個性派ラッパー・TKda黒ぶち 創作を支える「劣等感」と「ひとり旅」
黒ぶち眼鏡という個性的な出で立ちで、数々のMCバトル(即興のラップ大会)で好成績を残してきたTKda黒ぶちさん。活動を支えるエネルギーの源は「劣等感」と言います。ソロアーティストとしての活動、プライベートで大事にしている「ひとり旅」について話を聞きました。
――そもそもラップをはじめたのはいつ頃なんですか?
TK 高校1年生の時です。当時はDJをやりたいなと思っていたんですが、ラッパーだったクラスメイトのお兄さんに「ラップやりたいんでしょ?」と聞かれて、風貌がギャングのような人だったので、怖くて思わず「はい」と答えてしまったのがはじまりです(笑)。でも、その方にはいろいろと教えてもらい成長させてもらったので、今となっては感謝しています。
その後、高校2年生になる直前に、失恋をキッカケに劣等感をぶつけるようにステージに立つようになりました。
「劣等感をぶつけるようにステージに」
――劣等感がそんなにあったんですか?
TK 劣等感の塊でした。生まれ育った埼玉県春日部市は『クレヨンしんちゃん』のイメージ通り、4人家族がデフォルトな街です。その中で母子家庭だったので目立ちました。小学校で家族の絵を描いたときには、母子家庭なのをまわりに知られたくなくて、架空の父親の姿を描いたほどです。自宅にも自分の部屋はなく、トイレが唯一ひとりになれる場所で、こもっては漫画を読んだりしていました。
入学した中学には、同じ小学校から10人くらいしか進学しなくて、他の小学校出身者でコミュニティが出来上がっていました。かれら主流派に馴染めず、劣等感から単独行動や、わざと彼らと反対の行動を取るようになったんです。当時、RIP SLYMEやkick the can crewといったヒップホップグループが流行っていました。主流派がkickなら、僕はRIP SLYMEを聴くといった感じです。結果的にRIP SLYMEを聞き、さんぴんCAMPのDVDを観て、ヒップホップに興味を持つようになりました。
――そういった思いをステージで発散できたんですか?
TK 高校の時、最初に出場したMCバトルは、高校生同士が競い合う大会で、昼の部は1回戦敗退でした。が、夜の部にも出場したら優勝してしまったんです。バトル初参戦の日に、天国と地獄を見ましたね(笑)。
その次に出場したのが「B-BOY PARK2005」(かつて開かれていた年に1度のヒップホップのイベント、同イベントのMCバトルで3連覇したのがKREVA)では16歳にしてベスト8まで残り、UMB(MCバトルの全国大会のひとつ)にも出場するようになったんです。徐々に「自分は自分でいいんだ」と劣等感から距離を取れるようになりました。
でも、大学に入学すると、中学に戻ったような感覚になりました。当時、僕は太っていて、眼鏡をかけて歯並びが悪かったですし、いわゆる学生ノリがものすごく苦手で馴染めなかったからです。
そんな時にタリブ・クウェリというアメリカのラッパーが、事あるごとに「本を読め、知識を蓄えろ」と発言しているのを思い出し、大学の図書館に通いました。特に岡本太郎さんの本にはすごく影響を受けましたね。本を読む行為は、著者と友達になる感覚があって、世界が広がるのを感じました。
ヒップホップと出会い、MCバトルで勝つうちに自分を信じられるようになっていました。劣等感が武器に変わり、いまの僕を支えてくれています。ラッパーの先輩であるk dub shineさんの『ラストエンペラー』の歌詞に「自分が自分であることを誇る」というのがあるのですが、まさにそういう感覚になりましたね。
ひとり旅は「自分と向き合い会話すること」
――普段もひとりで行動することが多いとのことですが、初めてのひとり旅はどこへ行ったんですか?
TK 大学2年のときに、母親が仕事でアルゼンチンへ行くことになり、ボディガードとして自分がついていくことになりました。しかし、その仕事は流れてしまって。飛行機のチケットはあったので、ひとりで初の海外旅行へ行くことになりました。
アルゼンチンへは、アメリカのダラス空港経由で向かいました。ダラス空港の喫煙所で、ドレッドヘアのアメリカ人に勇気を出して「僕はラッパーなんだよ」と話しかけてみたんです。そうしたら、彼もラッパーで「いまから僕のダラスのスタジオに遊びに来なよ」と誘われて、そういう感覚がすごく新鮮で。いつかアメリカ、特にニューヨークに行きたいと在学中はアルバイトでお金を貯め始めました。
――初の海外ひとり旅がアルゼンチンとはハードでしたね。
TK 正直、ものすごく怖かったです。でもワクワク感もありました。当時、アルゼンチンではマヨネーズ強盗に気をつけろとガイドブックに書いてあったんです。これは知らぬ間に、バッグなどにマヨネーズをかけられ、他の人が「マヨネーズついてるよ」と教えてくれて、バッグを下ろした瞬間に盗まれるんです。ラプラタ川沿いの公園でくつろいでいるとマヨネーズをかけられたんですが、すぐにピンと来て走って逃げました(笑)。
――ニューヨークにはアルバイトで貯めたお金で行ったんですか?
TK 大学卒業後、ブルックリンのフラットブッシュにあるアパートを借りて、1カ月ほど過ごしました。当初は、英語もまったく聞き取れなかったんですが、2週間ほど経つと、不思議なことに街中のアナウンスを聞き取れるようになりました。毎日、ヒップホップの名所やライブを観に行ったり、街歩きをしたりして楽しみました。
よくアメリカへ行くと太ると聞きますが、僕の場合、たくさん歩いたので5キロも痩せました。そのときの思い出の場所で撮影したのが「dream」のMVなんです。
――アメリカは何度も訪れているんですか?
TK 合計で3回です。大学卒業後はドラッグストアで働いていたんですけど、奇跡的に4連休が取れたので、2泊4日の弾丸でニューヨークへ行き、セカンドアルバムの構想を練りに行ったのが2回目です。それを考えた場所がセカンドアルバムの『just』という曲のMVの撮影場所です。
3回目は、セカンドアルバムのMVの撮影のために、カメラを担当してくれた友人と2人で行きました。初の友人との旅でしたが、自分はひとり旅のほうがしっくり来ると痛感しましたね(笑)。
――他にもひとりでよく旅行に行くんですか?
TK 海外だとロンドンへひとり旅をしました。初めてのヨーロッパでしたが、ロンドンの街の雰囲気や空気感はニューヨークとはまた違い気に入りました。住みたいと思ったほどです。地元の6個上の先輩がたまたまロンドンに住んでいることを思い出して、初めて会って飲みに行きました。先輩は画家なんですけど、画家とラッパーのスタンスを話し合ってとてもいい刺激になりました。
今年は、1泊2日で芦ノ湖へ行って来ました。誕生日は、どんなに大切な人がいても絶対にひとりで過ごしたいんです。誕生日くらいしか自分の生い立ちなどをじっくり振り返るときがないと思うんですよ。ひとり旅は、自分と向き合い、会話をすることだと思うんです。
――ひとり行動で苦労することはないですか?
TK インターネットラジオ局「WREP」の「Timelessチャンネル」(毎週火曜19時~)では、今年の4月からひとりでパーソナリティーをつとめています。ひとりで話すのは難しいですね。スタジオでは誰もいないところで独り言をつぶやいている感覚に陥ることがあります。そこはまだまだ慣れないところです。
TKda黒ぶち 1988年3月29日生まれ。埼玉県春日部市出身。ラッパー。今年1月に「Good Morning-EP」をリリース。アルバム「LIFE IS ONE TIMETODAY IS A GOOD DAY」、「Live in a dream!!」がある。