ひとり飲みの楽しみ方 「東京駅ホーム」で食べるゆで卵

ゲーテの言葉を思い浮かべながら独り飲み(イラスト・古本有美)
ゲーテの言葉を思い浮かべながら独り飲み(イラスト・古本有美)

毎朝5時過ぎには目が覚める。新聞を読んでテレビでニュースをチェック。ここまでは新聞記者らしい1日の始まりかもしれない。だがわたしの場合は、そのあとが違う。

「さて、今日はどこで飲もうか」

十数時間後のことを朝から考えてしまう。

で、本日は東京駅の東海道本線ホーム。かつては湘南や静岡方面に行く起点だったが、いまは東北本線や高崎線方面とつながっており、「上野東京ラインのホーム」と表現した方が正確かもしれない。

ネット包装された味付けゆで卵「マジックパール」をつまみに、缶チューハイでのどを潤す。時計を見るとまもなく午後6時。通勤ラッシュの時間帯だ。ホームのベンチに腰掛けて一杯やっている自分が他人の眼にはどう映るだろう。リストラされたサラリーマン? いやいや、そんなことを気にしていては「エキナカ飲み」の達人にはなれない。

さて、つまみのゆで卵。1個70円するが、これが絶妙の味なのだ。白身はのどごしが良く、半熟に近い黄身はうまみが濃縮されている。以前テレビで有名タレントが「おいしくて必ず食べる」と言っていたが、これぞまさしく東京駅売店の「キング・オブ・つまみ」ではないだろうか。

ゆでたまごのカラのむき方の説明書

うれしいのは「殻のむき方説明書」と一緒にペーパーナプキンがついていることだ。たまごを割った殻は、これにくるっと包んでゴミ箱へ捨てる。これがエキナカ飲みのマナーなのである。

ホームページで確かめると、製造先は岩手の工場。1980年に盛岡駅に卸し、仙台駅、上野駅と販売網を広げたそうだ。ゆでの生産工程は長年の勘と経験に裏付けられた職人技なのだろう。

ゲーテの言葉「わたしの酒をわたしは独りで飲む」

それにしても、ゆで卵というのはつるんとした姿が何とも色っぽい。「おい、ゆで卵よ。お前はこれから食べられてしまうんだぞ。ごめんな」。酔いが回ってきたのか、2個目のゆで卵を手に持ちながら心の中でつぶやく。

ホームの上では、先ほどからハトが首をヒョコヒョコかしげて歩いている。えさを探しているのだろう。人が近づくと飛んで逃げてしまう。が、また少しするとやってくる。単調なその繰り返し。なんだかサラリーマンに似ていなくもない。

日本の鉄道の起点・東京駅。ここからあちこちに列車は向かう。ガタンゴトンと列車が動く音や、乗り降りの案内を告げるアナウンスをBGMにして酒を飲むというのは何とも風流である。

東京駅の駅名看板

かの文豪ゲーテの言葉をふと思い出した。酒の飲み方として、これほど見事に表現した言葉は少ないだろう。

「わたしが独りで座っているとき、これ以上にいい場所があろうか。わたしの酒をわたしは独りで飲む。そのときわたしをさえぎる者はない。わたしはわたしの考えたいことを考えているのだ」(『西東詩集』)

禁欲にはまったく無縁で、恋に酒に、さらには少年愛をも大胆に謳歌したゲーテ。たしかに、他人から注がれるのではなく、ましてや会社の忘年会や送別会ではなく、独り酔って、自分の世界を融通無碍に愉しむことこそ、究極の酒飲みかもしれない。

まして、ここは首都・東京の玄関口である。さて、しめの駅そばでも食べに品川駅の老舗店「T」に行こうか。いやいや、少し遠いが大宮もあなどれないぞ。悩んでいる時間が楽しい。

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小泉信一 (こいずみ・しんいち)

1961年生まれ。朝日新聞編集委員(大衆文化担当)。演歌・昭和歌謡、旅芝居、酒場、社会風俗、怪異伝承、哲学、文学、鉄道旅行、寅さんなど扱うテーマは森羅万象にわたる。著書に『東京下町』『東京スケッチブック』『寅さんの伝言』など。

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