ビーズの沼へようこそ! 不器用な私が「ビーズ手芸」にハマった理由

もともと、手芸のたぐいは大の苦手であった。

小学校の家庭科の授業でお裁縫をやったとき、初歩中の初歩である「玉結び」ができなかった。人差し指の先に糸をくるくるっと巻きつけ、それを親指で下から上に押し上げて糸先を引くと、くだんの玉結びはできるはずである。しかし、何度やっても玉にならない。

縫い終わった後に施す「玉留め」も同様で、針の先に糸を巻き付けて、指で押さえながら針を抜くとそれはできているはずだが、私の場合、皆のようにしかるべき場所に玉ができず、いつも生地から離れた、変な場所にそれはできているのだった。クラスメイトたちは難なくその先へ進み、可愛い布小物やエプロンを縫い上げていたというのに。

このときに生じた強烈な苦手意識は、アラフォーとなった今でも薄まることがない。いまだにお裁縫は苦手だ(というかできない)。雑巾は古タオルを切ってそのまま縫わずに使うか、もしくは100均で買う。ボタン付けくらいは…と思うが、それもなかなかできない。

編み物も同様で、「好きな先輩に手編みのマフラーをプレゼントする」という青春時代を過ごすこともなく、ここまできてしまった。

そんな私が、せっせとビーズでアクセサリーを作っては、ひとり悦に浸る日がこようとは、夢にも思っていなかった。

自分で作れば「アレルギー対応」のアクセサリーができる

今から10年以上前のことだ。

仕事が早く終わり、新宿の駅ビルの中をひとりでぷらぷら歩いていると、いつもは気にかけたことのなかった店舗が、ふと目に留まった。ビーズの専門店だった。ガラスビーズや天然石、それらをつなぐ金具などが、きらきら光って並んでいる。

私は以前からピアスに憧れていたのだが、金属アレルギーがある。アレルギー対応のピアスは品数も限られていて、なかなか気に入るものが売っていなかった。アレルギーがなければ、いろいろ選べるのになあ。ずっとそんなふうに思っていた。

「そうか、自分で作れば、いくらでもアレルギー対応のものができるんだよな」

ビーズ屋さんの前で、そのことに気づいたのだ。

棚に並んだ品々を見ると、一つひとつは決して高いものではない。必要な工具と、ビーズ類を2、3点買って帰った。

この日を境に、私はビーズに魅了されていった。

「自分は不器用だ不器用だ」とずっと思っていた私でも、最初からそれなりのものができるのだ。ビーズはビーズである時点ですでに、一つひとつが美しい。

小さな、色とりどりのガラスの粒に光が差し込む。ちょっとした色や形の違いでも表情が変わり、いくら見ていても見飽きることはない。ビーズ一つをピアスパーツにつなげるだけで、じゅうぶんなのだ。それだけで、じゅうぶんきれいなアクセサリーが出来上がる。

「私でも作れるじゃん!」

そのときの感動は忘れられない。今まで見えなかった世界が、ぱっと目の前に開けた気がした。

それからというもの、私はどんどんビーズの虜になっていった。

昼の休憩中もビーズ屋に足を運ぶ日々

ビーズにハマる理由というのは、他にもいくつか考えられる。

まず、ビーズの穴に金具やテグスを通していくときの、何とも言えぬプチ快感。細かい繰り返し作業が苦にならないという方には、この感覚をわかってもらえるのではないだろうか。このプチ快感の連続で、ビーズアクセサリーはできるのだ。

それから、ビーズは単価が安く、種類が豊富なことがあげられる。もちろん、希少なものなど高価なものもあるが、だいたいが1袋100~200円前後で買えてしまう。だから、「あっ、あの色のほうがしっくりくるな」とか、「ちょっとサイズを変えてみよう」などと思った場合、取りうる選択肢がほぼ無限大なのだ。

今だから告白するが、ビーズに取りつかれた私は、仕事の合間のちょっとした時間を利用して、こっそりビーズ屋さんに出かけていた。

当時私は、JR総武線の四ツ谷駅の近くにある会社に勤めていたのだが、そこから数駅先に行けば浅草橋駅がある。浅草橋は、ビーズの問屋街なのだ。昼休憩中に、行って戻ってこられない距離ではない。お気に入りのビーズを探すために、何度、昼の総武線に飛び乗ったことだろうか。

休みの日は、自宅近くにある、行きつけの喫茶店にドカッとビーズセットを持ち込み、一日中ビーズに耽っていた。店のマスターと顔なじみになったので、ありがたいことに、作業がしやすい大きなテーブル席を使わせてもらっていた。

余談だが、その喫茶店はちょっと変わったお店だった。というか、マスターが自由人で、お客がいても「ちょっと行ってくる」と言ってパチンコに行ってしまったり、店の隅に椅子を並べて横になり、いびきをかいて昼寝したりしていた。

マスターは男前だったので、彼目当てと思われるお客も多く、実際に何人かの女性客と良い仲になっていたようなのだが、そうしたときも店を空けてしまう。そんなときは、私がかわりに店番をしていた。普通の喫茶店なら、大荷物を持ち込んで一日中アクセサリーを作り続ける客など、迷惑以外の何ものでもないだろうが、そんなわけで、その店のマスターと私はWin-Winの関係だったのだ。

とんでもない喫茶店だと思われるかもしれないが、コーヒーと紅茶にはこだわっていて、私がいつも頼むアールグレイも、なかなか美味しかった。

「ビーズ廃人」になってしまうのか

このようにして、あらゆる隙間時間がビーズで埋め尽くされていった。隙間時間だけではない。いつしか、寝食を忘れ、仕事中も四六時中、ビーズのことばかり考えるようになっていた。

「このままではビーズ廃人になってしまう…!」

そう危惧するようになった矢先、会社を辞めて、地方に移住することになった。その後も、結婚、出産と、いくつかの個人的イベントが重なった。ビーズどころではない状況になったのだ。

結婚式用に手の込んだビーズアクセサリーを作って燃え尽きてしまったこともあり、私はそれから数年間、ぷつりとビーズから離れることになった。何とか「ビーズ廃人」にならずに済んだのだ。

だが、今年のコロナ禍で、部屋の整理をしたのが悪かった。

私がかつて、せっせと買い揃えたビーズたちと再び対面することになった。それらは、数年間のブランクを経てもなお、きらきらと輝きを失っていなかった。

ビーズを見ているだけで、あるいは手で触れて整理するだけで、こんなにも幸せな気分になれるものなのかと思った。きれいに揃えられたビーズの粒たち。指先の感触と、プチ快感の連続。

ああ、私はまた、ビーズの沼にひとり、ずぶずぶと沈んでしまうのだろうか。

「ワークライフバランスならぬ、ワークビーズバランスを崩さない範囲で楽しみなさいよ」

そう自分に言い聞かせている。

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黒部麻子 (くろべ・あさこ)

1981年東京都生まれ。大学を5年かけてなんとか卒業したのち、出版社勤務。2012年に岡山県に移住し、フリーランスに。趣味は野草茶づくり、保存食づくり。狩猟採集生活が理想。女子プロレスと新書が好き。

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