万年筆の王様「モンブラン」に憧れて ベタへの抵抗と王道の魅力
大人になり、そろそろ本格的な万年筆がほしいと思ったとき、はじめに頭に浮かんだのはドイツのブランド、モンブランが出しているマイスターシュテュックというシリーズだった。これは、いわば万年筆の王様的な存在である。ただ、あまりに王道すぎる選択なのがいやだったのか、結局買ったのはペリカンというブランドの万年筆だった。しかし、それから十数年経って、とうとうモンブランを手にすることになった。
モンブランはベタすぎると思ってしまい…
世の中に万年筆は無数にあり、コレクターもたくさんいらっしゃるマニアな世界ではあるが、そのなかでもまず筆頭に上がるのがモンブランのマイスターシュテュックだということに異論を唱える方はそういないのではないだろうか。実際のクオリティ云々について深入りは避けるが、その存在感だけでも、この万年筆には王道の香りがする。車で言ったらメルセデス・ベンツ、時計だったらロレックスといったところだろうか。もし万年筆番付というものがあるならば、間違いなく横綱に入ってくるであろう存在なのである。
ただ、あまりに王道すぎるため、当時の私はややベタな印象を持ってしまい、手に入れるのを躊躇した。何本か万年筆を持っているうえで、もちろんモンブランも押さえてますよというのならいいが、モンブランしか持っていないとなると、それしか知らない人のように映るのではないか。ロックといえばビートルズしか知らない人のように(そんな人はほとんどいないと思うけど)。そんなことを勝手に意識してしまい、当時の私は”ファースト万年筆”にモンブランは避け、ペリカンにした。
とはいえペリカンも十分に王道な存在なので、いずれにせよミーハーな選択に違いない。ビートルズではなくローリング・ストーンズを選んだようなものである。どっちもどっちなのだが、モンブランの方が「いかにも感」がある気がして、それを避けてしまったのだった。
王道が放つオーラと向き合う
それから十数年が経ち、もっと本格的に文章を書こうと決意したときに、万年筆を新調することにした。私は何事も形から入る人間なのだ。
もう私の心は決まっていた。今度こそ、モンブランのマイスターシュテュックを買おう。
あまりにベタすぎるということで勝手に避けていたが、ベタにはベタの、王道には王道と呼ばれるだけの何かがある。それは、品質や性能はもちろんのこと、世界観だったり歴史だったり、ブランドが持つストーリーがある。さらに万年筆の場合、それを愛用していた人々の存在が、その物語を強固にする。モンブランの愛好家といえば、日本でも三島由紀夫や松本清張、開高健などの作家が名を連ねている。
かつて20代だった自分にとってモンブランが気恥ずかしく思えたのは、それがベタな選択だと感じたこともあるが、それ以上にこのブランドが放つオーラに対する照れのような感覚があったのだと思う。要するに、自分にはまだ早かったのだ。
40歳を過ぎ、今ならモンブランにふさわしい存在になれたとは、決して思えない。とんでもない話である。しかし、気恥ずかしさはだいぶ取れた。今でもちょっとは残っているけど、まあもう使ってもいいでしょ、という感じだ。
149か146か、それが問題だ
モンブランのマイスターシュテュックという万年筆には、限定版も含めたくさんの種類がある。最もメジャーなのは149と146というシリーズであろう。両者ともまさに、「THE 万年筆」といったフォルムである。万年筆と聞いて多くの人が思い浮かべるイメージそのものを体現したような、まるで万年筆のイデアのようなデザインである。
149と146の違いは、ひとことでいうと大きさである。149はでかい。実際に持ってみると、けっこう大きいなという印象である。それだけに存在感もあるし、安定感があって書きやすい。
146のほうが日常的に使いやすいサイズである。実は、初めに万年筆が欲しいと思った20代そこそこの頃から、買うとしたら149にするか146にするかをずっと迷っていた。それこそ銀座の文具専門店、伊東屋やモンブランの正規店に行って実物を握っては、うんうん唸っていたものである。
いざ買おうとお店に行ったときも、やはり迷った。相当迷い、試し書きをさせていただいては、うーん、どっちも捨てがたいんだよなと腕組みし、店員さんを困惑させてしまった。それで結局は、持ち運びのしやすさ、使い勝手の良さをとって146を買った。ペン先は太めにした。
思わず使いたくなる相棒
実際に使ってみると、やはり良いものだった。作家気取りでお気に入りの原稿用紙(満寿屋)を広げ、さらさらと書いてみるとこれが実にいい。ちょっとインクが出過ぎかなというところはあるが、ヌメヌメとペン先が滑り、ペン軸は指にフィットして、単純に書いていて気持ちがいい。
道具にとって大事なのは、「思わず使いたくなること」だと常々考えているが、まさに使いたくなる相棒と言える。
そうこうしているうちに、モンブランが持つ王道の力に魅了され、やっぱり149もいいなという思いが日に日に大きくなり、とうとう149も買ってしまった。お財布はかなり痛んだが、もう二度と万年筆は買わないと自分に誓うことにした。昔買ったペリカンの万年筆も含め、その日の気分や書く内容によってそれぞれ使い分けている。
王道を選ぶことの気恥ずかしさを感じつつも、王道にはやはりそれだけの理由があるわけであり、それはそれで真摯に受け止め、己の中に取り込んでいきたいと思うのだ。