僕が「自分の値段」を公表したワケ~元たま・石川浩司の「初めての体験」

ミュージシャンというのは実に変わった職業だ。

ほぼ同じ演奏をして、ほぼ同じステージをしても、もらえるお金が数百円のこともあれば数百万円のこともある。要は、お金を払うお客さんが何人いるかで、同じ作業をしていても賃金が全く違うという職業なのである。

ぶっちゃけデビュー前のアマチュア時代は、2時間のフルステージをやって数百円どころかノーギャラのこともあったし、デビュー後はわずかな演奏時間で数百万円のこともあった。

そして現在。立場が実に微妙である。経験や年齢で大御所的に見られてそこそこ大きなギャランティを提示していただける場合もある。一方で、「昔売れてたこともあるというだけの人でしょ」と思われ、ナメたようなギャランティを提示してくる人もいる。

ミュージシャンのギャラ交渉

通常、ミュージシャンのギャランティ交渉は所属事務所が担う場合が多い。

「たま」の頃は、デビュー当時にいきなり忙しくなり、自分たちの手に負えなくなったので音楽事務所に入った。しかし、他人の手が入ると自分たちのしたいこととの乖離が生まれる。このため、2年間の最低契約期間が終わるとすぐに、「お世話になりました~」とお辞儀して独立。自分たちで有限会社を立ち上げ、マネージメントも自分たちで行うようになったのだ。

その後「たま」が解散して、メンバー全員が独立状態になってから、僕は音楽事務所に所属していない。なのでギャラ交渉については、基本的に僕が自ら行っている。テレビや映画の出演などマスメディアとの仕事の場合は、先方が本人と直接交渉することを嫌がるため、個人で委託している優秀なデスクマネージャーにお願いしている。だが、ライブやイベントへの出演については、間に人が入らない方がスムーズにいく場合が多いため、自分でギャラ交渉をしているのだ。

しかし、このギャラ交渉がけっこう大変なのである。主催者によって僕の「値段」のつけ方が違うので最初はその度に交渉していたのだが、「この人はいくらまでなら出そうと思ってるのだろう」「もう少しと言えば結構金額を上げてくれるのではないか」「いやいやこれ以上交渉すると『別の人に頼みます』と言われるのではないか」など、様々な思惑が交錯し、とても疲れるのだ。

ギャラを公開した「出前ライブ」

(イラスト・古本有美)

そこで僕は、自分の値段を自分で決めることにした。それが僕のホームページに載せている「出前ライブ」の料金である。「出前ライブ」とは、端的に言えば、僕が出張して演奏するサービスだ。ギターの弾き語りをしたり、他のミュージシャンに僕が即興でパーカッションを付けるセッションをしたり、質問トークをしたりする。ライブやイベントのゲストはもちろん、誕生会、ホームパーティ、カラオケ大会など非公開のイベントやドッキリゲストも受けている。

価格は、2時間までのステージで、平日は4万5千円。土日祝は5万円。交通費や宿泊費を別途いただいているが、全国どこでも駆けつける。この金額を高いと思うか安いと思うかは自由である。高いと思う人は頼まないだろうし、安いと思えばオファーしてくれる。それだけのことである。

しかし、これはミュージシャン仲間には結構驚きを持って迎えられたことだった。

「自分の値段を公表している人なんていないよ!」

確かにまわりを見ればミュージシャンだけではなく、俳優やお笑い芸人も「僕はいくらです」と公表している人はいない。公表してしまうと、例えば10万円出そうと思ってた人にも「ふむふむ、4万5千円でいいのか」と思われてしまう可能性があるからだ。

だけど僕は根っからのめんどくさがり屋なので、「交渉の手間を考えたら、まぁいいや~」と思ってしまったのだ。それに、呼びたいけど料金の相場が分からない、という主催者も、定価があれば頼みやすいというケースもあるのではなかろうかと思った。

こうして10数年前、この料金を払ってくれればどこでも行って演奏する「出前ライブ」のサービスを開始し、コンスタントに年間数十本のオファーをいただいている。ありがたいことである。

 

「出前ライブ」で旅館の貸切ライブに出演したときの様子

 

「出前ライブ」でイベントに出演したときの様子

「出前ライブ」で全国飛び回る

「出前ライブ」の会場で圧倒的に多いのは、ライブハウスや飲み屋、喫茶店だが、他にも貸し切りのチンチン電車、プロレスのリング、画廊、旅館、病院、廃校になった小学校の教室など様々なところに呼ばれた。中には、「富士山の六合目でライブをやってほしい」「福岡に来て僕とふたりでカラオケボックスで一緒に歌ってください」などというものもあった。タイやミャンマーなど海外からオファーが来て、演奏しに行ったこともある。

先日は名古屋の女子高生からもオファーをいただいた。「たま」が解散した年に生まれた彼女は、懐かしさで僕を呼んだわけではなく、現在の僕の歌を気に入って呼んでくれたので、それはそれで嬉しかったなあ。

時給10億円の仕事

最後に、ギャラとしては最高の時給になったときの話をしよう。ある時、CMの話が来た。と言っても出演ではない。音の依頼である。いや、音楽ですらない。純粋に「音」の依頼である。僕の名前のクレジットすら出ない音の仕事である。

どういうことかというと、お茶のCMで鹿威し(ししおどし)のシーンがあったのだが、その鹿威しの音を表現するというもの。僕がパーカッションのひとつとして使っている、木の湯桶で叩いてほしいと言うのだ。別にそんなのは僕じゃなくても、適当な桶を用意して誰かが叩いても同じだと思うのだが、ありがたいことに「石川さんの叩き方がいいんです」と言ってくれた。

「それはお安い御用」とスタジオに出向き、桶をコンと1回叩いた。即座に「OKで~す。お疲れ様です!」のスタッフの声。いくら僕が虚弱体質だと言っても、桶を1回叩いただけでは全然お疲れてないが、そこは黙っていた。

このギャラがぶっちゃけ30万円。

桶を1回叩いただけなので、実質の労働時間は1秒すら無い。でもまあ、これを繰り上げて1秒として換算してみよう。300000円×60秒×60分=1080000000。つまり時給10億8000万円である。

8000万円の端数は切り捨てていいので、是非また時給10億円の仕事もお待ちしていま~す!

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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