40歳、一児の父。「セミプロ」にしか歌えない歌で心を揺さぶりたい

東京都北区の荒川河川敷で開催された音楽フェスティバルで歌うタカダチカラさん

東京の城北地区(北区・豊島区・荒川区・足立区・板橋区)をホームタウンとしてJリーグ加盟を目指すサッカークラブ「スペリオ城北」。そのクラブのホームゲームで必ず流れる歌があります。

流れ流れてここまで来たんだ

食いしばって突き進め

希望の大河

(スペリオ城北公式テーマソング『希望の大河』)

歌うのは、赤羽を拠点に活動するシンガーソングライターのタカダチカラさん(40歳)です。彼がセミプロとして本格的に音楽活動を始めたのは9年前。初めての子どもが生まれた31歳のときでした。

今も関東各地のライブハウスなどで精力的に活動するタカダさんですが、「音楽活動については、妻から睨まれることもあります」と苦笑します。それでも歌い続ける理由はどこにあるのでしょうか。

娘が生まれた3か月後、老舗ライブハウスのステージに

日ごろ、大手IT企業のエンジニアとして働きながら、音楽活動を続けているタカダさん。コロナ禍の前までは、関東各地のライブハウスを中心に年間50本ほどのステージをこなしていました。活動拠点の赤羽では少々顔が知れたミュージシャンです。

今は思うようにライブ活動ができない代わりに、5年ぶりのオリジナルアルバムを自主制作。2021年8月にリリースしました。

「普段は弾き語りをしていますが、アルバムはバンドサウンドに。コロナで活動が制限されている分、じっくりとつくった自信作です」

そんな彼がミュージシャンを名乗り、「タカダチカラ」として音楽活動を本格的に始めたのは、一人娘が生まれた2013年のこと。31歳のときでした。

アコースティックギターを抱え、ライブハウスのステージでオリジナルの曲を歌ったそうです。

「最初はどこで歌えるのかもわかりませんでした。とにかく自分の歌を誰かに聞いてもらいたい一心で弾き語りができる場所をネットで探していたら、目黒にあるライブハウスで出演者を募集しているのを見つけたんです。オーディションを受けると、その場で『いつから出られる?』と聞かれ、『え、本当にいいんですか?』という感じで驚きました」

「何かが終わってしまう」そんな思いを抱く毎日

そのライブハウス「APIA40」は1970年のオープン以来、さまざまなプロのミュージシャンが出演している有名店。若い頃の遠藤ミチロウさんや知久寿焼さん(ex.たま)、竹原ピストルさんもここで活動していたことが知られています。

そんな誰もが立てるステージではないライブハウスで、タカダさんは月に一回、演奏するようになったのです。

「子どもが生まれて音楽をやめる人はたくさんいますが、僕は真逆(笑)。大学時代からレディオヘッドなどのコピーバンドをやっていましたが、20代半ばになると転勤などの理由でバンドは自然消滅。僕自身も28歳で結婚し、娘も生まれて、もう音楽なんてやっている場合じゃないと思いました。でも、そう思えば思うほど、悶々としてしまって…」

当時からエンジニアの仕事に従事していたタカダさんは、社内でも責任ある立場になりつつあった時期でした。娘の誕生も家族のために働くことも、この上なく幸せに感じるけれど、「何かが終わってしまう、そんな思いにかられる毎日でした」と振り返ります。

赤羽の公園にて。「赤羽の町並みは原風景ですね」とタカダさん

弟と妻の一言

そんなタカダさんを音楽活動へと導くきっかけは、身近なところにありました。現在、エフエム山陰でパーソナリティーを勤める弟、高田リオンさんの存在です。当時のリオンさんはメジャー契約の話が持ち上がるなど、インディーズシーンで注目のミュージシャンでした。

「弟がテレビなどに出演するようになって、『すげえな。でも、俺には関係ないな』と思っていました。あるとき、渋谷の大きなライブハウスで弾き語りのワンマンライブをやるというので観に行ったんです。ステージで歌う弟を観ていると、『なんで兄ちゃんはやらないの?』と語りかけられたような気がしました」

それまでバンドを組んで活動した経験はあったものの、いずれもコピーバンド。ライブをやるといっても、仲間内で披露する発表会のようなものでした。

「心のどこかでは、オリジナルの歌でステージに立って知らないお客さんの前で歌ったり、それでお金を稼いだりしてみたいという思いがありながら、そのための挑戦をしたことはありませんでした。娘が生まれたことで、これまで以上にお金を稼がなくちゃいけないし、時間も家族のために費やさなくちゃいけない。夢物語が本当に夢のままで終わってしまうという現実を突きつけられ、けれども諦めきれない自分がいて、悶々としていたんです。そんなときに弟のライブを観て、今、チャレンジしなければ、絶対に後悔すると感じました」

実は、数年前からオリジナルの歌を密かにつくっていたタカダさん。そんな彼の背中を最後に押したのが妻の一言でした。

「僕の悶々とした雰囲気を察したみたいで、ある日『やっちゃえば』と言ってくれたんです。それまで音楽はやめなきゃいけないものと、ずっと自分に言い聞かせていたのですが、その瞬間、吹っ切れました。そこから今の活動が始まりました」

活動拠点を目黒から地元・赤羽へ

目黒で活動を続けていると、別のライブハウスからも声がかかるように。しかし、音楽活動が増えるのと同時に、困ったこともおきました。

「ギャラをもらえることもあるけど、微々たるものです。そんなこともあり、妻の視線がどんどん冷たくなりました(笑)。ここまで本格的にやるとは思っていなかったようで、『え、またライブ!?』みたいな。この間もライブがあることを事前に伝えづらくて、当日になって『ちょっと出かける』と言って、ギターを隠しながら家を出ました(笑)」

31歳から音楽活動を始めたことのハンデもあったそうです。

「若い子だと客入りが悪ければ、友だちを呼ぶんです。僕の場合、音楽仲間はいないし、同年代の友だちはみんな忙しくて、なかなか足を運んでくれません。ファンも思うように増えず、このまま続ける意味があるのかなと思うようになり、2年半ほどで目黒のライブハウスでの活動を一度やめることにしました」

そんなとき、生まれ育った赤羽に「エナブ」というミュージックバーがオープンします。ステージを併設したこの店が、次の活動拠点となりました。

ミュージックバー「エナブ」の入り口にて

普通の勤め人、普通の父親だからこそ

「影響を受けたエレファントカシマシは赤羽出身だし、僕もここが地元。赤羽での活動は自分に合っていると感じました。何よりも赤羽で歌うようになって、格好つけなくなりましたね。ダサくても自分をさらけ出せばいいんだって。そう思うと歌い方も変わりました。『この歌の主人公はあなたでもあるんだよ』と、お客さんの目線で歌うようになったんです。すると、同じ歌でもお客さんの反応がよくなりました」

タカダさんの歌詞にはある特徴があります。それはうだつが上がらない、けれどもそんな自分を受け入れて前進しようとする男の姿です。例えば、「半端者のブルース」という歌にはこんな一節があります。

そうさ ただの半端者さ 俺は

まったくもって救いの手も差し伸べられない

だけど そんな奴だからこそできることがあるんだって

そんな奴にしか歌えない歌がある

スターではない、普通の勤め人の、普通の父親が紡ぐ等身大の歌だからこそ、ときには語るように、ときには叫ぶように歌う彼の言葉は聴き手の心に刺さります。スペリオ城北のゼネラルマネージャーも、そんな彼の歌に魅せられた一人でした。

「赤羽では多くの方と出会い、地域のイベントにも呼ばれるようになりました。スペリオ城北のテーマソングもそうした交流から生まれた歌です。スペリオ城北の新体制発表会で初披露したときには地元のテレビ局も来ました。音楽活動を始めて3年目のことで、この日ばかりは妻も認めてくれましたね」

ステージと客席の間に設置された透明なカーテンを「壁があるみたい」と表現するタカダさん 

働くこと、家族を守ること、歌うこと

現在、エナブのステージと客席の間には透明なカーテンが設置されています。新型コロナウイルスの飛沫感染対策のためです。

「壁が一枚あるみたいです。言葉が跳ね返って、こっちに戻ってきてしまうので、客席との距離を感じますね」

こうした状況でも、タカダさんにはステージに立つ理由がありました。緊急事態宣言が初めて出されたとき、一切のライブ活動ができなかったことで、精神的なバランスを崩してしまったそうです。

「妻からも心配されて。やっぱり僕には音楽で表現する場所や時間がないと駄目なんだと思いました。それがないと自分自身ではなくなってしまう気がするんです」

今でもコロナ禍による制約はあるものの、ライブハウスで歌うペースは以前の状況に戻りつつあるそうです。

タカダさんのホームグラウンド・赤羽の路地にて

将来的には音楽活動だけで食べていきたいかと訊ねると「究極の質問ですね」と笑ってから、次のように話します。

「仕事があって、家族がいて、音楽がある。その3つでタカダチカラだと思っています。ミュージシャンの中には日中、別の仕事をしていることを隠している人もいて、それこそヒット曲があるような方でも、バイトをしている人はたくさんいます。夢を売る商売なので、別の仕事で生計を立てていることを隠すことは正しいと思います。ただ、娘が生まれ、31歳で今の音楽活動を始めた僕にとって、仕事と家族と音楽、そのどれか1つが欠けても自分じゃなくなってしまうと思っています。『俺の使命』という歌の中で、働くこと、家族を守ること、歌を歌うこと、それが俺の使命だと宣言しているんです。まさにその歌の通りです。だから、これからもその3つをやり通しながら、僕の歌で少しでも多くの人の心を揺さぶることができたらいいなと思っています」

タカダさんは音楽だけで生計を立てている「プロ」ではありません。けれども、家族を守るためにサラリーマンとして生きる彼だからこそ歌える歌があります。

言わばそれは、「セミプロ」だけにしか歌えない歌。

31歳でミュージシャン・タカダチカラとして活動を始めた彼は、2022年2月23日、40歳の誕生日を迎えました。これからも今の自分にしか紡げない等身大の歌を歌い続けます。

タカダさんの楽曲『生活と日常の』ミュージックビデオ

取材協力:ミュージックバー「エナブ」

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