安田純平さんが語る人質の孤独。それでもひとり紛争地から伝えたいこと(前編)

内戦中のシリアで3年4カ月にわたって武装勢力に身柄を拘束され、2018年10月に解放されたジャーナリストの安田純平さん。帰国直後の慌ただしさが一段落したころ、DANROのインタビューに応じ、現在の心境を語りました。
安田さんは、黒い帽子にマスク姿で、指定のインタビュー場所に現れました。「家族が心配するから」あまり出歩かないようにしているとのこと。メディアのインタビューを受ける際にも遠出ができず、「近所のカラオケボックスに1日3回入ったことがある」といいます。
フリーランスのジャーナリストとして、単身で主に中東の紛争地の取材を重ねて来た安田さん。一人であるが故に避けられないリスクがあり、一人で拘束されていたときは孤独感が募ったといいます。それでも一人で行動しながら伝えたいこととは、どんなことでしょうか。インタビューの前編です。(取材・吉野太一郎/亀松太郎)
【インタビュー後編】安田純平さん「事実関係の説明ってすごく地味。でも…」ネット時代のリスクと情報発信

「自由を奪われた状態」は精神的にきつい
――体調はいかがですか?
安田:帰国した頃は、ヘルニアがかなりひどかったんですけど、少し落ち着いてきました。かなり筋肉が落ちてしまっているので、非常に疲れやすくて。少しずつ運動とかして戻すしかないんですけど。
また、おそらく拘束中に現地で飲んだ生水の影響で、ピロリ菌による胃潰瘍と十二指腸潰瘍がありました。帰国して除菌したので、少しは収まったかなと思います。
――長いことずっと拘束されていて筋肉が弱ったんですか?
安田:身動きが完全にできなかった時期が約2カ月ありました。別の施設に移されて半年間は、部屋の中を歩く以外は運動禁止だったので、上半身が全然使えませんでした。最後の1カ月はまた、身動きがほとんどできない場所だったので、せっかく戻った筋肉がまた落ちてしまった。筋肉が落ちた状態で腰に負担がかかって、ヘルニアになったという気がしています。
この記事をシェアする
「ひとり仕事」の記事

「10歳のころの自分が笑えるネタか」さかな芸人ハットリさんが大切にしていること

「目撃すれば幸せになれる」とウワサが広がる「自転車で文字を売る男」

個室のない私が「畳半分のワークスペース」を手に入れるまで

ひとりで山を歩き「食べられる野草」を探す 「山野草ガイド」を作る地域おこし協力隊員

「当たればお立ち台、はずれたら死刑台」競馬場で「予想」を売る伝統芸

おじいさんたちに混じり「大工見習い」として働く31歳女性「毎日幸せだと思って生きている」

「どう乗り越えてやろうかワクワクした」危機を楽しむ強さでコロナに打ち勝つ

大学を中退したのは「回転鮨」が原因だった 「出張鮨職人」のイレギュラー人生

「出張鮨」を誰でも楽しめるものに 「スピード命」の型破りな鮨職人
