「日本の歌が好き」 ロシア生まれのアメリカ人が語る演歌と歌謡曲の魅力
「伊勢佐木町ブルース」、「みだれ髪」、「恋の季節」、「夜明けのスキャット」……。アルツロさんこと、アーサー・スチューキンさん(31)は、これら昭和に流行った演歌や歌謡曲の大ファン。聴くだけではなく、歌うことも大好きだといいます。最近はあまり聴く機会がない演歌や歌謡曲ですが、ロシア生まれ、ニューヨーク在住のアルツロさんにとって、その魅力とは何なのでしょうか。
「伊勢佐木町ブルース」に魅せられて
「初めて『伊勢佐木町ブルース』を聴いたときは、『あ、あ〜』というイントロで始まる変な歌だと思いました」というアルツロさんですが、それから1、2年たった頃にはすっかり日本の歌謡曲や演歌にハマっていました。「日本の演歌はacquired taste(好きになるのに時間がかかる)だと思います。音楽の好みには人生が投影されますから、僕も年をとって好みが変わってきたということでしょうね」
1968年にリリースされた「伊勢佐木町ブルース」は、今ではアルツロさんが最も愛する歌謡曲。そして、この曲を歌った歌手、青江三奈(2000年死没)は最も敬愛する歌手です。「声が好きなんです。青江三奈の声は独特で、とても魅力があります。悲しい曲を彼女は微笑みながら歌っている。感情を隠して微笑みながら歌うなんて、なかなかできませんよね」
青江三奈の持ち歌だけでなく、彼女が選んで歌う曲はどれもとても気に入っており、青江三奈がカバーした「あなた」は小坂明子が歌うオリジナルよりもいいと絶賛。甘いラブソングに、あのハスキーボイスが意外にもよく合うのだといいます。
青江三奈ゆかりの地を訪ねる
去年、念願かなって初の日本の旅が実現。アルツロさんは青江三奈の歌にゆかりのある場所を次々と訪れました。青江三奈の歌に限らず、多くの歌謡曲に登場する横浜がどんなところか見てみたいと横浜に行き、伊勢佐木町では青江三奈のモニュメントの前で記念撮影しました。
さらに、これも青江三奈の歌である「長崎ブルース」の舞台、長崎も訪問。丘の上に立って街全体を眺めて感慨にふけりました。
「丘に立つと隣の丘がすぐ近くに見えました。美しい街で、夜景は特にきれいだった。でも、街は小さくて、建物にもあまり色彩がなく沈んで見えて、それが僕には寂しく映りました。長崎が好きだからそう感じたのかもしれない。長崎の歴史のことも考えました。どうして長崎を歌った曲がこんなに多いのかわかりませんが、この街の人たちを元気づけたくて、たくさん長崎の歌が生まれたんじゃないかと思いました」
演歌は希望をくれる
青江三奈の曲以外にも、美空ひばりや坂本冬美などの演歌が大好きなアルツロさん。その理由を聞いてみると……。
「演歌の歌詞は悲しいものが多い。どうして僕は悲しい曲が好きなのか、自分の心の深いところまで降りていかなければわからないけど、悲しかったり寂しかったりすると、演歌のような悲しい歌が好きになるんじゃないでしょうか。でも、悲しい歌は力を与えてくれる。演歌を聴いていると、体の奥から希望が湧いてくるような気がするんです」
アルツロさんが演歌と出会ったのは12年前ですが、演歌に関心を寄せる下地はすでにありました。子どもの頃からお母さんの影響で日本の映画をよく見ており、アメリカに来てからは日本人の友だちに日本関連のイベントに連れて行ってもらったり、ジャパニーズ・ロックを紹介してもらったり、日本のアニメやドラマを見る機会も増えました。「ドラマでは山P(山下智久)のドラマが好きです。日本人が経営するヘアサロンに行って、山Pのヘアスタイルにしてもらったこともあります(笑)」
日本の音楽や映画、ドラマを見て、日本人と付き合ってみて、アルツロさんは「日本人はとてもdiscipline(自制心がある)だ」と思うようになりました。「日本人のそういうところにとても共感したし、そういう人たちのいる環境で暮らせたらいいなと思います」。子どもの頃から日本文化に親しんでいた経験や、大人になってからの日本人との付き合いは、演歌に歌われている日本人の心を理解するのに役立ったに違いありません。
和製洋楽の魅力
「夜明けのスキャット」や「恋の季節」などの昭和の歌謡曲も好きだというアルツロさん。「洋楽っぽいんだけど、本当に洋楽かというとちょっと違う。そこがいいんです。『恋の季節』は母と一緒に映画で見て好きになりました。あの帽子とステッキというスタイルがいいですね」。アルツロさんは60〜80年代の日本の音楽が好きですが、中でも1969年という年はスペシャルな年なのだとか。「『伊勢佐木町ブルース』、『夜明けのスキャット』、『長崎ブルース』、『夜の池袋』など、僕が大好きな歌が流行った年ですから」
また、洋楽と演歌の違いについては、こんな例えで説明してくれました。
「洋楽はオープンな感じですが、演歌は歌詞もパーソナルなものが多く、心に秘めた思いを歌っていますね。演歌は僕の心の琴線に触れるんです。日本の歌を歌うときと洋楽を歌うときとでは感情が全く違う。また、日本の歌を歌うときはイマジネーションが必要ですが、洋楽には必要ありません。日本の歌を本に例えるとするなら、洋楽は映画。本を読むときは想像力を働せて読みますが、映画はビジュアルがあるからわかりやすいので、想像力を働かせる余地がない」
アルツロさんは独学で日本語を勉強したため、カラオケで歌詞を見ればおよそ歌の内容がわかりますが、言葉が理解できるだけでは演歌を味わうには不十分。情景を思い浮かべたり、歌詞の中の人物に共感できるだけの人生経験や想像力、感性があって初めて、演歌の世界に浸ることができます。これは、若いときには洋楽に夢中になっていたのに、人生経験を経て、気がつくと演歌が好きになっていた、という日本人にも思い当たることではないでしょうか。
アルツロ演歌の誕生
ところで、アルツロさんは日本の演歌や歌謡曲を聴いたり、CDやレコードを集めたりしているだけではなく、カラオケや自分のアパートで歌うのも好きです。本人は「好きで歌っているだけ」と謙遜しますが、人に聞かせないのはもったいない歌声です。
アルツロさんのやや甲高い声は不思議な味があり、「伊勢佐木町ブルース」は青江三奈の歌とは違う「伊勢佐木町ブルース」に、「夜明けのスキャット」は由紀さおりのものとは違った魅力を持つ「夜明けのスキャット」になるのです。曲に忠実に歌いながらも、青江三奈でもなく、由紀さおりでもない、アルツロ演歌、アルツロ歌謡ともいうべき、独特の世界が生まれます。
筆者はこれまで演歌には全く興味を持ったことがなく、「伊勢佐木町ブルース」を聴いても、昭和の歌姫、美空ひばりの「みだれ髪」を聴いても、少しも気持ちが動きませんでした。しかし、アルツロさんの「伊勢佐木町ブルース」や「みだれ髪」を聴いて、これまで気づかなかった演歌の魅力に気づき、アルツロさんの「夜明けのスキャット」にシビれました。今まで聴いたことがある演歌や歌謡曲とはどこか違うのですが、ちゃんと日本人の心に届く、そんな印象を受けました。