おひとりさまに必要なのは「人とつながる力」 超ソロ社会を生き抜くコツとは?

博報堂ソロもんLABOリーダーの荒川和久さん(撮影・齋藤大輔)
博報堂ソロもんLABOリーダーの荒川和久さん(撮影・齋藤大輔)

50歳までに一度も結婚したことがない人の割合を表す「生涯未婚率」。2015年の国勢調査の結果、男性は23.4%、女性は14.1%に達しました。この数字は増加の一途を辿っており、2035年には、男性が29%、女性で19.2%になると推計されています。こうした一度も結婚しない人に加え、離婚でひとりになる人や死別でひとりになる人も含めると、2035年には、人口のおよそ半分が独身になると言われています。

もはや「ひとりが当たり前」の社会が目前に迫っていますが、私たちはどのように向き合えばいいのでしょうか。こうした社会の現実をつづった『超ソロ社会「独身大国・日本」の衝撃』(PHP新書)の著者、荒川和久さんに「ひとり」で生きていくためのコツを聞きました。

多様な価値観の重要性と二元論の罠

――超ソロ社会を迎えるにあたり、独身のあり方について意識を変えていくべきなのでしょうか。

荒川:「○○すべき」と考える必要はありません。結婚して、子どもを産んで、家族と共に暮らすという従来的な価値観がいいと思っている人はそうすればいいし、結婚しないで独身でいたいという価値観を持っている人はそうすればいいんです。それぞれが、それぞれの人生を生きればいいと思います。

――それぞれの生き方、つまり多様性を認めることが重要ということですね。

荒川:フラットに考えれば、世帯をもって家族4人で暮らしていても、1人で暮らしていても、人間は1人ですから。なぜ「家族」というトライブ(種族)と「ソロ」というトライブを分けるのかがわかりません。そういうことを言いがちなのは、家族を持っている人が多い。「結婚すべき」だとか、「結婚してないやつは一人前じゃない」みたいなことを言って、対立論になってしまうわけです。

人生は人それぞれなのだから、1人で暮らしていても、結婚して子どもがいても、どちらでもいいんです。それにもかかわらず、あえて分断しようとしているように感じます。今いろんなところがそうした分断思考によって無駄な対立構造を作っています。みんな違って当たり前なのに、相容れない考え方を攻撃するわけです。自分が不快に思うもの、自分が嫌いなものをこの世から排除しようとする。こうしたいきすぎた二元論は、危険だと思います。

――善か悪かといった二元論はたびたび耳にしますね。

荒川:「孤独は、1日にたばこを15本吸うことに匹敵するほど、健康に悪影響がある」という研究結果が発表されたり、イギリスに孤独担当大臣が新設されたりしました。このように、「孤独ではいけない」ということを定説として語る人たちがいます。そういう人たちは、『孤独のグルメ』や『極上の孤独』など「孤高」を描いた作品には批判的です。どうして自分が善で、相反する考えを悪だと決めつけてしまうのでしょうか。

もちろん、孤独によって苦しむ人もいます。しかし、一人でいることが快適だと感じ、あえて孤独でいる人もいるのです。孤独といっても、色々な人がいるわけで、状態として孤独であることを一括りにしてもしょうがないと思います。

先に述べたような「孤独ではいけない」と考える人たちは、「孤独」という状態を解消すれば「孤独感」は無くなると考えていますが、それは大きな間違いです。本当の孤独感や孤立感は、集団の中にいて、周りから疎外されている時こそ感じるものなのです。つまり、会社や学校などの集団の中で孤立してしまうことが、本当の孤独なのです。

――つまり孤独感は集団の中にいて感じるものということですね。

荒川:孤独感を解消するために、コレクティブハウスに住んだり、趣味のサークルに入ったりすることを勧める人がいますが、それって「状態としての孤独」を解消すれば、「孤独感」が無くなるという表層的な考えだと思うんです。無理に誰かと一緒に住んだり、誰かと友達になったりする「形だけの集団への所属」は、むしろ孤独を強く認識させてしまうかもしれません。それこそ、一人でいた時には感じなかった孤独を、集団の中に所属してはじめて感じてしまう人もいるでしょう。

「自分の中に多様性を育てる」

――どこの集団にも所属しなければ、孤独は感じないということでしょうか?

荒川:そうではありません。自分の中に多様性を育てることができれば、孤独は感じないのです。多くの人は、自分の中に「核」となる唯一無二のアイデンティティがあり、それはゆるがないものである、と考えています。しかし、本当の自分というのはありません。言い換えると、本当の自分は1人じゃないのです。

一生涯、母親としか接触しなかったら、1人の自分しかいないかもしれませんが、人間は生きていく中で、いろんな人と出会い、関係を持ちます。その関係性を持った人たちと向き合うことによって、その都度、新たな自分が生まれているのです。それが積み重なって、自分は作られているはずなのに、得体の知れない「核」というものがあると信じているので、ある集団から疎外され、その「核」が破綻してしまったら、自分までなくなると思ってしまうわけです。

――それでは、どうすれば自分の中に「多様性」を育てることができるのでしょうか?

荒川:いろんな人と出会うことによって、自分の中に10人、20人、100人の自分を作ればいいんです。たくさんの人と話して、自分の中に「八百万(やおろず)の自分」というものができれば、たとえ「1人の自分」がなくなっても、自分を見失うことはありません。ソロで生きる力とは、自分の中の多様性を育てることです。逆説的ですが、人とつながる力なんです。人とつながればつながった分だけ、自分の中の自分は充満していくわけですね。

社会学者のバウマンやベックが予言していますが、家族や地域、職場など「所属するコミュニティ」は、ことごとく消滅していきます。社会はどんどん個人化していくのです。こうした中、特定のコミュニティに所属することで安心感を求めていると、ゆくゆくは孤独を感じることになるでしょう。そのため、コミュニティというのは、所属するものだけではなく、接続するものでもいい、と考えてほしいのです。「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へと視点を変えてみるということです

「所属するコミュニティ」から「接続するコミュニティ」へ

――「接続するコミュニティ」とは、どういうものでしょうか?

荒川:職場やオンラインサロンなど既存のコミュニティだけではなく、一冊の本でもいいわけです。「接続するコミュニティ」という点では、本もコミュニティになるんです。神経伝達系のシナプスみたいなもので、その本を読んだ時に、その本を読んでいる他の誰かと実はつながっているんです。「接続するコミュニティ」とは、そういうことです。

画像提供:荒川和久

オンラインサロンやクラウドファンディングなど、ネットはみんな「接続するコミュニティ」ですよね。SNSも見ず知らずの人とつながるわけじゃないですか。顔も知らないし、本名も知らない相手と交流する場合もあるわけです。リアルな場面でも「接続するコミュニティ」はあります。飲み屋やスナックなんかはまさにそうです。隣のおじさんと話してみたら気があったみたいな。一人旅にもそういう機会はありますよね。一人旅をして道に迷ったときに、見ず知らずの人に道を聞いた瞬間につながりは生まれるわけです。

多くの人はまだ、どこかに所属しなければいけないと思っています。例えば、会社に所属して働いていないからダメだとか、結婚していないからダメだとか、子どもがいないからダメだとか、みんな「所属するコミュニティ」という既成概念の中で、自分が一定の基準に達してないからダメだと自己否定しがちです。しかし、コミュニティが「点」であると考えれば、全てのものがコミュニティになるんです。つまり、「接続するコミュニティ」というのは、人であったり、本であったり、ネットの世界だったり、ありとあらゆるものがコミュニティだと思ったら、とても安心しませんか、ということなんです。

「ソロで生きる力」とは「人とつながる力」

――コミュニティを点と考えれば、皆がいろいろなコミュニティに接続していると考えられますね。

荒川:点は弱いと思われがちですが、点が集まれば線になり、面になるんですよね。それを作っていくのが、コミュニティに接続した八百万(やおろず)の自分なのです。これこそがソロで生きる力であり、精神的な自立心が培われた、ということだと思うんです。「ソロで生きる力」とは、「人とつながる力」なんです。

孤独を悪にしたがる人が、実は一番孤独なんだと思います。ソロで生きる力が養われていないから恐怖心があるのです。コミュニティに所属することで得ることのできる安心感を否定するわけではありませんが、接続することで得ることのできる安心感も知ってほしいと思います。色々なコミュニティと接続することで、新たな自分が生まれるということを意識すると、自然と、人とのつながりを大切にするようになります。いずれ訪れるソロ社会を生き抜くために、人とのつながりを大切に考えてほしいと思います。それは、自分とつながることでもあり、自分を大切にすることにつながるからです。

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