デジタル時代だからこそ伝えたい「手書きの喜び」 万年筆に魅せられて

手で書きながら考える
手で書きながら考える

すっかり手書きをする機会が減ってしまった。日々、たくさんの文字を発してはいるが、そのほとんどはパソコンのキーボードかスマートフォンのフリックから打ち込まれたものである。丸一日手書きをしない日さえ、けっこうある。

だが、私はなるべく手書きを織り交ぜようとしている。手書きという行為や、ノートやペンなど筆記用具の類いが好きだということもあるが、理由はそれだけではない。キーボードと手書きでは、出てくる言葉が微妙に違ってくるからだ。

あらかじめ考えが固まっていて、それをそのまま言葉に置き換えるのであれば手段は何であっても良いのだろうが、実際はそういうわけでもない。考えの原型のようなものが一応存在してはいるが、どちらかと言えば書くことを通して考えているといった方が正しい。頭で考えるというより、手で考えているという感覚だ。

だからこそ、手と触れ合う道具が大切なのだ。道具が違えば、出てくるものの色や形や手触りが、微妙に(本人にしかわからないほど微妙に)変化してくる。彫刻家にとっての彫刻刀のようなものだ、と言うのはいささか大袈裟すぎるだろうか。それゆえ私は、手書きでもキーボードでも、自分と相性のいい道具を常に探し求めている。

本物に触れることが大切

手書きの道具の代表と言えば、やはり万年筆ではないだろうか。それこそ名だたる文豪たちが万年筆で原稿用紙を埋めている姿を見て、幼き頃よりあこがれを抱いていた。だが、万年筆は子供が手に入れるにはあまりに高嶺の花だった。

小学生か中学生の頃だったか、万年筆が付録になった雑誌が書店に並んでいたことがあった。それは中高年向けの趣味系雑誌だったと記憶しているが、購入し、万年筆を手に入れた喜びにしばし浸った。しかしその万年筆は、初めは調子良く書けていたものの、次第にインクの出が悪くなりついには書けなくなってしまった。

その後も、何本かの万年筆を手に入れはしたが、どれも次第に書けなくなってしまった。今でもたまに万年筆は書けなくなってしまうから苦手だという方に会うが、その人は私と同じようにいささか粗悪な万年筆に不幸にも出会ってしまったのだろうと思う。生牡蠣や生ウニのようなもので、初めての体験で本物に触れておくことは大事なのだ。

これまでとはまるで違う本物との出会い

筆者の万年筆。ペリカンの「スーベレーンM400」

そんな残念な出会いがありつつも、私の万年筆に対する思いが絶えることはなく、万年筆に関する本や雑誌、ムックを読んでは妄想を膨らませ、知識だけが増えていった。そしてある時、募る思いが飽和点を超え、我慢できなくなって真夏の真っ昼間に自転車を飛ばし、いちばん近くの百貨店へと向かった。

そこで試し書きをさせてもらったのが、ドイツの老舗メーカーであるペリカンの代表作とも言える「スーベレーンM400」という万年筆だ。その時の感触は今も忘れられない。摩擦を感じさせないというか、氷の上にスケート靴で降り立ったかのように、ペン先が紙の上をするすると滑ったのだ。ここまでとは思わなかった。すぐに欲しくなったが、何せ数万円もする代物なのでその場では我慢した。

だが数日経っても、あの指先の感触が忘れられない。当時の自分からすれば、清水の舞台から飛び降りるくらいの金額だったが、「一生使えると思えば安いものだ」という禁断の文句を胸に、ついに買ってしまった。

やはり本物は違った。あれからもう20年近く使い続けているが、書き始めにかすれたことは一度たりともない。さすが、「万年」と言うだけのことはあり、永遠に使い続けていけそうな安心感がある。それに、万年筆というのは使えば使うほどその人の書き癖に馴染んできて、徐々に書き味が変化してくる。最初はちょっと硬いかなと感じていたペン先が、長く使い続けていくうちに少しずつ柔らかみを帯びてきた。

インクを吸い上げる時間の豊かさ

万年筆にインクを充填する方法は、吸入式とカートリッジインク式、それらの両用式といえるコンバーター式がある。私が好きなのは吸入式で、これはペン先をインク壺に入れ、ペンのおしりの部分を回すことでスポイトのようにインクを吸い上げる方式である。

インクの入ったカートリッジを差し込む方法と比べると、やや手間はかかるのだが、この作業がたまらなく好きだ。私は書道はやらないけれど、書道家が初めに硯(すずり)に向かって墨をするようなイメージをいつも頭に浮かべる。これから「書く」という行為を始める前に、心を落ち着ける時間を持つことの豊かさを味わえるのだ。

スーベレーンM400は、私にとっては普段使いするにはやや恐れ多い存在でもあったので(酔ってなくしてしまうのが怖い)、もう少し値段の手頃なペリカンの万年筆も買い、手帳と共に持ち歩いている。こちらも書きやすさは申し分ない。

万年筆は、ボールペンやローラーボールペンといったほかのペンよりも値が張るし手間はかかるが、書く度に心地よさを感じられるし、長く使えて育てる楽しさも味わえる。万年筆で文字を書くたび、本物は裏切らないなあとひとりで悦に入っている。ただし、万年筆を使った時に生み出される文章が本物かどうかは、筆者のあずかり知るところではない。

この記事をシェアする

松本宰 (まつもと・おさむ)

編集者。住まいのマッチングサイト「SUVACO(スバコ)」とリノベーション専門サイト「リノベりす」の編集長。住宅に限らず、己が心地良い居場所を探し求めてさまよう日々。好きなものはお酒と生肉とラーメン。

このオーサーのオススメ記事

ひとり時間に「手紙」を書くと、ゆったりした時間が戻ってくる

なぜお酒を飲むのか? 外で飲めない今だから考えてみた

あえてひとりで挑戦したい、銀座・天龍の巨大餃子

個室のない私が「畳半分のワークスペース」を手に入れるまで

ウォークマンの不便さで、濃密だった音楽との付き合い方を思い出した

迷子というひとり遊びのすすめ

松本宰の別の記事を読む

「ひとり趣味」の記事

DANROクラブ

DANROのオーサーやファン、サポーターが集まる
オンラインのコミュニティです。

もっと見る