ボロボロのソファで眠る孤高の現代美術家MANJI「俺は最前線まで突っ走る」
ズシン。ズシン。東急大井町線の中延駅(東京都品川区)を降りて駅前のシェアアトリエに入った途端、どこからともなく大きな音が聞こえてきました。重く、鈍い音が玄関ホールに響き渡ります。
音の主は、金属彫刻作家のMADARA MANJI(まだら まんじ)さん(30)。金属やコンクリートを使って、立体作品を作る現代美術家です。
MANJIさんがアトリエを構えるのは、「インストールの途中だビル」(東京都品川区)という一風変わった名前のシェアアトリエ。築45年、6階建てのビルには、建築設計事務所や弦楽器の工房が入っています。
ビルのワンフロアを板で区切った約6畳の空間がMANJIさんのアトリエです。生活費や家賃を節約して制作費に回すため、3年以上前からこのアトリエに住み、作品作りをしています。
アトリエには、金属を熱するためのガスバーナーや耐火レンガを組み上げた炉が所狭しと並んでおり、日用品は一切見当たりません。家具はボロボロのソファが一つ。とても生活できる環境には見えません。
ホースで水浴びをする生活
MANJIさんの作品は、日本と海外で年間に数百万円も売れています。しかし材料費や制作費が月に数十万円掛かるため、手元に残るのはごくわずか。ファンや活動を通して知り合った人たちが差し入れてくれるお米やパスタで食いつないでいます。1カ月の生活費はわずか1~2万円ですが、その大半は煙草に費やされる始末。「煙草代だけは削れない」。MANJIさんはそう言って、Peaceを燻(くゆ)らせていました。
ここにはお風呂もありません。元々、住むために建てられたビルではないからです。たまに銭湯に行く以外は、屋上のホースで水浴びをしています。
「夏は気持ちいいですが、冬は一歩間違えると凍え死にそうになります。13時頃だと配管が太陽光で温められるため、かろうじて生ぬるい水が3分だけ出るんです。このタイミングでシャワーを済ませています」
体を休めるのは、ボロボロのソファ。足も伸ばせず、とても熟睡できそうにありません。極貧生活そのものですが、MANJIさんからは少しも悲壮感が感じられません。
「生活にはあまり興味がないんです。生活を充実させても、芸術への探究心は満たされない。まとまったお金を稼いだら、生活に使うよりも全て制作につぎ込んでもっと良い作品を作りたいんです」
芸術のために生活を犠牲にすることは、誰にでもできることではありません。実際、MANJIさんの周りには、芸術を志しながらも挫折してしまった人が数えきれないほどいます。
「毎年、何千人もの人が美大を卒業します。芸術家を志す人は美大生以外にもたくさんいます。しかし10年後に作家活動を続けている人は100人に1人いるかどうかという世界です。『成功した人』ではなく、ただ『続けられている人』の数ですよ。この世界は門戸が狭すぎる。収入や結婚、人間関係、安定……そうした大切なものを犠牲にしてでも、作品を作り続けなければならないときがあります。このあまりにも過酷な世界で、俺は抗い続ける。行けるところまで行きたいんです」
家もなく、定職もなく、もちろん家庭もない。芸術の道をひたむきに突き進む、孤独な芸術家の姿がここにはあります。
日本独自の「金属技術」を現代アートに応用
MANJIさんは、誰もが抱えている矛盾や不安を作品のテーマに据えています。このテーマを表現するために用いるのは、日本独自の金属工芸技術である「杢目金(もくめがね)」。海外でも“Mokume Gane”として知られるこの技法は、約400年前に職人の正阿弥伝兵衛(しょうあみ・でんべえ)によって編み出されました。
杢目金の技術を、MANJIさんは独学で習得。それ以外の金属加工の技術は、19歳で弟子入りした京都の工房で学びました。師匠の厳しい指導を受けながら、昼も夜もなく研鑽(けんさん)を積む生活がおよそ3年間続きました。
制作に使うのは、金・銀・銅とその合金。色の違う複数の金属をガスバーナーで熱してくっつけることで、一つの塊にします。これを金槌で叩いて潰して、1mmの板に延ばすと、様々な色から成る複雑な模様が現れます。この模様は、金属の配合と叩き方、削り方で自在に操ることができるといいます。
金槌の重さはおよそ3キログラム。これをミリ単位でコントロールしながら、金属の塊を叩いていきます。あまりの重さに、筆者にはかろうじて持ち上げることしかできませんでした。狙った場所に正確に振り下ろすなんてとてもできません。
金槌を振り下ろす度に、ズシン、ズシンと大きな音が響きます。この音が建物の1階にまで響いていたのです。あまりにも音が大きく、アトリエの隣にあるコンビニ店員さんたちの間で「何の音だろう」と噂になっていたほどです。
これを連日、約5時間にわたって続けます。体に大きな負荷が掛かるため、あばら骨を疲労骨折したことも。足にも力を入れるからでしょうか。制作用のブーツは足の甲の部分が裂けてしまっています。
出来上がった杢目金の板を、6枚貼り合わせて立方体にした作品は“Uncovered Cube”と名付けられています。邦題はありませんが、「むき出しの立体」といった意味です。一見、無機質でかなり取っつきにくい印象を受けますが、これらの作品には、一体どのような意味が込められているのでしょうか。
誰もが抱える「本能と理性の矛盾」を表現
作品に込められた意味を理解するためには、杢目金という技法の特色を知る必要があります。実はこの技術、明治以降に一度は伝承が途絶えていました。今でこそ復活しましたが、かつては再現不能の技術だとされていました。なぜでしょうか。
「色の異なる金属を重ね合わせて、木目状の模様を作り出すのがこの技術です。しかしここには大きな問題があります。色の違う金属を重ねるためには、金属を溶かしてくっつけなければいけません。しかし少しでも加減を間違えると、金属同士が混ざって合金になり、色が一色になってしまうんです。さらにそれぞれの金属は伸びる比率が違うため、くっつけるために叩くと割れてしまうんです」
一歩間違えれば、混ざり合ってしまう。加減が違えば、バラバラになってしまう。この不安定さが作品の鍵です。
「杢目金は、本来成立しえないものをなんとか成立させているため、自壊性を内包しています。紙一重で壊れてしまうんです。これって人間の性質と似ていると思いませんか。ひとりの人間の中には、矛盾する欲望と理性が同居している。本能や感情のままに行動したいと思っても、理性がそれをなんとか抑え込む。その時の割り切れない葛藤を誰もが抱えています。しかもそれはギリギリのバランスで成り立っている。自己の内部だけでなく、自己と他者、自己と社会の間にも矛盾があります」
Uncoverd Cubeはこうした不安定な杢目金の板を組み合わせて立方体にしたものです。立体は見る角度によって見え方が違います。それはひとりの人が、ある人にはいい人に見えたり、別の人には嫌な人に見えたりするのと同じです。
「俺の知り合いに、変わった奴がいます。仕事を辞めて失業手当をもらっていますが、職業訓練すらまともに受けることができない。私生活も破綻していて、方々に借金をして酒ばかり飲んで暴れまわっています。しかし本能を剥き出しにする一方で、罪悪感を抱いて落ち込んでもいる。すごく矛盾しているけれど、その生々しさが魅力になることがあるんです。だからこんな破綻した奴でも、周囲の人は面白がったり、同情したりするんでしょう」
Uncovered Cubeの他にも、コンクリートの塊に杢目金の板を打ち込んだ“Ambivalence”(矛盾)と題された作品群があります。コンクリート片は合理性や物質性を、杢目金は精神の不安定さや不合理さをそれぞれ表しています。矛盾する両者を抱え込みながら、それでも生きようとすること。この「抗おうとする力」がテーマだと言います。
2018年6月には、スイスのアートフェア「VOLTA」に出品したMANJIさん。今年の4月にはオランダの展覧会にも出品する予定です。「何が何でも、俺は最前線まで突っ走る」。鋭い眼光ではるか遠くを見据えて、孤高の芸術家は今日も金槌を振るいます。