50を過ぎてアイドルデビューした話(元たま・石川浩司の「初めての体験」 6)

アイドルユニット「えんがわ」
アイドルユニット「えんがわ」

僕が子供の頃に「大人になったら何になりたい?」と聞かれてよく答えていたのは、古本屋さんだった。理由は、好きな本を読みながら時々お客さんの相手をすればいいので楽そうだから。もちろん決して楽な仕事でないことは大人になって分かったが、当時はイメージだけでそんな風に思っていた。

小・中学生の頃は人並みにアイドルも好きだった。世代的には山口百恵さんらの「花の中三トリオ」などにはまったが、まさか自分がアイドルになるなんて、音楽すら始めていなかった当時は、夢にも思っていなかった。

たま時代はアイドル扱いが嫌だった

たまの「イカ天」からのデビューはまさに青天の霹靂で、僕らは突然一種のアイドルに祭り上げられた。少年サンデーの表紙を飾り、テレビのCMに出て、アイドル雑誌でグラビアを飾り、女性週刊誌にゴシップが載り、写真集やカレンダーが発売された。

こうした扱いを受けるのは想定外だったため、僕たちは戸惑っていた。そして、こんな状態がしばらく続いたある日、とある公開収録のラジオ番組で「今、テレビで大流行のたまがやってきま~す!」などと宣伝され、僕はついにキレてしまった。

「こんにちは。最近まわりの声がうるさすぎて耳が聞こえなくなってしまいました。ツン○リーノ石川です!」と放送禁止用語を連発してしまったのだ。司会者たちに恨みはないので、放送事故にならないように生放送ではないことを確認した上での発言だが、場は凍りついた。これは当時、新聞の投稿欄などでも叩かれた。今なら確実にネット炎上案件であろう。

こんな調子で、「俺たちはアイドルじゃない、ミュージシャンだっ!」という姿勢を貫いていたら、あっという間にマスコミから呼ばれなくなり、「あの人は今」になってしまった。自業自得だろう。でも僕らは「売れたい」ということよりは、圧倒的に「自分たちの音楽がやりたい」という気持ちが強かったので後悔はなかった。

50を過ぎて再びアイドルに

さて、時は経ち、僕も50代も中盤になった時である。とあるイベントで「地下アイドル」と呼ばれる人たちと共演する機会があった。ジャンルが違うため多少の違和感はあったが、彼女たちがリハーサルで楽しんで歌っている様子はとても爽やかだった。そこで僕がふと、「即興でなら、パーカッション付けられますよ」と言ってしまい、本番で一緒にやることに。それが意外にお客さんの反応も良かった。

そして、それを見ていたアイドルのプロダクション社長が、「若い女の子の中にひとりだけオッサンが混ざってるのって何か面白い」と思ってくれたらしい。いつの間にか「女の子ふたりと、3人組のユニット組んでみない?」という話になった。

昔のデビュー時とは違う、これはアイドルの皮を被ったジョーク表現だ、と僕も思った。それはそれで愉快と、僕はニヤリとした。そこからはトントン拍子にユニットを組む話がまとまった。

メンバーは当時「BELLRING少女ハート」というアイドルグループにいたカイちゃんと、「あヴぁんだんど」というアイドルグループにいた宇佐蔵べにちゃん。ともにまだ10代だった。ふたりは別々のグループだったが、仲良しだった。そこにふたりの親より年上の僕が混ざるのである。これは傍目にはとてもコミカルだった。

ユニット名は「えんがわ」。これは寿司ネタではなく、ひなたぼっこする方のえんがわだ。ふたりは設定も考えてくれた。カイちゃんがお爺ちゃん、べにちゃんがお婆ちゃんで、僕は「よくその老夫婦の元に遊びに来る近所の子供」だという。僕の方がふたりよりうんと年下のヤンチャ坊主、という斬新な設定なのだ。

楽しいアイドル活動

すぐにレコーディングの話が来た。初めての曲は、「おばんざいTOKYO」。カイちゃんとべにちゃんが詞を書いてくれた。歌詞の中に「タンタンメン」とあったので、「担々麺(タンタンメン)と湯麺(タンメン)どっちが好き?」と2人に聞いたら、「タンメンって何ですか?」と返ってきた。いまの若い子はタンメンを知らないのだろうか…。こうしたすれ違いを僕の語りとして曲に盛り込んだ。

そしてCDが発売されると、「元『たま』の石川浩司、まさかのアイドルデビュー」という芸能ニュースになってしまい、スポーツ新聞などで報じられた。

ライブは持ち歌が少ないので、僕がリヤカーにふたりを乗せて登場したり、座った椅子が壊れて僕が転げたり、縄跳びで舞台を駆け回るなどのコント的な要素の多いステージを行った。

こんな感じで楽しくアイドル活動をしていたのだが、困ることもある。アイドルがたくさん出るイベントでは、他のグループもみんな若い女の子ばかりで、楽屋で着替えもする。当然僕は中に入れない。本番までひとり、トイレの前で怪しいオッサンがじっとランニング一丁でブルブル震えて待たなければならないのだ。

最近はカイちゃんとべにちゃんが、ソロ活動やアイドルユニットの仕事が忙しくて実質お休み状態なのだが、まだ解散してるわけではない。アイドルの僕が見たい人は待っててね。キャピッとかわいい笑顔を見せるよん!

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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