大阪駅、謎の地下通路「空襲を避けて郵便を運んだ」伝説をたどって(前編)
大阪・キタの玄関口、JR大阪駅。
1874(明治7)年開業。JRの大阪環状線や京都・神戸線のほか、阪神、阪急、大阪メトロ御堂筋線などの主要鉄道路線が乗り入れ、阪神や阪急、大丸などの百貨店もここに集まっています。堂島や北新地、中之島などの繁華街・ビジネス街も徒歩圏内です。
2011年に大幅にリニューアルされ、銀色の巨大な屋根が近代的な印象を与える大阪駅ですが、「謎の地下通路がある」と聞いたのは、かつてJR西日本に勤めていた知人からでした。
私自身、関西は転勤で6年以上住んだことがあり、大阪駅も何度となく利用しましたが、初めて聞く話でした。実際に見てみようと、現地に向かいました。(取材・吉野太一郎)
駅員は首をひねるばかり
JR西日本の広報担当者の案内で大阪駅の駅事務室に行きましたが、駅員さんは首をひねるばかり。「もしかしてあれのことかなあ」と向かったのが、駅の西端にある「桜橋口」。
改札をくぐった場所に、地下に向かう階段への扉があります。
階段を降りたところは、配管が並ぶ通路。今はコンクリートの壁で遮られている向こう側に、駅のすぐ隣の「大阪中央郵便局」局舎への通路があったといいます。
「昔は鉄道で郵便を運んどったやないですか。あくまで職場に伝わる言い伝えなんですけどな、戦争中に、空襲で郵便物が燃えないように、地下のトンネルを掘って、駅から郵便局まで持ってったらしいですわ」
へえ!ほんまでっか、そらおもろいでんな。ベテラン駅員さんの説明に、思わず怪しい関西弁で相づちを打ちました。
ただ、これはあくまで「言い伝え」。太平洋戦争が始まる前の1939(昭和14)年に完成した大阪中央郵便局の旧局舎には、駅への地下道が当初から計画されていたとみられます。
完工当時の資料には、建築費として「地下道 23936円75銭」や「局駅間の連絡は主として専用地下道に於ける搬送機械設備の完備並に補助的なる貨物線の利用に依りてなされる予定」という記述があります(注1)。
今はなき「大阪鉄道郵便局」
線路脇に立っていた大阪中央郵便局の局舎は、鉄道郵便を扱う「大阪鉄道郵便局」が同居し、貨物列車の引き込み線が設けられるなど、鉄道との連携を重視していました。当時の局員の話を総合すると、駅と郵便局を結ぶ地下道は、国鉄の分割・民営化を前に「鉄道郵便局」が廃止される1986年まで使われていたようです。
大阪駅には、大阪環状線を除く全てのホーム西端にエレベーターがあり、地下通路に直結していました。駅に郵便を積んだ貨物列車が来ると、待機していた郵便局員が地下に降ろし、多いときで10台ほどの台車を連結した電気自動車(カート)を運転して郵便局に運んでいました。(注2)
「自転車をこぐくらいのスピードで、1分もかからんくらいの距離やった。ほぼまっすぐの道。鉄板が敷き詰められていて、薄暗かったねえ」。入局してすぐ、1983~86年にカートの運転を担当していた上口智広さん(58)=現・新大阪郵便局第2ゆうパック部総括課長=は当時を振り返りました。
旧局舎は2012年に解体されました。大阪中央郵便局によると、地下通路もそのときに埋められ、現在は残っていません。
(注1)「大阪中央郵便局」新局舎設立大要より抜粋。原文はカタカナ。『大阪の歴史』34号(1991年)を参照しました。
(注2)当時の大阪鉄道郵便局員として、上口さんのほか、浜田正勝さん(1978年採用)、嶋野晃雄さん(1980年採用)にもご協力頂きました。ありがとうございました。