ひとりぼっちの小学1年生を励ましてくれた「日陰のアサガオ」
コロナ禍で人と会う機会が減り、ひとりで過ごす時間が増えました。ならば、何か植物を育てみよう。そんなベランダガーデニングの気分が高まりました。
私のマンションのベランダは北西向きで、日当たりがあまりよくありません。日陰でも育つ花は・・・思い浮かんだのが、アサガオでした。小学生のとき、「日陰のアサガオ」に励まされた思い出があるからです。
小学校の体育の授業で「余り1」になってしまう
いまは小さいながらも会社を経営し、どんな人とも物おじしないで会話できる私ですが、小学校に入ったばかりのころは引っ込み思案で、友達のほとんどいない子供でした。
同じクラスに仲良く話ができる女子は誰もいなくて、休み時間になるといつも、ひとりでポツンとたたずんでいる。そんな小学1年生でした。いま振り返ると、家では元気に話せるのに学校など特定の場面になるとうまく話せなくなってしまう「場面緘黙(かんもく)症」だったのかもしれません。
そんな私が最も恐怖に感じていたのが、体育の授業です。準備体操のときに「2人組になってください」と先生に指示されます。その瞬間がとてつもなく怖かった。
なぜ体育の授業が恐ろしかったのか。私のクラスは女子が19人と「奇数」だったため、女子同士で2人組を作ろうとすると、必ず1人、余ってしまう子が出てしまいます。その「余り1」がいつも、私だったのです。
「誰も私とペアになってくれない」ということが辛くて、勝手に「2人組恐怖症」と呼んでいました。
実は男子も同じく奇数の人数だったため、1人余るのが常でした。余るのはいつも、H君という男の子。H君は鼻くそをほじる癖があって「変わり者」とみられていました。
私とH君は「余り者同士」ということで、毎回、手をつないで準備体操をすることになりました。ほかの子は好奇な目で見るだけで、誰も声をかけてくれません。H君には申し訳ないけれど、私はそれがとても苦痛でみじめだったのです。
「私は日陰のアサガオと同じ運命」
友達がいない私は、いつもひとりぼっち。同級生が楽しく遊んでいる近くで過ごすのは嫌だったので、休み時間になると、校舎の裏庭に行って時間をつぶすのが日課になりました。
その裏庭にあったのが、理科の授業で育てていた「アサガオ」でした。異なる環境の植物の生育状況を比較するため、アサガオは「日なた」と「日陰」の両方で育てられていました。
日なたのアサガオは元気に育ち、美しい花をたくさんつける。一方、日陰のアサガオは元気がなく、葉っぱも小さい。そんな違いを観察するために、薄暗くて湿っぽい裏庭に、アサガオの植木鉢が並べられていました。
日陰のアサガオは、まるで友達がいない私のようだ。そんな風に自分自身を重ねながら、裏庭に置かれた「日陰のアサガオ」を毎日眺め、話しかけていました。ときどき、倉庫から肥料を持ってきて、もっと大きくなれと日陰のアサガオにあげたりもしました。
「私は日陰のアサガオと同じで、元気になれない運命なんだ」
当時の私は、完全に自信を失っていました。
もともと私は、逆子で生まれてきたそうで、無理やり引っ張られたために脚が歪んでしまいました。「この子は一生車椅子が必要かもしれません」。母やお医者さんからそう言われたとか。その後、運よく歩けるようになったものの、小学生になってもよく転び、駆けっこも遅いままでした。
4つ年上の明るい姉は運動神経が良く、可愛くて、まさに「日なたのアサガオ」でした。私はその逆で、「日陰のアサガオ」。そういう運命なのだから仕方ないと思い込んでいました。
日陰のアサガオにもツボミがついた!
理科の授業の目的は「日なたのアサガオ」と「日陰のアサガオ」の成長の違いを観察し、環境が生物に与える影響を子供に実感させることです。
その狙いどおり、太陽の光をいっぱいに浴びた、日なたのアサガオは色鮮やかな巨大な花を次々と咲かせていました。みな、誇らしげな様子で。
一方、日陰のアサガオは、なかなか花が咲きません。しかしある日、校舎の裏庭のアサガオに小さなツボミがついているのを見つけたのです。心臓がドキドキしました。ひょっとしたら花が咲くかも、と期待が少しふくらみました。
それ以来、私は日陰のアサガオが咲くのを楽しみに、毎朝、学校に着くと裏庭にのぞきに行きました。どれだけ待ち遠しかったことか。とうとうある朝、日陰にもかかわらず、アサガオの花がポッと咲いていたのです。
小さな淡いピンクの花でした。日なたのアサガオのような派手さはなく、控えめな色でした。でも、私に向かって微笑んでくれているように咲くアサガオの姿は、美しすぎて、目から涙があふれてきました。
不思議なことに、日なたのアサガオは昼になるとグッタリとしおれてしまうのに、日陰のアサガオは夕方まで可憐に咲いていました。
「先生の言っていたことと違う!」
私は思いました。
「日陰のアサガオは可憐な美しい花を咲かせる。そして、日なたのアサガオよりもずっと強い」
それが、私の発見です。教科書にも書かれていない「真実」でした。
その後、私はいろいろあって、小学校3年のころには別人のように賑やかな子供に変身したのですが、何か壁にぶつかって勇気が必要になるとき、「日陰のアサガオ」を思い出して、自分を鼓舞していました。
大人になった今でも、ときどき、その可憐な花が脳裏に浮かびます。