僕たちのマドンナがキツネ憑(つ)きに!~元たま・石川浩司の「初めての体験」

彼女の目つきはぞっとするほど美しかった(イラスト・古本有美)
彼女の目つきはぞっとするほど美しかった(イラスト・古本有美)

高校時代、夏休みは「学生村」というところに数週間滞在していた。学生村とは、「受験生や学生の皆さん、熱い都会を避けて静かで涼しい環境で勉強しませんか? 私たちの家の2階をお貸しいたします」という、言わば田舎のホームステイだ。全国のいろんなところにあったが、僕が選んだのは長野県の山奥。北に向かっても南に向かっても、50キロは進まないと市街地に行き着かない、かなり辺境の地だった。

高校時代の僕といえば、親の目からいかに離れて遊び呆けるか、ということしか頭にないグータラな人間だった。

「父上、母上! 浩司は勉学に集中したくございます。ぜひ学生村にて努力の限りを尽くしたいと思います!」

このようなレッド(真っ赤)な嘘をついて、友達と学生村で落ち合い、みんなでバカ騒ぎをしたり、涼しい環境で思いっきりグーゴー昼寝したりしていた。当時から、とにかく楽に生きることしか考えていないしょうもない人間だったのだ。

僕らのマドンナY子ちゃん

そんな思い出の場所の学生村だが、ひとつ困ったのは、田舎なので娯楽に乏しいことだった。なんせ当時はもちろん、ネットなどもなかったからね。

そこで僕らの毎日の最大の楽しみは、村に一軒だけあるスーパーマーケットに買い物に行くことだった。そこには、同年代のY子ちゃんという女の子がいたからだ。Y子ちゃんは村の子で、夏休みの間だけスーパーマーケットでバイトをしていたのだ。

田舎の子らしく健康的で、ほっぺがちょっぴり赤く、目がクリクリッとしたそれはそれはかわいい子だった。僕らは顔見知りになったので、何かと理由をつけては1日に何回もその店に通って、Y子ちゃんと話した。

これを書いている今思い起こしても、純朴で、明るい、いい子だった・・・。それが、あんなことになるなんて・・・。

盆踊りの誘いに高まる期待

それはお盆も近いある日のことだった。僕と友達がいつものように用もなく道を歩いている時だった。キュキューッと自転車のブレーキをかける音が後ろの方から聞こえた。

Y子ちゃんだった。彼女は僕らにさわやかな声をかけてきた。

「盆踊りの最終日、一緒に踊りませんか?」

まさか女の子の方からこんな誘いがくるなんて。友達と目を合わせると、「もちろん、お、踊ります。踊りますとも!」と、即答した。

「じゃ、夜10時に迎えに行くね~」

嬉しそうな声で言うと、彼女はまた颯爽(さっそう)と自転車で走り去った。

当時の僕らは童貞だった。でも、エロ本とかで知識だけはもう、中年の域に達していた。そのためか、瞬時に妄想が広がった。

盆踊りをしんみり踊っているうちになんとなくいい雰囲気になり、「ちょっと踊り疲れたね」なんて言って、そこらへんを散歩する。そのうち、神社の裏かなんかに来てしまい、ハッと気がつくといつのまにか二人きりに。目の前には浴衣姿のY子ちゃん。汗ばんだ胸元が、少しはだけている。ドキドキ。高鳴る鼓動が止まらない。そして、ふたりはいつしか・・・。

なんてシチュエーションがよくエロ本などであったような気がするぞ。

ちょっと変わった盆踊り

実はこの村の盆踊りというのは、どこにでもある盆踊りとはちょっと違う。どういうものなのかというと、太鼓などの楽器は一切使わずに、声だけで行われる。しかも夜から明け方まで、徹夜で三晩続けて踊るのだ。

会場は集落の中心の道路。普段は人もほとんど見かけない村なのだが、どこから湧いてきたのか、何百人という人が異常に細長い楕円形になって、扇子を持って踊る。声だけの踊りは7種類ある。6種類は盆踊りの期間中に何度も踊るのだが、1つの踊りは、最終日の明け方にしか踊らない。

最終日の踊りは特に独特だ。とても激しい踊りで、みんな半分トランス状態になって踊る。そんな中、前年に家族の誰かを亡くした家の人たちが、神主さんを先頭に、神社から盆踊りの輪に向かって行進してくるのだ。

「ナンマイダンボー、ナンマイダンボーッ」と歌いながら。

踊りの輪はその人たちを通すまいと必死に抵抗して、狂ったように踊り続けるのだが、ついに断ち切られると、もう踊ってはいけない。次々と踊りの輪が崩され、死者の家族が村の反対側の広場に着くと、持って来た提灯を全部燃やして、最後に鉄砲を持った神主さんが空に向けてバァーンと空砲を撃つ。

それでその年の盆踊りはおしまいで、みな家路につくのだけれど、決して後ろを振り向いてはいけない。振り向くと「踊り神」が取り憑(つ)いてしまうからだ。「踊り神」が取り憑くと、来年のお盆までその人は踊り続けてしまうといわれている。

1年間も踊りが止まらなかったら、仕事にも支障をきたすであろう・・・。だからみな、後ろを振り向いてしまわないよう、ちょっと緊張しながらまっすぐ前を向いて家に帰って行く。まぁ、とにかくそういうちょっと変わった風習の盆踊りが行われている集落であった。

キツネに憑かれたY子ちゃん

ついにその日が来た。

僕と友達はホームステイしている家の人たちから盆踊りの踊り方を一所懸命習って、準備は万端。まぁ、どんなことが起きるかわからないから、一応、いや本当に一応、ゴム製品も財布の奥底にしまっておいた。

さぁ、10時だ。まだ来ない。まぁ、女の人は浴衣の着付けとかあるからね。

10時半。うふふふふ、じらすなんて、憎い演出だねーっ。

11時。あれっ!? 友達に会っちゃったのかなーっ?

11時半。ま、まさかY子ちゃんの身に何かが・・・!?

12時。Y子ちゃんの危機か! 無事で、無事でいてくれ。Y子ちゃん!!

そして、僕らは外に飛び出した。盆踊りの輪の中に。

すぐY子ちゃんの姿は見つかった。「Y子ちゃん、待ってたのに、どうしたの?」。そう尋ねようとした、その時だった。

突然、Y子ちゃんは横にいた男の帯を「ふふっ、ダメね」と結び直し始めた。まるで僕らにあてつけるかのように。そしてこちらをチラッと見るや、何も言わずにフッと笑ってまた踊りの輪の中に消えていったのだ。

その顔は、いつもの気さくで明るいY子ちゃんとは似ても似つかない、大人の女のそれだった。僕らは何が起きたのかわからずに呆然と立ち尽くした。そして、気がついた。彼女の目つきが、いつものそれとはまるで違うことを。

それは何か、別の生き物のようにぞっとするほど色っぽい、そう、まるで伝説のキツネのような目つきだった。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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