異国ジョージアは人の優しさであふれていた~元たま・石川浩司の「初めての体験」
先日、初めて妻や友達らとジョージアに行って来た。
「ほぉ、コーヒーがうまいとこですな!」って、それはアメリカのジョージア州。
今回僕が行ったのは、旧ソ連の小国ジョージア。かつてはグルジアと呼ばれていて、こちらのほうが聞きなじみのある人がいると思う。しかし、ロシア語に由来するグルジアという呼称に対して、現地では不快な顔をする人もいるため、現在の正式名であるジョージアで書く。
ジョージアに行こうと決めたきっかけは、1年ほど前にSNSで偶然見かけた一枚の写真。そこにはボロボロで錆び錆びのロープウエイが写っていた。しかも現役で動いているという。それがジョージアのある炭鉱町の風景だったのだ。まるで幻の未来都市の残骸のような光景であった。
元々廃墟や廃村、レトロものに強く興味がある僕や妻や友達らは、「ここ、すげーいいじゃん!」と夢中になった。その時はまだそれが、世界のどこら辺にあるものかも知らなかった。場所を調べてみると、大雑把に言えば、北にロシア、南にトルコ、黒海とカスピ海の間あたりにあるコーカサス地方。北海道くらいの大きさの国だった。
高熱が出て「寝たきりジョージア」
さて、今回のコラムでは、そのジョージアの10日間ほどの旅について書くのだが、大丈夫、長文の旅行記にはしない。いや、ならないのだ。なぜなら10日間のうち1週間、僕はベッドの上に静かに横たわっていたからだ・・・。
実は、僕は虚弱体質だ。今回の旅行は遊びだからと、旅行前にちょっと無理してライブの仕事などを詰め込みすぎたのがいけなかった。長時間の移動もあって、持病の疲労熱が出てしまったのだ。ジョージアに着いた途端にバタリと倒れてしまった。
僕は幼稚園ぐらいまではとにかく超虚弱児童で、毎週のように40度を超える高熱を出していた。体温計の目盛りの無いところまで熱が上がり、「今夜が峠ですね・・・」と言われたことも数度。5歳までに肺炎5回、そのほか肋膜炎など病弱の極みだった。
そう考えると、この年まで生きてこれたこと自体がすげえラッキー。ついてる。「ついたー!」
今回も体温計はなかったけれど、感覚では40度を超える熱を出し、ほとんど「寝たきりジョージア」だった。なので観光したのは天井の節穴ばかり・・・。
もっとひどい海外の経験もある。毎年二月は寒くて、日本にいるのが嫌なので、ここ十数年タイのチェンマイという町で1カ月間、避寒生活をしている。数年前、「今年もあったかいタイにやってきたで~。遊ぶで~!」と到着した翌日、道を飛び跳ねて全身で喜びを表していたその刹那、足を段差に取られグキッとなった。病院に行ったら「はい、骨折。はい、1カ月安静」と言われて、滞在中ずっと寝たきりになってたこともある。ま、ホニャララ生きてきた人の運なんてこんなもんよ~。
見つからないホテル
ということで今回のジョージアも、旅の終わりになってようやく少し復活してきて、目的だった炭鉱の町には行くことができた。そこはガイドブックに載っていない町で、ネットでいろんな人の旅行記などから情報を収集し、行き方などを調べてようやくたどり着いた。ネットのない時代だったら、まずたどり着けなかったろうなー。
そもそも最初に泊まった首都トビリシのアパートメントタイプのホテルもネットで取ったのだが、現地まで行っても全くホテルらしき建物は見つからない。しばらく迷った後、半分廃墟のようなビルをくぐって中庭に入り、何の看板もない全館工事中でセメントのホコリだらけみたいな建物がホテルだったもんなあ。
地元のタクシーの運転手さんですら人に聞きまくって、30分以上かけて見つけたホテル、言葉もわからない旅行者がひとりで行っても絶対見つからないだろーな。ま、それを見つけた時の喜びこそが、旅の醍醐味なんだけど。
ジョージアの優しさに触れた旅
ジョージアの人は優しかった。隣の席の人が食べている料理がおいしそうだったので、店員に「あれをここにもひとつ」と言ったら、間髪入れずにその席の人がその料理をサッとプレゼント。
また別の日には、食事中に「BGMがうるさいね」と、隣の席の人と共感しあったら、「おお、友よ!」という感じでワインがデカンタで運ばれてきた。ちなみにジョージアは世界最古ともいわれるワインの生産地なのだ。他にもやたら物をくれるし、気さくに話しかけてくれる。治安も、僕らが普通に街を歩いている限りでは、危険なことは一度もなかった。
そして旅の目的の炭鉱の町、チアトゥラ。山の上に団地があり、町はその数百メートル下。そこをロープウエイが結んでるのだが、旧ソ連時代の年代物で、日本なら絶対営業許可が下りないような錆びついた車体だ。
乗ると足元の鉄製の床がボコッと変形して音を立てる。元々観光用ではなく地元の炭鉱労働者を住居まで運ぶために作ったもののためか、乗車料金は無料。現在も作動しているものが数基あった。朽ち果てて廃棄されたものも含めれば、結構な数の太い綱が町のあちこちと山の上を結んでいる。
ゴンドラの中には、おばちゃんが運転士として居たが、やることはドアの開閉くらい。使わなくなった連絡用の電話器を差し出し、「これと一緒に写真を撮るといいよ」
「窓老婆! (マドローバ=ありがとう)」
そう言って電話器を持って、おばちゃんも入れて記念写真をパシャリ。本当に人がいい。
こんな場所も、あと数年もしたら鉱山が廃坑になり、ロープウエイも撤去され、ただの山の中の誰も来ない幻の町へと変わってしまうかもしれない。
なくなりつつあるものの、まだ生活がへばりついているものへの郷愁が、僕はどうにも好きなのだ。