6畳ワンルームのカプセル暮らしとは? 中銀カプセルタワーで一人暮らし

メタボリズム。それは、太ったおじさんたちの華麗なダンスーーなどではなく、1960年代に提唱された建築理論をいいます。メタボリズムが盛んだったのは、もう50年以上も前の話ですが、「建物も新陳代謝していくべきである」という精神を体現するビルは、いまも残っています。その代表的なもののひとつが、東京・銀座にある「中銀カプセルタワービル」です。

「中銀カプセルタワービル」が完成したのは1972年。設計したのは建築家・黒川紀章さん(故人)で、直方体のカプセルを積み上げたような外観をしています。カプセルは全部で140あり、それぞれが6畳ワンルームほどの部屋になっています。これは「古くなったらカプセルを交換する」という大胆な発想のもとに作られた集合住宅なのです。

東京・銀座の一角に立つ中銀カプセルタワー

一生に一度、銀座に住んでみたかった

しかし諸事情から、カプセルはこれまで一度も交換されたことはありません。老朽化が進み、建て替えの動きもあるこのビルに、住み続ける人たちがいます。そのなかのひとり、IT企業に勤める村中健一さん(29)に、このビルを選んだ理由やカプセル内での暮らしについて、聞いてみました。

ーーいったいどういうきっかけで、ここに住み始めたのですか?

村中:大学進学で地元・大阪から上京したのを機に、東京で単身赴任していた父親と暮らすようになったんです。そのまま8年間一緒に住んでいたんですが、そろそろ家を出ようと思いたったとき、会社から近い場所でネット検索してひっかかったのが、ここだったんです。

ーーでは、このビルのことを知っていたわけではなかったんですね。

村中:ランチでこのあたりを歩いたとき、「変わった建物があるな」とは思っていました。調べてみたら、すごく有名な建物。そういうところに住める機会ってなかなかないだろうと思ったのと、あとは「銀座」という立地ですね。一生に1回くらい銀座に住んでみたいなってのもあって、内見で即決しました。面白そうだなと思ったらすぐ決めるタイプなので、他の物件は見ていません。

ーー勢いで決めて、結果はどうでした?

村中:住んでみるといろいろ課題はあったんですけど、1個1個クリアしていくと、けっこう住みやすいじゃんって。なんやかんやで3年くらい住んでいます。


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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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