婚約破棄、30過ぎて映画監督に 『月極オトコトモダチ』穐山茉由さん(前編)

穐山茉由さん(撮影・齋藤大輔)
穐山茉由さん(撮影・齋藤大輔)

今年6月に公開された映画『月極オトコトモダチ』の監督、穐山茉由(あきやま・まゆ)さんは、ファッション企業のPRマネージャーとして働きながら30代半ばで映画監督に。長編デビューとなる本作が東京国際映画祭に正式出品され、若い女性を中心に多くの共感を呼んでいます。

自分が映画を撮ることは「以前は考えたこともなかった」という穐山さん。会社員と映画監督という二つの顔は、自分と向き合い続けて選び取った生き方でした。

映画を撮るなんて考えたこともなかった

――小さい時から映画監督になりたいと思っていたのでしょうか?

穐山:思っていなかったですね。ファッションが大好きで、その延長で90年代の渋谷系カルチャーや渋谷のシネマライズなどのミニシアターに憧れて、映画も好きになったという感じです。ただ、表現すること自体がとても好きでした。漫画を描いたり、カラオケで歌ったり、学生時代は吹奏楽部でパーカッションを担当していました。

――クリエイター一直線ではなかったのですね。

(撮影・齋藤大輔)

穐山:そうです。女性は結婚して子どもを産むのが当たり前という考え方の家庭で育ち、良妻賢母を校是とする女子校に中高大と進学しました。

美大という選択肢は当時の自分にはなくて。何か表現したいとは思っていましたが、何を表現したいかは定まっていませんでした。

そういう意味でクリエイティブ一直線な人に対するコンプレックスは抱えていましたね。

大学にはエスカレーター式で進学しましたが、学科は好きなファッションに触れられる機会が多そうな被服学科にしました。

――大学時代はどんな感じで過ごしましたか?

穐山:デザインは学んでいましたが、それほど本格的ではなかったです。かといって、周囲の勧める「いい会社に勤めて、いい人のお嫁さんになる」路線に乗りたいとも思っていませんでした。「結婚しなくてはいけない」という刷り込みと「何か表現したい」という自分の間には、常に分断があったような気がします。

――大学卒業後はアパレル会社に就職されていますね。

穐山:大学卒業時は、やはりファッションの分野できちんと働きたいと思って、就職活動しました。そしてデザインや生産管理をOEMで請け負うアパレル企業に就職しました。

――転機はいつ訪れたのでしょうか?

穐山:30歳の時に、しようと思っていた結婚がなくなったことですね。

そのころお付き合いをしていた人が、仕事で地方に行くことになって、仕事を辞めてついていくことになったんです。30歳前に結婚はすませておこうという気持ちがあり、相手も私も保守的な家庭に育ったので、専業主婦になるのは自然に選択肢として出てきました。

――ご両親の期待も高まる年頃ですよね。

穐山:そうですね。仕事では大きなプロジェクトを任されて順調に進んでいましたが、とにかく「結婚しなくてはいけない」という気持ちがありました。 ところが、忙しさが落ち着いたときにハタと「私はこれでいいのか」と思ってしまって。

彼のことは普通に好きだったけど、彼のお母さんは来客があると台所から出て来ないような古風な人でした。その生き方は自分にはできないのではないかと思って、話は進んでいましたが、「言うなら今だ」と「結婚はやめよう」と言いました。

(撮影・齋藤大輔)

――思い切りましたね。

穐山:もちろん恋愛感情もあったし、それまでは周囲の期待に応えて、自分さえ我慢すればいいと思っていました。でもそれっていつまで続くんだろうと。自分のこのキャラクターでいつまで耐えられるか、耐えられる時間は決まっているだろうなと思って。

やりたいことをやろうと決意

――なるほど。

穐山:結局、婚約を破棄して、結婚は義務ではないと思い始めたところから、映画への道が始まった感じです。「本当に自分のやりたいことをやろう」と思い始めたというか。

――そこで会社が終わった後、映画の専門学校に通い始めたのですね。

穐山:そうなんです。たまたま映画美学校のポスターが目に入って「これだ」と。 31歳の誕生日の前に入って、会社が終わったあと通い始めました。

映画の知識が全くなかったのでバカにされるのではないかと思っていましたが、全くそんなことはなくて。みんな映画に対して真摯に向き合っていて、経験は関係なく「いいものはいい、面白いものは面白い」と。

――授業の内容はどんな感じでしたか?

穐山:想定せずにカメラに映ってしまった映像に講師がとても反応したり、意図したものが逆に「あざと過ぎる」と叩かれたり。子供が学ぶみたいにフラットで、何でもありの世界でした。そういうのを見て面白くて、とても居心地はよかったですね。

――映画デビューのきっかけを教えてください。

穐山:卒業制作の『ギャルソンヌ -2つの性を持つ女-』が2017年11月に「田辺・弁慶映画祭」に選出されたことがきっかけです。そこで映画祭の審査員をしていた『月極オトコトモダチ』 のプロデューサーに声をかけられました。

――『月極オトコトモダチ』はどれぐらいの期間で制作したのでしょうか?

穐山:2018年3月ぐらいから脚本を書き始めて、6月頭には撮影をしていました。 映画制作前から『MOOSIC LAB(ムージック・ラボ)』という映画祭で発表されることが決まっていたのでタイトなスケジュールでしたが、声を掛けられた時点で大まかな企画は用意していました。初めて出た大きな映画祭だったので、先につなげたいという気持ちでいたこともあって心構えはできていたかもしれません。

――『月極オトコトモダチ』は男女の友情が描かれますね。

穐山:自分がいいと思って両想いになって恋愛が始まっても、最後は別れてしまう。その繰り返しになってしまったときに「男女はそれしかないのかな」と考えました。中高大とずっと女子校だったこともあって、男性を恋愛の対象としてしか見ないことに疑問を感じてはいなかったんですね。

――そもそも男性と接触しないですものね。

穐山:そうなんです。ただ、大人になるにつれて友達のような存在もできてきて。恋愛感情のようなものを抱く瞬間もあるけれど、同じ趣味を共有するだけの関係とか。

恋愛感情に縛られない関係もあるということに気がついたのと、心に性別はないし、性別で感情を区切るのは違うのではないかという実感があって、男女の友情をテーマにしました。

――『ギャルソンヌ -2つの性を持つ女-』もそうした問題意識で撮ったのでしょうか?

穐山:見た目は女性だけれども遺伝子が男性という人が描かれています。湿っぽくならずにインターセクシャルの人の内面の葛藤を描きたくて作りました。自分自身が、女性としての役割や期待されることと長年闘っていたこともあり、性別の垣根を越えることや性別のボーダーラインに興味があったのだと思いますね。

【インタビュー後編】会社勤めしながら映画監督、兼業の相乗効果は 穐山茉由さんに聞く

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