「♪チャラリ~鼻から牛乳~」の嘉門タツオが「終活3部作」を作った理由
「♪チャラリ~、鼻から牛乳~」「♪恋人はサンコーン~」などの替え歌メドレーで知られるシンガー・ソングライターの嘉門タツオさん(59)。還暦を目前にした2018年、「終活3部作」を含むアルバムを出しました。お墓から呼びかける声で始まり、故人に呼びかける歌や死を迎えた人の歌など、バラエティーに富んだ作品です。聴く者を笑わせる替え歌で有名な嘉門さんがなぜ、「終活」に関心を寄せたのでしょうか。その真意を聞きました。(取材・岡見理沙)
まじめな問題を笑いと歌に
――このアルバム「HEY!浄土〜生きてるうちが花なんだぜ〜」には、「墓参るDAY♪」「旅立ちの歌」「HEY!浄土」という終活3部作が収録されています。なぜつくったのでしょうか?
嘉門:2018年でデビュー35周年を迎えましたが、ずっと「歌にするべきものを歌にする」という姿勢でやってきました。ヤンキーが社会問題になれば「ヤンキーの兄ちゃんのうた」、街での客引きやぼったくりが問題になれば「ぼったくりイヤイヤ音頭」を歌ってきました。どの歌も社会的な現象や流行を反映し、歌に笑いを融合して、みなさんの共感を得られてきたと思います。
もともと「終活3部作」のきっかけは、横浜・常照寺の僧侶からの依頼でした。「お墓参りをしなくなり、葬儀離れも深刻です。お墓参りに関心を持ってもらう歌を歌ってください」と。遺骨が電車に置き去りにされたという話も聞いたこともあったので、このテーマを今、歌にしようと思いました。
一番最初にできた「墓参るDAY♪」は、「HAVE A NICE DAY」と「墓参るデー」をひっかけて、 もっとお墓に行きましょうと家族に呼びかける歌詞です。サビはベートーベンの第九を使って、明るく仕上げました。墓参りの歌って他にはないんですよね。
――ご自身は「終活」を意識したことはあったんでしょうか。
嘉門:実は私も近年、父や友人を見送った経験がありました。15年前、父を73歳で亡くしましたが、その姿をビデオにとりました。ビデオを前にするとシャンとするんですよね。亡くなる直前まで「わしはようやった」とかしゃべってて(笑)。その映像を葬儀で流して「こんな風にして逝かはった」と見てもらいました。父の生き様をみなさんに感じてもらえたんじゃないかなあ。
嘉門:翌年には、子供のころからの友人・高倉義和がガンで余命3カ月と告知され、楽しい葬式にしようと計画しました。葬式の最後に、生前に録画した本人のあいさつを流してね。ウケました。2010年には、深夜ラジオ番組「ヤングタウン」(毎日放送)に出演するきっかけを作ってくれた初代プロデューサーの渡辺一雄さんも見送りました。そんな経験もあったところに、話があったんですね。
あの歌のアンチテーゼが「旅立ちの歌」
――「旅立ちの歌」は見送られる人が主人公ですね。
嘉門:お墓参りの次は、亡くなる人目線の歌があってもいいなと思いました。見送られる本人はどう思ったのかなあと。この世に未練もあるけど、まあ人生こんなもんかというような気持ちだったんじゃないかというテイストで、2作目の「旅立ちの歌」が生まれました。
「彼岸でいい店探しておくから」というフレーズは、実は友人の高倉が亡くなる直前に言った言葉なんです。ビデオにとるときにオレが言わせたんですけどね(笑)
特に伝えたかったのが「風になんてなるつもりはない」という歌詞です。「お墓にいないから」と歌う有名な歌もありますが、僕は、故人を思ってお墓に行く行動が大切なんじゃないかと思っています。この世に我々が生きているのは、ご先祖様や親のおかげですから。
――3作目のタイトルは「HEY!浄土」。世界的に有名なあの曲に似ているメロディーで笑えますが、あの世に逝った友人に呼びかける歌詞はおおまじめです。
嘉門:「旅立ちの歌」を制作しているときにちょうど、作詞家の阿木燿子さんから「主人(歌手・作曲家の宇崎竜童さん)の弔辞は評判が良くて、予約が入ってるんですよ」という話を聞きまして。それで「ああ、送る側の歌もあったほうがええなあ」と思いました。「HEY!浄土」のタイトルが先にできて、数日で制作しました。お墓参りの歌、送られる側の歌、送る側の歌がそろって、「終活3部作」と名付けました。
嘉門:「HEY!浄土」は、先に亡くなった友人に語りかける内容ですが、我が人生悔いなしと言えたらいいけど、未練もあってあきらめながら死んでいくよなあって。しかし逆に、いつ逝ってもいいように、と腑(ふ)に落ちた部分もあります。先日も、ワイン会の友人が若くして亡くなりました。急に死ぬこともありますが、我慢せずストレスをためずに楽しく生きることが、大事なんじゃないでしょうか。
あの定番ネタも終活バージョンに
――ファンの反応は?
嘉門:「墓参るDAY!」は、お寺で法要のあとに150人くらいの前で演奏したこともありました。お墓があるところで歌うからこそ歌が生きますね。ライブは3歳児から70代まで幅広いですが、合掌する人や、涙する人もいます。
ライブのお客さんで一人暮らしの方が「久しぶりに笑いました」と言ってくれました。うちの母も一人暮らしですが、誰ともしゃべらないんですね。笑いが日常にある国になって欲しいですね。
寺だけではなく、老人ホームの機関誌の取材やセレモニーホールからのオファーもあります。その人らしい終活や、笑いがある介護が必要とされているのではないでしょうか。
――嘉門さんといえば定番の「鼻から牛乳~♪」ですが、アルバムには「冥土篇」が収録されています。
嘉門:あの世にいってから、見られたら困るLINEのやりとりやメールを消さなかったことに気づいて「しまった!」と思う内容です。
先日、携帯電話の機種変更をしましたが、パスワードやらなんやら本人だって覚えてない。自分に財産はなくても、写真やメールやSNSは残りますからね。「そっと消しておいてね」とお願いするしかないですね。
――このアルバムで変化を感じましたか。
嘉門:35年間歌ってきたからこそ、こんなテーマがはからずも歌えるようになったと感じています。数年前だったらこういう歌は、死を冒瀆(ぼうとく)していると言われたかもしれませんが、時代が変わってきましたね。昔の老人とは違って、じっとしていない。これまで楽しかったと感じながら逝きたいと前向きです。これから歌っていくテーマを見つけたんじゃないかと実感しています。
出棺されるまで作曲したい
――シンガー・ソングライターとして今年、デビュー35周年を迎えました。
嘉門:大阪の進学校に通っていたので、大学受験しないのはオレだけでした。みんなと合唱するのがいやだった。自分がやりたいことを一人でやるつもりで、最初は落語家に入門しました。結局、破門になりましたが、おもしろい歌を継続して作って笑わせていこうと思ってやってきました。
嘉門:フォークシンガーの中には、年をとって昔ほどのパワーがなくなり、本人が思わないようなことを歌っている人もいます。それではおもしろくない。こうはなりたくないと肝に銘じています。いつも同じ代表作を求められるようにはなりたくない。一人でも好きなことをやり続けていきたいと思っています。
今回、収録した「タンバでルンバ」は30年前の曲ですが、丹波哲郎さんとの出会いで生まれました。一人でやってきましたが、不思議と、人と出会い、誰かが助けてくれる人生ですね。
――来年で還暦を迎えますが、今後の活動は?
嘉門:80歳になったシンガー・ソングライターの自分が、弱っていったところも含めて、その年になったリアルを、笑いに変えて歌いたいですね。物忘れとか、あんたの介護受けたくないとか。自分が尿漏れしてなかったら、尿漏れの歌なんて歌えません。紙おむつになって、最終的に棺おけに入る歌なんて盛り上がりますね。「火を通せば大丈夫」なんてね。
出棺のときまで作曲していたい。葬儀での本人あいさつももちろん会場で流したい。「ようきてくれたなあ」って、そこまで遊べたらいいですね。
(嘉門タツオ・プロフィール)
1959年、大阪府生まれ。83年、「ヤンキーの兄ちゃんのうた」でデビュー。91年、「替え唄メドレー」が大ヒットする。33枚目のオリジナルアルバム『HEY!浄土〜生きてるうちが花なんだぜ〜』、自伝的青春小説『熱中ラジオ・丘の上の綺羅星(きらぼし)』(角川春樹事務所)発売中。