拠点日記 8)

約10年前から続けている沖縄と東京の二拠点生活。沖縄にも住居を構え、そこで暮らしながら、取材してきた。その成果の一部をまとめたのが、9月に出版された『沖縄アンダーグラウンド』(講談社)だ。今回もその取材の過程で聞いた話を紹介したい。「男に興味はなく、お金としてしか見ていない」と豪語する女性の壮絶な体験談である。

バブル期に知り合った元夫は月に300万を散財

当時、沖縄の二大売春街と呼ばれた真栄原新町(宜野湾市)や吉原(沖縄市)が厳しい摘発によって姿を消していったのに合わせるように、売春の世界から「引退」しようとしている女性に会った。

那覇市の辻地区のデートクラブで働いていた。名前はミツコさんとしよう。年齢は40歳手前。深夜のファミレスで話を聞いた。彼女は会うなり、堰を切ったように自らの身の上を話し始めた。

20歳のとき、40歳の男性と「できちゃった結婚」をした。当時は那覇最大の繁華街・松山のクラブに勤めていて、相手はその店の客だった。バブル景気のころで、数軒の飲食店を経営していた彼は、月に300万円を散財してしまうこともあるほど、儲かっていた。

その男性との間には2人の子どもができた。息子と娘が一人ずつで、どちらも成人した。だが、結婚生活はうまく行かなかった。

「結婚して8年目に離婚しました。バブルがはじけて仕事を失い、夫が働かなくなったのです。私はアパートを借りて、夫に出ていってくれと言いました。3カ月は私がめんどうを見るが、3カ月後に仕事が見つからなければ勝手に死んでくれと条件をつけましたよ。私が一緒にいたから夫をダメにしてしまったんだと思ったんです」

那覇市内の辻地区。ビルが密集している

離婚後、ミツコさんは再婚していない。元夫は7年前に病気で亡くなったという。

「私はもう、男にこりごりなんです。彼氏すらつくったこともありません。私は"母親"だけでいたいんです。彼氏ができて"女"の顔になりたくないんです。それが気持ち悪いんです。実をいうと、子どものころからそう思っていました。母親が3回結婚しているので・・・」

彼女が辻のデートクラブで働くようになったのは、28、29歳のころだ。きっかけは、中学の同級生が辻で働いていて、誘われたからだった。

「彼女の家に遊びに行ったら、ベッドのマットの下に1万円札が敷きつめられていて、2200万ぐらいあったんです。その友達は月に2~300万稼いでいました。結局、精神科の病院に入院しちゃいましたけど・・・。そんなに稼げるんだと思って、私も売春をやることにしました」

当時。子どもが小学生だった。友達の勧めで辻で働き出すと、すぐに彼女と同じくらい稼げるようになった。

「私は最初から、売春という仕事に抵抗はありませんでした。というのは、男に興味がなかったし、男はお金としてしか見てなかったから。不感症ですし・・・。あくまでも仕事として、感じているように演技していました。演技を忘れて寝てしまうこともあったほどですよ」

そんなふうに話すミツコさんだが、お客と会話するのは好きだった。話好きだったのか良かったのか、リピーターになる客も多かったという。「内地のお客さんに呼ばれて、沖縄県外に出張に行くこともありましたよ」

稼いだら売春をやめようと思っていた

「最初はとにかくお金を貯めようと思っていたんですが、しばらくして同業者の借金を背負ってしまったんです。7000万です」

貯金のためではなく、借金を返すために働くことになった。しかし売春で日銭を稼いでいるうちに金銭感覚が麻痺してしまっていた。「日に10万稼いでも賭博のゲームですってしまい、帰りのタクシー代がなかったことがよくありました」

そんな自分が嫌になったミツコさんは、7年働いた辻を離れて、介護の仕事に移った。ヘルパー2級やパソコンの資格も取得した。

「結局、7000万のうち3000万は、私のスポンサーみたいな人が払ってくれました。県外のなじみのお客さんです。ですが、ヘルパーの月給が10万ちょっとで、残りの借金は介護の仕事では返せない。それで、また辻に戻ってきたんです」

昼間の普通の仕事に戻っても、給料が安すぎてやっていけなくなり、すぐに売春に戻ってきてしまう。そんな話を、ぼくは耳にたこができるほど、夜の街で聞いた。

同業者の中には、ミツコさんに向かって「辻ではなるべく友達を作らないほうがいい」とアドバイスした女性もいる。

「(売春をしている女性では)ごくごく少ないですが、金銭感覚を正常に保っている人もまれにいます。そういう人は、お金を貯めてアパート経営をしたりしています。友達を作らないで生きるほうがいいんです、こういう世界で成功する人は、誰も友だちがいませんよ」

那覇市内の辻地区の様子。昼間は閑散としている

ソープランドで父親に会った娘もいる

ミツコさんが続けた。

「この世界では、売春の仕事を辞めたあと、どこかのスナックでチーママになるか、安い飲み屋がたくさんある街にいってスナックを開くか、という人が多いですね。知り合いの中にはガードマンになった女の子もいますが、安い飲み屋街にいってスナックをやるパターンが一番多いですね」

彼女も、そろそろ「引退」を考えていた。

「風俗関係のお姉さんを頼っていくことも多いです。ただ、最近は警察の取り締まりが厳しくなっていますよね。私は真栄原新町や吉原などの『ちょんの間』で働いたことはないけれど、やっていることは同じですから、辻もそのうちやられると思います」

ミツコさんは不安を口にした。

「逮捕されたら、子どもにバレますよね。もちろん、逮捕されなくてもバレてしまった人はいますよ。デリヘルの広告に顔写真が出てしまい、たまたま子どもがそれを見てしまったとか。それから、ソープに勤めていて、父親に会った女の子もいますよ。私の場合は、子どもにバレたら私はやめてしまうか、開き直るか・・・わからないですね」

40歳までに「引退」したいと思っているというミツコさん。「自分の賞味期限です。取り締まりは正直、怖い。逮捕されたくありませんから、いいタイミングなので引退しようかと思ってます。(売春は)法律ではやってはいけないと知っていますが、どこか自分は捕まらないというふうに慣れてしまっているので、いざほんとうに逮捕されるとなったら精神的にダメージが大きいと思います・・・」

不安を次々に口にする彼女からは激しい焦りが伝わってきた。引退を考えはじめていた矢先のミツコさんの背中を、かまびすしい「浄化運動」が押しているようにも私には思えた。おそらく2010年前後の沖縄の風俗界の変化──真栄原新町と吉原という二大風俗街が消えるという──は多くの性風俗で働いてきた女性たちの心変わりを迫ったに違いない。

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