山手線内でホンモノの自然に遭遇できるか?目黒編(大都会の黙考スポット 11)

目黒駅近くのオアシス、東京都庭園美術館の庭園
目黒駅近くのオアシス、東京都庭園美術館の庭園

ふだん東京のネットベンチャーの慌ただしい現場に身を置いている筆者が、大都会の喧噪から離れ、ゆっくりと物思いにふけることができる「黙考スポット」を探索するこのコラム。今回は、山手線の目黒駅で降りてみた。

この「黙考シリーズ」を書きはじめて、半年が経った。

「(筆者は)たかだか川の近くを散歩するだけで、大げさに感動しているな」
「これ書いている人は心が荒みすぎている、病んでるんじゃねーか」

といった書き込みが散見されて、令和に入って早々にブルーな心持ちになる。
そしてまた「ひとりになりたい」と思う。

駅近くに深い緑色を確認

「大都会」の黙考スポットを探すはずなのに、気づくとあまりにも「自然」を求めすぎて西に向かってしまった。「都会離れてるじゃねーかよ」とまた見知らぬ誰かからツッコミが入りそうなのが気になる。

珍しく「目黒」での往訪アポイントが入った。仕事柄、地下鉄移動や徒歩が多く、JR山手線に乗ることは少ない。山手線だと渋谷、恵比寿に行くぐらいで、目黒駅は滅多に降りることはない。(美味しい焼き鳥屋に行く以外では)

Googleマップで訪問先近辺の「航空写真」をチェックしてみる。
デフォルトのマップを見るだけでは、そこが癒やされる地帯であるかどうかの見分けがつかない。マップ上で「緑色の一帯」を発見して、「お、これは新たな隠れた黙考スポットかもしれない」と期待して移動中に立ち寄ってみると、実際には負のオーラを感じるような小汚い公園だったりしてガッカリすることが多々ある。

目黒駅の近くには、深い緑色の「ビリジアングリーン」が確認された。これは「森林」クラスを感じさせるホンモノの「緑」だ。

そのビリジアングリーンの一帯は、「東京都庭園美術館」と「国立科学博物館附属自然教育園」であった。

庭園美術館のエントランスは大通りに面しているが、歩道も広く整然としている。「アートと自然」が融合したようなスタイリッシュなエントランスで、自然と僕の足が吸い込まれていく。

その日、美術館は閉館していた。「庭園だけなら入れますよ」とのこと。これは逆にチャンスである。人が少ないほうが黙考できる。即座に200円を払って入園の意思決定をする。

景観は申し分ないのに…

僕の予想通り、庭園の散策客はまばらだ。30代のカップルや初老婦人3人組とすれ違いながら、都会のサビを少しずつ落としていくかのように、庭園内の砂利道をしゃりしゃりと散策していく。小石が奏でるリズムに合わせて、「今週もこんな嫌なことがあったな…」というネガティブな思考を一つずつ浄化させる。

学校の校庭ほどの芝生広場の周りには、いくつか木のベンチが並んでいる。芝生の中心には何やら現代アートのようなモニュメントと大木がそびえている。ベンチに腰掛けて、誰もいない芝生や木々を見つめる。心を落ち着かせて黙考にふけようとするが、いつもよりも精神が落ち着かない。目に入る景観は申し分ないのになぜだろうか。

「ブォーン、ブルブルブル」

「グゴゴゴゴ、ガガガガガ、ブブブーン」

どうやら、やや遠方から耳に小さな雑音が入ってくるのを感じる。
その庭園を囲むようにして、首都高速2号目黒線と目黒通りが通っていた。小鳥が美しくさえずっているのに、車の騒音がそれをかき消している。これは「都会の公園・庭園」あるあるだ。黙考できるかもしれないと期待して有料の庭園に入るものの、車の騒音が小さな失望を生み出す。

黙考には視覚のみならず、聴覚も重要であることを再認識させられる。

鳥のさえずりが共鳴する

早々に庭園散策を切り上げて、次の大本命、真のボス敵とも言える「自然教育園」へと向かう。Googleマップを確認すると、さっきの庭園よりも10倍は広そうだ。園の奥に入っていけば道路からも充分に離れ、車の騒音も届くまい。

入園料が310円。もはや、大都会で黙考を求める上で、課金にためらってはいけない。割安なSレアガチャだと思えばバチは当たらないだろう。

整えられた林道のような一本道を奥に進んでいく。道の両端には様々な草木がごく自然に植えられている。一つ一つの草木のとなりには、白いネームプレートが丁寧に掲げられている。

「やまぶきそう? ああ、この黄色い花はこんな名前だったのか」

見たことはあるけれど、名前が分からなかった花たち。
ふと、最近、アイドルの個人名が分からなくなっている自分を思い出す。花もアイドルも「美しい」と感じるものの、その個体名が一切覚えられなくなっている僕の悲しいオジサン脳みそ(メモリー)。

「からたちばな」という白い昭和のブローチのような花が気に入った。若いアイドルの名前を覚えてやったような気がして、ほんのりと悦に入る。

(編集部注:この花は実際は別の花で、筆者は看板を見て勘違いしたようです)

林道のような道をずんずんと奥に進んでいくと、あっという間に視界は木々に囲まれ、まるで山里のような光景に出会う。すれ違う人はほとんどいない。一眼レフカメラを抱えた30代前後の男性が、ひとりで天を見上げてどこかを凝視している。街中では耳にしたことのない鳥のさえずりが聞こえる。

気づくと、そこは池のほとりだった。小さなベンチにひとり腰をかけると、珍客を歓迎するかのように、鳥たちがさえずりを共鳴させる。綺麗な野鳥が大木に一瞬止まっては、僕が観察しようとすると、すぐさま池のほとりの葦の中に隠れ込んでしまって姿が確認できない。

池の対岸に謎の物体が

そこにいるはずなのに、姿の見えない、美しい野鳥たち。観察しようとすると見えなくなる。まるで僕の知らない物理法則、量子力学か何かだろうか。自分の理解できないことが起きているような気がする。

脳がゆっくりとリセットされるような感覚で、ボーッと池の対岸を眺めていると、今度はそこに見たことのないような、焦げ茶色の物体がゆっくりと動いていた。

猫ではない。
もっと大きい。
背景の林や地面の土と同化しているようでよく見えない。

それは「タヌキ」だった。

東京のど真ん中にタヌキがいた。すぐさまスマホで写真を撮ろうとすると、僕の観察に気づいたのか、瞬時に奥の林に姿を消してしまった。

自然園をぐるっと1周して入り口付近に戻る。小さな建物の中に、自然教育園で見られる植物や動物たちの剥製や写真が展示されている。展示物やポスターを眺めて、先ほどの出来事を振り返ることができる。あそこですれ違った鳥はコゲラだったかな? エナガだったかな? カワセミではない気がする。

また近くに来た時は訪れたいと思う。
次もタヌキや見知らぬ鳥たちに会えるだろうか?

いや、わざわざ観察しに来ようとすると、「会えない」ような気がしてならない。

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