「世界中のお菓子を食べ尽くす」自転車で地球を駆け巡る「郷土菓子職人」
「林周作さん、知ってる?」
スイーツ部の友人からその名を聞いた(甘いものに目がない人びとを、わたしはスイーツ部の部員と総称している)。ご著書を読んで、のけぞった。土地土地の素朴なお菓子が食べたい一心で、ユーラシア大陸を計2年以上かけて横断したという。
拾い集めた郷土菓子は、37カ国で400種超。「わー、その手があったか!」である。旅に出て写真を撮る人、市場をめぐる人、ボールを蹴る人など様々いるが、郷土菓子のフィールドワークというのは初めて聞いた。しかもど根性のチャリンコ旅だ。こりゃあタダモノではない。さっそく原宿のお店を訪ねて話を聞いた。
放浪の自転車野郎
「お菓子づくりは、小学校の頃から好きでした」と静かにほほえむ林さん。端正なお顔に長い髪が似合っている。学校から帰るとクレープを焼き、クリスマスにはお姉ちゃんと一緒にケーキを作ったという。きっとクラスで人気の美少年だったんだろうなぁ。
しかし林さんにはもう一つの顔があった。おりゃー!とペダルを漕いでどこまででも行ってしまう放浪の自転車野郎だったのだ。
京都府宇治市に住んでいた小学3年生のとき、京都市まで片道20キロ弱を自転車で往復した。中学生になるとママチャリで奈良や大阪にも行った。高校時代は、東京ー宇治間を5日かけて自転車で走破。料理の専門学校を出て飲食店に就職するものの、厨房での暴力に嫌気がさしてふらふらと福岡まで逃げたこともあった。この時はビーチクルーザー(悪路でも走行できる自転車)にまたがっていたらしい。19歳の冬。
欧州の郷土菓子を求めて
「ぼくはマジメな性格なんですけど、言われたことをそのままやるのが苦手で」と当時を振り返る林さん。
あぁすごくわかります、その道をわたしも通りました、と心の中でつぶやく。マジメに生きたい。けど、マトモに生きるのはいやなのだ。どうしてもいやだ。そういうときはもう、何かを始めちゃうしかない。
林さんは「郷土菓子研究社」を立ち上げた。ひとりでロゴマークも考えた。活動内容は、ファーブルトンとかカヌレといったヨーロッパの地方菓子を作って、友だちの誕生日やイベントなどに持っていくというもの。
「ネットでレシピを検索して作るんで、その味が正解かどうかわからないわけです。こりゃあ実際に現地で食べないことには始まらないなぁと思いました」
それが林さんの「とりあえず始めてみたら見えた答え」だった。半年間バイトに明け暮れ、貯まった100万円を握りしめてヨーロッパへ。3ヶ月で13カ国を巡り、100万円をすっかり使い果たした。
街を歩き、気になるお菓子に出会ったら片っ端から食べてみる。「お!」と思ったら、材料や作り方を聞く。毎日がその繰り返し。なんて贅沢な時間だろう。
たとえば南イタリアのシチリア島のお菓子はめちゃくちゃ甘いという。さすがの林さんも、ひとくち目は「げ、甘すぎる。こんなの食べられない」と思った。でもシチリア独特の濃いエスプレッソ、お菓子屋さんの陽気な態度などを考え合わせると、この土地にはこの甘さがいちばんふさわしいことがわかってくる。
「郷土菓子はおもしろい。自分が一生をかけてやりたいことはこれだ、とハッキリわかりました」
お菓子を通した国際交流
帰国後は東京に拠点を移し、イタリア系のパン屋さんでバイトをしてまたお金を貯めた。「今度は旅じゃなくて住んでみたかった」ので、1年間有効のワーキングホリデーのビザを取って渡仏。「1日にふたつのお菓子を買う」というノルマを自分に課しつつ、労働者としてフランスのブドウ畑やお菓子屋さんを渡り歩いた。
ビザが切れたら日本に帰るつもりだった。うーん、だけど。1年経ってもまだまだ知らない郷土菓子がたくさんある。林さんは自転車屋さんに行って、大きな声で注文した。
「日本まで帰れる自転車をください!」
わはは、そうきましたか!店員さんが、これなら長距離旅に耐えられるだろうと勧めてくれた自転車は1100ユーロ(約15万円)。即決で購入した。そして林さんの長い長い旅が始まった。
2012年6月1日、林さんと荷物一切を乗せた自転車はフランスのアルザス地方を出発した。その時点で所持金は20数万円。旅日記をSNSに書いたり新聞にしたりして応援を募る一方で、節約のために民家に泊めてもらう作戦をとった。昼間は郷土菓子を物色し、日が傾いてくると住宅街を物色するのだ。
「立派なお屋敷だと警戒して泊めてくれないし、かと言ってボロボロの家に泊めてもらうのはこっちが怖いし…。ちょうどよさそうな家を探して、呼び鈴を鳴らして、交渉するんです」
各国の言語で「ぼくは世界のお菓子を研究していて、日本まで自転車で帰る途中です」と書いたスケッチブックを持ち歩き、それを見せて頼み込む。ふたつ返事で泊めてくれる人に出会えることもあれば、何軒も何軒も断られて寝床にたどり着くまでに4時間以上かかることも。無尽の体力も見上げたものだが、ドアをノックし続けるその気力、すごすぎる。
民泊することで、宿泊費が浮くと同時に、地べたの情報がじゃんじゃん得られた。「せっかくこの街に来たんだから、あの店のお菓子を買いなさいな」とか「俺がいまからこの地方の菓子を焼いてやっから、ちょっと待ってな」とか。
林さんはもち米粉ときな粉を常備していて、泊めてもらったお礼に和菓子を作って振る舞ったらしい。西欧、東欧、南コーカサス、中東、アジア……行く先々の民家のキッチンで繰り広げられたお菓子の交流。そのひとつひとつにドラマがあっただろうことを想像すると、この世のカラフルさがしみじみと胸に迫る。
忘れられないオムレツの味
トルコ・シリア国境では紛争地域にうっかり近づいてしまった。キルギスでは電気も水道もない山の家で2週間お世話になった。インドでは体調を崩して高熱を出した。
でも最大のピンチは、ボスニア・ヘルツェゴビナの田舎町でパソコンと携帯電話を盗まれたことだった。しかも犯人は、泊めてもらった家の兄ちゃん……。ドーンと落ち込む林さんを心配して、ことばも通じないのに自宅に招き入れてくれ、一緒に警察まで足を運んでくれたおじさんがいた。
「そのおじさんが、サワークリーム入りのオムレツを作ってくれて。あの味は忘れられないです。再現したくて自分でも作ってみるけど、あの時の味にはならないんですよねぇ」
林さんの世界地図には、さまざまな味が刻印されていった。途中で有り金が底をついたが、SNSでスポンサーを募集して乗り切った。旅日記を本にするために一時帰国するなんて予想外の展開もあった。最終的に旅が終わったのは2015年12月。と書いたけど、じつは林さんの旅は、ぜんぜん終わってないのであった!
現在林さんは、原宿で世界の郷土菓子が食べられるカフェをやりながら、暇を見つけてはお菓子を探すひとり旅を続けている。去年はミャンマー、今年はイギリス、北欧に出かけたとか。
「ここまできたら、世界中の郷土菓子を全部食べ尽くしたいです」
かわいい笑顔で、でも本気の目で、そう言った。林さんはこれからも、迷ったり悩んだりする前に何かを始めちゃうんだろうなぁ。