人生の半分以上を過ごした「トカイナカ」新所沢(地味町ひとり散歩 26)

僕は去年、東京都内に引っ越したのですが、それまでずっと住んでいたのが、埼玉県の所沢市です。27歳で結婚して以来、30年以上、所沢で暮らしてきました。

もともとは高円寺でひとり暮らしをしていたのですが、妻の家族が所沢在住だったということもあり、結婚を機に所沢に住むようになりました。

コレクションの空き缶が増え始めていて、家が手狭になっていたというのも理由の一つです。当時ただのアマチュアミュージシャンのフリーターだった僕は、空き缶コレクションを置けるような広い家を都内で借りられなかったのです。

所沢は、東京にもすぐに出られる田舎、つまり「トカイナカ」だったのも気に入った点ですね。

オードリーの春日さんも知っていた「ランニングの家」

最初の2年間は、最寄駅が所沢(西武新宿線)の小さな家を借りました。ところがその2年間に、イカ天というアマチュアバンドコンテスト番組で5週勝ち抜いて、グランドキングになり(今の感覚で言うとM-1優勝みたいなものです)、CMやさらには紅白などにも出演し、あっという間に世間に知られる存在になってしまいました。

同じく所沢育ちのオードリーの春日さんがテレビ番組で「子供のころ、たまのランニングが近所に住んでいるというので、友達みんなで探したら、すぐに見つかりました。なぜなら、物干し竿に白いランニングシャツがずらーっと干してありましたからね。ハハハハハッ!」と喋っているのを観たことがありますが、まさにこの家のことだったのでしょうね。

その後、西武新宿線で所沢の2つ先にある「新所沢」の近くに引っ越しました。途中2回の転居があったものの、この町で30年以上の時間を過ごしました。

僕は東京生まれですが、1歳になる前に神奈川に引っ越したので、東京の記憶はまったくありません。その後、群馬や茨城にも住んだので、故郷がハッキリしない。そんな僕の人生で、一番長く住んでいたのが新所沢だったのです。

新所沢のランドマークとも言うべきものが、パルコでした。

当時、近所に住んでいて、対談したこともある蛭子能収さんと、パルコに入っている映画館でバッタリ遭遇したこともありました。「石川くん、今度麻雀やろうよ」と誘っていただいたこともあったのですが、それからほどなくして賭け麻雀で逮捕されてしまった蛭子さんから、その言葉を聞くことは二度とありませんでした。

このパルコも、2024年2月に閉店することが決まりました。新所沢の町も変わっていくのでしょうね。

さて、勝手知ったる我が町ですが、気持ちも新たに散歩してみましょう。

駅のエスカレーターにはこんな表示がありました。最近、埼玉県が全国に先駆けて始めた条例です。

エスカレーターで立つ位置は、なぜか関東では左側、関西では右側ですが、急いでいる人がその横を駆け上がっていくのがある種の慣例となっています。ですが、些細な事故を招くことも多いので、こういう条例ができたようです。

もしエスカレーターを走って上ったりしたら、上で待機している警察官によってやおら羽交い締めにされ、足に縄を付けられ、暴れ馬に繋がれ、市中引き回しの刑に処せられることでしょう・・・というのは嘘ですけど、条例は本当です。

駅前の交番には、指名手配犯の写真が貼られていました。でも、この桐島聡の写真は昭和48年(1973年)撮影のものです。果たして50年近く前のこの写真を見て「こいつが桐島だっ!」と分かる人はいるのでしょうか。胸に「ばくだんはん きりしまさとし」という名札でも付けていれば別ですが。

埼玉県および東京都西部にチェーン店を広げている「ぎょうざの満洲」の本店です。ここは本当にオススメです。僕的には、西の王将、東の満洲というくらい餃子がおいしいので、ぜひご賞味あれ。ラーメンも、癖のない昭和の味ですよ。

僕はあまり地元で外食をしないのですが、駅前の「キッチン サン」のカレーライスだけは、ときどき無性に食べたくなってしまいます。何の変哲もないカレーライスですが、僕が子供のころに食べていたカレーと似ていて、懐かしさがすごいのです。郷愁を呼び起こす食べ物ってありますよね。

テーブルにあるソースをかけるとまさに絶品です。550円というお値段も街の洋食屋さんとしては異例に安いですね。もしまたこの町に用事で来ることがあったら、絶対に訪れたいお店です。

「釜めしとダーツ」というちょっと不自然な組み合わせ。このお店も古くからあります。

最初はただの釜めし屋さんでした。ダーツはおそらく二代目の息子さんか誰かの思いつきで、「父ちゃん、いつまでも釜めし一本というのは古いよ。今の若者はダーツだぜっ!」「そんなもんかねぇ」というような会話があったのでしょうね。

もし今後「釜めしを食べながらダーツって、サイコーにオシャレよねっ!」というブームがきたら、ここが発祥の地かもしれません。

入ったことはありませんが、ここも昔からあります。「ジュウタン」じゃなくて「ジューウタン」というのが歴史を感じさせますね。誰か冒険心のある方、行ってみてください。

その近くには、なんのお試しかよくわからないお店もありました。25分で5000円とありますが、この書き方からすると異例の安さのようです。25分という中途半端な時間でなにをするのかわかりませんが、これも誰かチャレンジしてほしいですね。

最近発売されたのは知っていましたが、初めて現物を見た「飲むカレー」。自動販売機で発見したので、さっそく購入して飲んでみました。インドカレー風で、ご飯にそのままかけてもいけるかもしれません。

もっとも、おそらく流行ることはなさそうです。すぐに消えてしまうのは怖いので、缶ドリンクコレクターとして慌ててコレクションに加えました。

おっ、さらに見たことない缶を発見! と思ったら、なんと缶入りのマスクでした。時代ですね。そのうち、スプレーアルコールなども自動販売機で販売しそうです。

この自販機のお酒を買おうとしたら、免許証が必須です。お酒は20歳からなので、免許が持てる年齢と差がありますが、そこはどうなっているのでしょう? どちらにしても僕は運転免許を持っていないので、大人なのに買うことができません。

もっとも18歳のころは原付の免許を持っていました。当時は茨城県に住んでいて、最寄駅まで15キロくらい離れていたので、バイクに乗らざるを得ない環境だったのです。

しかし誰もいなくて空いている道だと、80キロくらいですっ飛ばしてしまいます。自分がスピード狂だとわかったので、危険回避のために、上京するときにその免許証をポーンとゴミ箱に捨ててしまいました。それ以来、自転車と公共交通機関だけでやっています。

なので、車がないと身動きの取れない地方には絶対に住めないですね。

この整体は施術師の方がものすごい照れ屋さんなのでしょうか。僕も基本はシャイなので、ふたりで顔を真っ赤にして、ハニカミながら施術を受けるのでしょうか。そうだとしたら、いい大人がちょっと不気味ですね。

こちらは、僕が四半世紀近くも住んでいた家の玄関です。3年前まで、築60年くらいの古い家に住んでいました。自分のCDのジャケットにもしました。

ところが急に立ち退きとなり、家は取り壊されてしまいました。現在はこのようにコインランドリーになっています。もう、かつての面影は一切ありません。

時代は移り変わり、形あるものは姿を変え、消えていきます。やがて僕も、家と同様に泡のように雲散霧消するのでしょう。でもそれは僕だけではなく、あらゆる生き物がそうなのです。

僕が昨年作った「ピンクの象」という歌の一節を紹介します。

 死なない人はどこにもいないんだとわかってても

 なるべく死なないように気をつけて

 だってそしたら海に行って変な形の貝を拾えなくなっちゃうんだよ

 子猫の顔の付いた椅子に座っておしゃべりもできなくなっちゃうんだよ

 時は決して戻らない あの日あの時 何してた

 時は決して戻らない あの日あの時 何してた

そして僕は、人生の半分以上に渡って住んだ町とお別れしました。思い出を語ったら尽きないけど、またね。バハハ~イ!

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石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

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