「僕なりの復讐をするため、面白いことを考えるだけ」元りあるキッズ安田のいま

元りあるキッズの安田善紀さん(撮影・齋藤大輔)

「仕事でしゃべるのは1ヶ月ぶりなんです」。東京都内で開催された小さなイベントで、そのお笑い芸人は言いました。彼の名は安田善紀さん(32)。2014年に解散したお笑いコンビ「りあるキッズ」のひとりです。バラエティ番組の企画を通してわずか11歳でデビューした安田さんは、2018年で芸歴21年目を迎えました。

3月のある日、先輩芸人が経営するバーのイベントに、ゲストのピン芸人として参加。観客は10人にも満たない状況でした。「りあるキッズ」ではボケ担当だった安田さんが、ここではまくしたてるような早口で、身の周りに起きた出来事にツッコミを入れていきます。毒舌まじりのトークは、先輩芸人のファンたちをも沸かせていました。

かつて安田さんが組んでいたコンビ「りあるキッズ」は、「次代のダウンタウン」と呼ばれたこともありました。2003年には「M−1グランプリ」で決勝進出をはたし、順調にキャリアを重ねたものの、あるきっかけで、2014年に突然解散してしまいました。そこには、安田さんの意志が働く余地は、ほとんどありませんでした。

「僕は人がいて面白くなるタイプ。ひとりでは絶対ムリ」

相方が引退し、思いもよらぬかたちでお笑い界にひとり放り出されてしまいましたが、安田さんはその後も芸人を続けています。彼はいま、どんな活動をしているのでしょうか。質問してみると、ごくシンプルな答えが返ってきました。

「いまは『何もしていない』というのが正確なところです。漫才師ではないので、漫才をやっているわけではないですし。イベントに呼んでいただいたら、行かせてもらうという感じですね」

安田さんがいまのスタイルになった背景には、「りあるキッズ」の相方が借金問題を抱えた末に所属事務所を退社したという事情があります。つまり安田さんは、自分の思惑とは関係ないところで「ひとり」になってしまったのです。当然、元相方に対しては複雑な思いがあったようです。

「この世界では、元相方だけでなく先輩にも理不尽なことをされたことがあって、許せない部分もありますし、腹も立ちます。殺し屋を雇おうとネットで探したこともあります。けど、いまは僕なりの復讐をするために日々、面白いことを考えるだけです」

そんななかで安田さんはピン芸人としてよりも漫才師であり続けようと「りあるキッズ」の解散後も、いくつかコンビを経験してきました。

「僕は人がいて面白くなるタイプだと思っているので、ひとりでは絶対ムリなんですよね。なにか芸を披露するとなったときは、聞き手がいたほうが面白くなるなと思うんで。絶対に漫才をしたほうがいいよなあとは思っています」

元りあるキッズの安田善紀さん(撮影・齋藤大輔)

誰かを漫才の相方に誘うのは「告白」に似ている?

しかし、その後結成したコンビはいずれも解散。今後も漫才をやっていきたいと思う一方で、新たに誰かを誘うのは「気をつかう」ともいいます。

「断られるとモチベーションが下がってしまう可能性があるんです。『ダメなんや』って。そういう次元のことをいまさら考えたくないんです。面白いことだけを考えていたいから。俺のどこがダメだとかそんなの関係ないし、人間をどう変えるとかいま興味ないから、と」

その感覚は恋愛における「告白」に似ているのかもしれませんねと問うと、安田さんはうなずきました。そうした葛藤を抱えながらも、安田さんは芸人を辞めようと考えたことはないといいます。その理由については「こういう話をするのはめっちゃ恥ずかしい」としつつ、次のように語ってくれました。

「後輩とかと一緒に飲むことがあるんですが、変な話、それも仕事の一環だったりするんです。『このあいだ、こういうことがあって』という話をして、うけるかどうか試してみる。そんなとき『自分はほんま面白いな』って感じるんです。『僕が先輩やから笑ってくれてんのかな』とか『酒の席やから面白いんじゃないかな』ということを差っ引いても、めっちゃおもろいんやなって思えるんです。そうなると『これは何かしらのかたちでより多くの人に伝えるまでやめられへんな』と。その気持ちがまだどっかにあるから、続けてるんじゃないですかね」

「チャンスの場は舞台に上がる以外にも無限にある」

安田さんがこの世界に飛び込んだのは、まだ小学生だった約20年前。テレビ番組『輝く日本の星!』で「未来のダウンタウンを創る」という企画に応募したのがきっかけでした。

「家族が『ダウンタウンのやつがあるで』って。『応募先をメモっといたから、興味あったら送ってみたら?』って言うてくれて。それでハガキを送ったんです。いま思えば、ほんま余計なことをしてくれたな! と(笑) 生まれ変わったら絶対やりませんし、タイムマシーンで過去に戻れるってなっても、絶対やらないですね」

そう自虐的に振り返る安田さんですが、いまなお闘志を燃やしているようです。

「『まだやってるんや』って思われるのはイヤなんです。なめんなよ、と。『なんにも出てないけど、めちゃくちゃおもろいぞ』って思われたい。思われるためにどうしたらいいかというと、ここはもう草の根運動ですよ。しゃべったことのない先輩や後輩にもどんどんしゃべって。『え、そんなに土足で踏み込んでくんの?』と思われてもいいから、とにかく自分はこういう奴なんだと知らしめる。すると、だんだん変わってくるんですよ。自分への対応が。『安田ってこんなヤツなんや。おもしろいなぁ』って」

そのためにプライベートも仕事のために費やしてきた安田さんに、結婚観についてたずねると、「売れていない芸人が結婚すること自体サムいと思っていた」と言います。

「『妻が待ってるから帰ります』とか、売れてないのにそんなことをしてたら、チャンスがこぼれていく。先輩に『ちょっと飯でもいこうか』って言われたら『ありがとうございます』とついてって、そこで『こうなんですよ』って話をして『おもろいな』っていうのの積み重ねじゃないですか。自分を知ってもらうためのアピールって。舞台が面白いのは当然なんですけど、そういうところでも面白いと思ってもらえるようにする。チャンスの場って、舞台にあがる以外にも無限にあると思うんで。そういうチャンスを結婚することで無駄にしてるんじゃないかなぁと。だから売れてないうちから結婚しているヤツは全員軽蔑しているんです、僕は。……でも32歳になってちょっとわかるなって。結婚したい気持ちもわかるなって(笑)」

そんな安田さんがもがき苦しんでいる様子は、ツイッターでの発言にも時折あらわれます。「風邪ひきました。でもお金がない、薬がない、食料もない。終わりました」「せめて布団の中だけでも幸せな事を考えながら眠りにつきたい」等、ネガティブな書き込みがみられるのです。そのときの心情について聞くと、次のように答えてくれました。

「もうあかんわって思ってますね、そのときは。『こんな世界で生活していけるわけないわ』って。でも、寝て起きたら『今日は頑張ろう』ってなったりする。ほんま恍惚と不安の連続だと思うんですよ。喜びがあったら『こんなんで喜んでていいんか?』って不安になりますし、不安になったら『全然大丈夫やんか』っていう2つの感情が交互にくる因果な商売なんやなってのはあります。この前もイベントをやって、『俺、ほんまにフリートークおもろいな』って恍惚の気分になるんですね。けど、もっと『面白かった』って言うてもいいんちゃう? って。『全然言わへんな。やっぱおもんなかったんかな』って不安になるんです。そんなんの連続です」

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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