「本当の自由旅行とは『ひとり旅』」 元バックパッカーが見つけた答え

タイのカオサン通り近くのゲストハウス。一階に宿泊者用のラウンジがある
タイのカオサン通り近くのゲストハウス。一階に宿泊者用のラウンジがある

沢木耕太郎の著書に『一号線を北上せよ』という、バスでベトナムを縦断する紀行ものがある。沢木耕太郎の紀行ものと言えば、鉄板のイメージがあるが、これが至極バックパッカーには評判が悪いのである。なぜなら、続『深夜特急』を期待していた読者は、その保守的な(つまらない?)旅のスタイルに、期待を裏切られる。この記事を書くにあたって、新宿の紀伊國屋書店に買いに行ったのだが、まさかの品切れだった。

しかし、僕は、この本には重要なことが書いてあると思っている。深夜特急から数十年経った旅、沢木も年をとっている。年齢には年齢にあった旅のスタイルがある。贅沢をしろとかそういうことではなくて、何が刺激となるかということは、年齢によって違ってくる。旅のスタイルが変わるのは当然のことなのだ。

僕は、誰かに振り回されるような旅ではなく、自分と向き合いながらする旅が、本当の自由旅行だと思っている。そして、自分と向き合う自由旅行を突き詰めると、当然ながらひとり旅に行き着くのである。

タイ・バンコクのカオサン踊りにあるフレッシュジュース屋さん

今回のひとり旅は、タイのバンコクに決めた。仕事の合間をぬっての3泊4日の旅。小さいバックパックに最低限の着替えとノートパソコンを詰めて、僕は成田空港に向かった。LCCで約6時間。スワンナプームではなく、ドンムアン国際空港に到着する。来タイはこれで4度目。ここ数回は、バンコクに到着するとまず、サワディアンコールツアーというカオサンで唯一の日本人旅行代理店を切り盛りする丸山さんを訪ねることにしていた。

丸山さんとは、取材で知り合った。僕が、「バンコクで生きる日本人の肖像」というルポを取材しているときに、カオサンをぶらぶらしていて、旅行代理店に日本人を見つけた。最初は面白い人を紹介してもらうために話しかけたのだが、僕が丸山さん自身の面白さに気づき、取材させてもらったのだ。

丸山さんは、日本で飲料水メーカーのサラリーマンをしており、結婚もして子供もいて、さらには持ち家もあったが、タイの魅力に取り憑かれ、すべてを捨てて、タイに移住をした正真正銘の変わり者である(家族は捨てていません)。タイの最新情報を知っているので、まずは情報を求めて丸山さんのところに行くというのが定例になっている。だが、今回は違った。今回の旅の目的は、ベタな観光をしたいというものだった。

バンコクのゲストハウス。だいたいこのテーブルにみんな集まって、誰ともなく自己紹介がはじまる

ゆっくりと自分を見つめるための旅

何かとバックパッカーは、観光を毛嫌いする。またツアーに参加したがらない。自力でなんとかしようとする。その結果、不毛な武勇伝が生まれていく。今回の僕は、そんな自意識から開放されに来たのだ。そして、ゆっくりと自分と見つめ合うために来たのだ。僕は、丸山さんの店で、水上マーケットのツアーを申し込んだ。その日はカオサン近くにある、日本人向けのゲストハウスに泊まった。水上マーケットは二日後なので、明日は何もすることがない。

翌朝、起きると、外のラウンジ的なたまり場に、若者たちが集まっていた。多くは、バックパッカーで、長期休暇の時期ではないので、仕事を辞めたりして、世界一周をしながら、その途中でバンコクに来ている人たちが多かった。

早速旅の話で盛り上がる。誰の素性も知らない。僕はこの、匿名性のなかでの旅の話が結構好きだ。旅という一点でのみつながった僕ら。職業も年齢も人種も関係ない。彼らの話を聞きながら、まだ行ったことのない世界の街に思いを馳せる。まだまだ、自分は変われる。そんな気持ちになれる。それがつかの間の幻想だとしても。

水上マーケットの売り子さん。微笑みの国・タイならではの笑顔でぼったくってくる

水上マーケットは、単純に楽しかった。はしゃいでお土産を買いまくり、ぼられまくった。ぼられる楽しさを知った。昔、20代の頃、インドで値段交渉のとき、毎回ケンカになったのが嘘みたいに、駆け引きを楽しんでいる自分がいる。時の経過がもたらすものは案外、広範囲に渡っている。

旅はあっという間に終わった。自分と向き合うことはできたかわからないが、年をとることは案外いいもんだということを知った。明日からはまた原稿に向き合う日々が続く。僕は空港に行き、深呼吸をして、気合を入れ直した。

自分に嘘をつかないこと、それを旅で知る。やはり、旅は色々なことを教えてくれる。やめられるわけがない。

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