群馬から東京まで自転車で行ったときの話(元たま・石川浩司の「初めての体験」4)

必死にペダルをこぐ(イラスト・古本有美)
必死にペダルをこぐ(イラスト・古本有美)

中学3年の夏休み最終日の前夜だった。高校受験を控え、いつものように思いっきり遊ぶことはなく、かといって受験勉強をやりきったということもなく、なんだか悶々としていた。

「このまま何もなく2学期に入ってしまっていいのだろうか」

そこで僕は突然思いついた。

「東京まで自転車で行ってみよう」

当時は群馬県の前橋に住んでいた。前橋から東京までの距離は往復約240キロ。電車で4時間の距離だ。これが自転車でどのくらいかかるのかは分からなかったが、僕は決意した。ここで何かをやらないと一生後悔するような気持ちに、突如襲われたのだ。

自転車はいまでいう「ママチャリ」。ごく普通の家庭用自転車だ。「東京にひとりで自転車で行ってくる」と言うと、親に反対されるのは火を見るよりも明らか。そこで僕は、夜に風呂に入るフリをして、そっと風呂場の外ドアから庭に出た。心配させてはいけないので、自室に「本日中に戻ります」という書き置きを残して出発したのだ。

当初はそんなに大変なことだと思っていなかったので、大きなラジカセを自転車のカゴに入れ、ラジオの深夜放送を聴きながら気楽に走ろうと思っていた。しかしその思惑はすぐに砕け散った。夜中の国道は歩行者も自転車もいない。トラックの往来が多く、かなりのスピードで僕のすぐ横を地響きも激しく飛ばしていた。その轟音でラジオの音は全く聞こえなかったのだ。

さらに、郊外に出ると街灯がまったく無い地域もあった。前が見えずに人の家の壁に激しく衝突して、ラジカセが放り出され、何の音も発しなくなってしまった。とはいえ当時のラジカセは貴重品なので、その場で捨てるわけにもいかず、ただの重い荷物として運ばざるを得なくなった。

「愉快なサイクリング」というイメージは微塵もなく、どんどん重くなっていくペダル、手も足も腰も全部鈍痛。こんなはずじゃなかった・・・。

徐々に気持ちも萎えていった。寝てないこともあり、疲労も溜まっていった。夜11時くらいに家を出たが、真夜中の熊谷(埼玉県)で精も根も疲れ果てた。まだ東京まで半分ほどの距離なのに、である。

僕は諦めて列車で家に帰ることにした。「結局僕は何も出来なかった・・・」。駅の待合室にしゃがみ込み、うなだれた。しかし始発列車まではしばらく時間がある。ちょっとうとうとしながら自分の弱さをかみしめていた。虚しい無力感に襲われながら。

それでも東京へ向かう

どのくらい経ったか、朝日が昇ってきた。待合室に光が差し込んできた、その時である。「いや、ここで帰っちゃ駄目だ!」という閃光のような思いが、陽の光とともに湧き上がった。実際は、その待合室での休息で、まだ若かった僕の体力が戻ったのだろう。しかしその時は、まるでドラマのように、何かの啓示を受けたような感覚だった。

重いラジカセをコインロッカーに預け、少し身軽になった僕は、ふたたびサドルにまたがった。

「行ける。・・・行こう!」

そこからは気力だけで東京まで走った。池袋でデパートに入って都会をちょっとだけ染み付けて、また同じ国道17号線を通って帰って来た。夜、家にたどり着き、怒られると思っておそるおそる玄関を開けた僕に、母親は優しかった。

「どこに行って来たの?」
「・・・東京」
「布団敷いておいたから、休みなさい」

それだけ言って、笑ってくれた。

サイクリングの虜に

サイクリングにはまった高校生の頃。髪形も体形もいまとは全く違う
サイクリングにはまった高校生の頃。髪形も体形もいまとは全く違う

それ以降、僕はサイクリングの虜となった。高校生になると、庄司としおの『サイクル野郎』という人気漫画に感化され、サイクリング車を買っていろんなところに出かけるようになった。自転車の車種やメカにこだわる人も多かったが、僕は「無料で旅に出られる」という要素が気に入った。当時はどこでも行ってみたい年頃だったのだ。

佐渡ヶ島を自転車で一周した時は、無人のバス待合所に野宿した。トイレもないし、誰も来ない田舎だからと、夜に近くの真っ暗な野原で野糞をしていた。すると突然、ガヤガヤと大勢の人の声がして、懐中電灯でサッと僕の野糞姿がさらされた。

「うわっ、こんなところに幽霊の団体!?」と思ったら、その日は山の神社で盆踊りが行われるらしく、村の人々が人通りのない道を歩いてきたのだ。そこで、変なところにしゃがみ込んで、尻を出している僕を見つけ、何かと思って灯りを照らしたのだった。

その他にもこんなことがあった。群馬と長野の間の白根山という山を自転車で越えようとした時のことである。かなりの急坂で、自転車をこいで上るのは無理だと考え、押しながらヒーコラ上っていたら、交通標識の下にでっかい文字で注意書きがあった。

「この付近、火山の有毒ガスが発生しています。車の窓を閉めてなるべく早く通り過ぎてください」

おひおひ、自転車に窓は無いよ。

そういえば草津温泉に近いこのあたりは、硫黄の臭いが激しい。心臓をバクバクさせながら、命からがら走り抜けた。ちなみにその数年後、近くにハイキングに来ていた高校生が有毒ガスで死亡した事故があった。本当に危機一髪だったのである。

「たま」が3つになった話

このようにサイクリングの虜になった僕が、最も長距離を走ったのは、群馬から徳島までを1週間かけてひとりで走った時だ。実はこの旅の途中、京都で交通事故にあった。坂道を直進して下っていると、坂道の下にある交差点で急にタクシーが右折したのだ。僕はタクシーのボンネットに自転車ごと乗り上げ、下半身を強打した。自転車の前輪の泥除けもふっ飛ぶ衝撃だった。幸い頭は打っておらず歩ける状態だったので、すぐに運転手さんと一緒に交番に行った。

するとそこは百戦錬磨のタクシー運転手さん。交番につくと、すぐにおまわりさんに「いやあ、自転車に急に突進されて。ブレーキかけてなかったんじゃないかな。まいりましたよー」と話し始めた。

いま考えれば直進の僕と右折の運転手さん、自転車と車と、どう考えても相手が不利なのだが、そこは事故慣れしているのか、まんまと口車に乗せられてしまった。田舎の高校生だった僕も、初めての交通事故に動揺してしまい、頭が真っ白だったため、何も言うことができなかった。「ボンネットもちょっとヘコんだようだけど、そこは勘弁してあげますよ」などと完全に僕が悪者扱いになってしまい、おまわりさんにもそう調書を取られてしまった。

しかし交番を出たところで僕は股間に激痛を覚えた。そのことを運転手さんに言うと、さすがにまずいと思ったのか、「じゃあ、そこに整形外科があるから行ってみて。あ、事故にあったというと保険が効かなくて高額な料金を請求されるから、転んだと言った方が絶対いいよ」と、いま思うとヒドい忠告をされたが、素直に信じて病院の門を叩いた。

診察の順番が来て、お医者さんに「じゃズボン・・・パンツも下げて患部を見せてください」と言われ、恥ずかしい部分をお医者さんの前に晒した途端、ものすごい異変に気がついた。

たまが、みっつになってる!?

昨日まで十数年間ふたつしかなかった僕のたまが、みっつに増えている。僕は新人類になってしまったのか。

「こっ、これは!?」

「ちょっと触るよ・・・。ああ、これは激しい衝撃によって、中の静脈が破裂してこんなに腫れて膨らんじゃったんだね」

「静脈破裂! どうなるんですか?」

「まぁ安静にしていれば数日で治るのでそんなに心配はないけど・・・あと数センチずれていたら子どもは持てなかったよ」

見た目ほど大きいけがではなかったが、まだサイクリングの途中。自転車をこぐのはなんとか大丈夫だったが、サドルにまたがったり降りたりする時に激痛が走る。足を大きく広げられないのだ。

そこで、自転車に乗り降りする時は、近くの電信柱に自転車を横付けして、電信柱にガジガジとよじ登ってそこから静かにサドルにまたがった。降りる時も電信柱に「やっ!」と飛びついて、少し登ってから地面に着地するという、はたから見たら、何とも奇妙な儀式のようなことをしてサイクリングを続けた。

その後、数日でたまの腫れもひいて、なんとか無事に帰ることができた。もっともその一度引っ込んだみっつ目の「たま」は、その数年後、バンドとして僕の前にふたたび現れ、人生の礎(いしずえ)となってくれたのだった。

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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