初めて路上演奏をしてから40年、いま僕が思うこと(元たま・石川浩司の「初めての体験」5)

異国の地でも路上演奏(イラスト・古本有美)

はじめて路上演奏をしたのは1981年頃、僕が19才のときだった。時は60年代の「フォーク集会」と80年代後半の「ホコ天」との狭間で、路上で演奏している人は皆無な頃だ。

当時の僕は、進学のために上京したもののろくに学校には通わず、自作の曲を作っては路上で弾き語りをしていた。

「犬が死んでたぜぇぇぇ~ 内臓がグニュッ」
「カイボーするなら公務員~」
「おいしい嘘を私に食べさせてぇ~ プップクプ~」

池袋駅前の一角で、このような奇妙な曲を歌っていると、通りすぎる人がギョッとしたりして、それがちょっとした快感だった。

自分の歌を聴いてもらいたいという衝動

でも、時にはちょっと怖い関係の人や目付きのおかしい人、おまわりさんから声をかけられることもあり、緊張感のある弾き語りだった。街で歌う、ということはそういうことだった。

現在は路上ライブをデビューの作戦とする人も増えて、電源を引き、きちんとしたPA(音響設備)を使い、大きな立て看やノボリなどを立てて演奏している様子を見るようになった。なんなら事務所に所属している人たちが、宣伝のためにわざと路上で演奏しているケースもある。

しかし、僕が路上演奏をしていた頃はPAなんてもってのほか。生声・生ギターで、投げ銭をもらうこともせず、冬場に「寒いでしょう、がんばってね」とホットコーヒー缶が差し入れられるくらいがせいぜい。路上演奏でメジャーデビューできるとは夢にも思わなかった。とにかく自分の歌を聴いてもらいたいという、初期衝動だけでやっていたのだ。

ネパールで路上演奏

その後「たま」というバンドを組み、メジャーデビューするのだが、ひょんなことからネパールにツアーに行くことがあった。

向かったのは、ジャパというインドとの国境付近にある小さな町。「地球の歩き方」にすら地名が載っていないような場所だ。ジャパのフェスに出るために向かったのだが、宿泊先のホテルから前の道を覗いてみると、絵に描いたようなヘビ使いが大道芸を披露していた。

フェスの本番は夜。昼間は時間が空いていたので、「せっかくだからオレたちも本番前の肩慣らしに、いっちょ路上で演奏してみっか!」ということになった。僕らは簡単なセットで道端に楽器を準備した。

すると、みるみる人が集まってきた。「こりゃいい感じだな」と思って、「デキソコナイたちの行進がゆくよ~」と、ちょっと陽気な感じの曲を演奏した。みんなジッと熱い視線で見てくれている。

「ダンニャバード!(ありがとう)」

1曲が終わり、そう言ってニコヤカに一礼した時、異変に気づいた。誰も拍手をしてない。それどころか、大勢の男たちが睨むようにこちらを見ている。緊迫した空気が張り詰めている。

筒井康隆の「熊の木本線」という小説を知っているだろうか。男が旅先である村に迷い込んで歓待を受ける。宴会で村のみんながひとりずつ即興で歌詞を変えて歌う「熊の木音頭」で大いに盛り上がり、男も「歌え」と言われ、適当な歌詞で歌った。その途端、場が凍りついた。歌詞が偶然にも正調で、それを歌うと大きな災いが起こるといわれる伝説の歌詞だったからだ。

僕はこの小説を思い出し、もしかしたら「それだけはやっちゃ駄目だ」という、その地域の禁忌に知らぬうちに触れたのかもしれないと思った。僕たちは大慌てで楽器をしまい、そそくさとホテルに戻ろうと歩き出した。すると、僕たちの演奏を聴いていた男たちが全員、僕らの後ろに行列になって、無言でついて来るではないか!

後で分かったのは、その村にはまだ「演奏が終わったら拍手をする」という西洋文明の常識が浸透していなかったのだ。悪気があるわけじゃなく、「こいつらまだ何かやるんだろう」と思って、ゾロゾロとついて来てしまったのだ。これはなかなかのカルチャーショックだった。

フランスでも路上演奏

その後「たま」が解散し、「パスカルズ」というバンドでヨーロッパツアーをしている時、パリでオフの日があった。

パリはそれまでにも何度か来ていて、観光地もたいがい見てしまっていたので、近現代芸術のメッカであるポンピドゥー・センター前の広場で、パーカッションをひとりで路上演奏していた。

僕のパーカッションは、湯桶や鍋、ゴミ箱などのガラクタを叩くちょっとコミカルなものなので、そこそこの人が集まってくれた。100円ショップで売っているようなオモチャの笛を吹いたりするので、子供たちもやってきてくれた。

「パスカルズの人ですよね?」と声をかけられた時は嬉しかったなあ。日本では「たまの人ですよね?」はあっても、パスカルズと言われることはまずないからだ。逆にフランスでは、たまなんて誰も知らないのだが。

日本も最近は街によっては規制が厳しいが、路上演奏はよほど風紀を乱すものや歩行の邪魔になるものでない限り、若い人たちの表現発露の場所として今後も残してほしいと思う。路上なのだから、できれば生声で。

有名になったバンクシーの絵じゃなくても、それが生活に根付いた表現の第一歩ではないか、と僕は思うのだ。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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