タトゥー規制は「施設ごとに柔軟に対応することが大切」 専門家が指摘

日本の刺青文化について語る山本芳美さん(撮影・石渡伸治)
日本の刺青文化について語る山本芳美さん(撮影・石渡伸治)

東京五輪・パラリンピックが開催される2020年。訪日外国人の増加が予想されますが、公衆浴場などでのタトゥー(刺青)規制について、さまざまな議論が交わされています。

文化人類学者で都留文科大教授の山本芳美さんは、刺青(いれずみ)やタトゥーについての日本での数少ない専門家のひとり。明治時代、文明国の仲間入りをするため、刺青を禁止した日本で今、ファッションや民族文化を背景にしたタトゥーのある外国人観光客が増加しています。

山本教授は公衆浴場などでのタトゥー規制について、刺青禁止とはいえ、対応が柔軟だった明治時代を例に、各施設がそれぞれの状況に応じて、受け入れを決めればよいとして、一律的な対応を批判しています。

かつては来日時に「刺青」を入れた英国やロシアの皇太子も

――まず、日本人とイレズミの関わりの歴史を教えてください。

山本:刺青が古代のいつごろから始まったのかはっきりしませんが、現在知られる刺青は江戸時代からです。背中や腕全体に彫る和彫の刺青は、江戸時代後期に盛んになりました。原型は、遊女が客に誓いをたてるため「〇〇様命」などと彫ったことにあるといわれています。それがやくざにも誓いの印という意味で広まったという説もあります。

犯罪者を対象とした「入れ墨刑」も江戸時代には行われていました。一方、とび職人や、火消し、駕籠(かご)かきなどの職人も刺青を入れていました。職人がよく背中に神仏の像を彫るのは、お守りを彫っているんです。火消しは水を呼ぶために龍を彫る。一種の信仰ですね。江戸時代の浮世絵などには、職人が上半身裸で刺青を見せて歩いている様子が描かれています。

山本芳美さんが2005年に出版した「イレズミの世界」(品切れ重版未定)

そもそも、日本の刺青は世界的に見ても特殊です。東南アジアや太平洋の島々の人々が彫る刺青は幾何学模様が多く、部外者にとって魅力的とは言い難い。欧米の刺青は、19世紀中ごろまで大きな面積を彫っている人でもワンポイントの柄がいくつもあるだけの、技術的にも高いとはいえないものです。日本では、背中一面、場合によっては身体全体に図柄を配置します。浮世絵をモチーフにしているので、19世紀のジャポニスムブームもあって人気だったと思われます。


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