東京最後のキャバレー「赤羽ハリウッド」で500万円を使ったオッチャンの話

ハリウッド赤羽店
ハリウッド赤羽店

そのオッチャンはすでにできあがっていたようだ。年齢は60代半ば。東京・赤羽のある居酒屋で出会った。「ハリウッド? ああ、30年ぐらい通ったよ。500万以上は使ったな」

赤羽ハリウッド――。系列店の北千住ハリウッドとともに、東京都内で最後まで残ったグランドキャバレーが2018年12月30日、そろって幕を下ろす。かつて、みのもんたさんも足しげく通ったことで知られる店だ。

「500万って言ったって、1回行けば2、3万使うんだもの。その時はバブルでしょ。大したことないわよ」。一緒に来ていた別の飲み屋のママがツッコミを入れる。

「金を盗られたこともあったぞ。家族が事故を起こしたから50万貸してって。そのホステス、次の日からいなくなったよ」。豪快な笑い声が店に響いた。

最終日はバーレスクショー

ハリウッドがなくなると聞き、11月末に同業の先輩2人と赤羽店を訪ねた。閉店を惜しむファンが多く、「一見さん」はなかなか入れないそうだから、僕らは運が良かったらしい。

店に入ると、マリリン・モンローの人形が「ドゥドゥッピドゥ」で迎えてくれた。5月に86歳で亡くなった創業者「キャバレー太郎」こと福富太郎さんがファンだったそうだ。店のオリジナルキャラクター「踊り子ちゃん」は、モンローとベティ・ブープがモチーフになっているという。

踊り子ちゃん。右には「ハリウッドは大人の夜のテーマパーク」の文字
踊り子ちゃん。右には「ハリウッドは大人の夜のテーマパーク」の文字

赤羽ハリウッドは1967年オープン。2008年にリニューアルしているが、外観はどこか古臭さが漂う。しかし、内装はキャバレーらしくゴージャス。金と青の光が店内を照らす。ホステスさんもボーイさんもお客さんも、年齢層は高めだ。

僕の左隣に座ったのは、白いドレスを着た40代半ばのお姉さま。一回り以上年上だ。「文化遺産見学」みたいなつもりで入店してみたけど、よく考えたら、女性とお話ししないといけない店なのだ。しかし、緊張はすぐに解けていった。

「忙しいときは指名がないとダメって断るんだけど、当てずっぽうで女の子の名前を言って入ってくる人がいるのよ。『えっと誰でしたっけ?』『いや、いそうな名前を言ってみただけ』みたいな」

試しに思いついた名前を出してみたら、「それナンバーワンだから」。もし僕だったら、肩身の狭い思いをしそうだ。

上がベテラン、下がアルバイトのホステスさんからもらった名刺
上がベテラン、下がアルバイトのホステスさんからもらった名刺

2人の先輩についたホステスさんは入って数日しかたっていないという。閉店前の駆け込み需要で人手が足りないので、アルバイトしているそうだ。

新人さんなのはちょっぴり残念だけど、常連さんにつけるわけにはいかないだろう。むしろ、一見だからこそ、とびきりのギャップに出くわせたような気もする。要はいかに面白さを見つけるかだ。

そうこうするうちに、ジャズバンドによるチック・コリア『スペイン』が始まった。疾走感はまるでない。テンポが速いとダメなのだ。生演奏はあくまで、お喋りを盛り上げるわき役。このステージ、ショーこそが、キャバレーをキャバレーたらしめる。

隣のお姉さまは「昨日来ればよかったのに」と笑い、左右の胸にあてた手をポロリんと放り出す仕草をする。ゲストダンサーによるバーレスクショーだったらしい。

「大事なところは隠しているけどね」。最終日もバーレスクショーで半世紀の歴史を締めくくるそうだ。

12月のショーガイド
12月のショーガイド

メロディーは夜に、時代に逆らうようにゆっくりと流れていく――のだけど、残念ながら時計の針は正確に進む。むしろ話が盛り上がって、体感ではあっという間だ。我々は30分延長して店を後にした。

「ライフ・イズ・ア・キャバレー」

31歳の僕にとって、ハリウッドはなんでもありの空間だった。

ホステスさんは20代もいれば、40代どころか、50代と思しき人もいた(間違いだったらごめんなさい)。国籍もワールドワイドで、飲み友だちによると、東欧系の女性もいたという。そのごった煮感、その中でみんなで楽しもうとする感覚は、この街の雰囲気によく似ている気もする。

冒頭のオッチャンに、ハリウッドの何がよかったのか聞いた。答えは「なんもねえよ」。

「ただこっちは寂しくてよ。かあちゃん(妻)が早くに死んでさ。真っ暗な家に帰りたくなかった」

伴侶を亡くしてしばらくは、赤羽の有名な居酒屋「まるます家」に行き、歩いてすぐの居酒屋「八起」(2018年7月閉店)でまた飲んで、最後にハリウッド。これがお決まりのコースだったという。

「今考えるとバカだよな。まあ、無茶な飲み方はそんなには続かなかったよ」

人が目まぐるしく動く繁盛店やキャバレー。その賑わいが寂しさを紛らわし、心の穴を少しずつ埋めていったのかもしれない。

「まあ、でも、酒は好きだ。人生一回しかないんだよ。明日死んじゃうかもしれないし。だから飲んじゃうんだよ、俺は。最低限の生活ができるんだったら、飲め」

メートルが上がってきたので、家に帰るという。去り際、「ハリウッドなくなるの寂しい?」と聞いてみた。

オッチャンは「金返せ。良い思いしてねぇよ。なんもしてないよ。手も握ってないよ」と言って、ニヤッと笑った。

ミュージカル映画『キャバレー』で主演のライザ・ミネリは歌う。「ライフ・イズ・ア・キャバレー!」。オッチャン、また飲もう。

「古き」が失われる赤羽

「赤羽の良さは【古き】と【新しき】が絶妙に共存しているところです。都会と田舎、両方の匂いがする街であることです」

ハリウッドのナンバーワンホステスだった千尋さんは、2002年に出版された『赤羽キャバレー物語』(ワニブックス)でこんなことを書いている。東京の北の端、「埼玉ゲートウェイ」である赤羽の特色をよく表していると思う。

この12月、赤羽ではハリウッドのほかにも、「三恵ボウル」の営業が終わる。40年以上続いた「スコアが手書き」のボーリング場だ。倒れたピンは正面の電光表示で数える。ただし、見えづらいので結局目視することになる。ビルの老朽化と耐震性が理由だという。

居酒屋の忘年会で、飲みながらゲームしたときの酷いスコア
居酒屋の忘年会で、飲みながらゲームしたときの酷いスコア

近年、赤羽の人気が高まっている。一方で、赤羽らしさを象徴する「古き」はどんどんなくなっていく。

もちろん、古いものはいつかなくなる。ハリウッドだって、なくなる直前に初めて行ったわけで、僕の生活が変わるわけではない。

ただ、未経験者の間でも、話題になるくらい存在感があった。ただ在るだけで、酒の肴になっていた。そこに経験者が加われば、場は盛り上がり、友達が増えた。そういう効果はあったと思う。

もしも、そんな「古き」の「墓標」としてマンションやホテルが建つとしたら、赤羽は便利なだけの街になっていくのかも知れない。これが街の新陳代謝なんだろうけど。

仮にそんな日が来たとき、僕もあのオッチャンのように「なんもねえよ。金返せ」と笑って言えるようになるだろうか。いよいよ昭和が遠くなる、平成の暮れにそんなことを思ったのだった。

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園田昌也 (そのだ・まさや)

弁護士ドットコムニュース記者。昭和62年生まれの「ゆとりのフロントランナー」。学生時代にネットメディアでこたつライターを経験。地方紙の文化部(芸能班)記者をへて、現職。転勤族だったので、赤羽を「地元」にせんと日夜飲み歩いている。

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