車いすで単身「世界一周」 クレイジーな旅に挑んだ28歳「SNSがなかったら耐えられなかった」
「暴走族が乗るようなバイクに乗ったり、『パラパラ』を踊ったりしていました」。そう10代を振り返る三代達也(みよ・たつや)さんは、現在、車いす生活を送っています。18歳のとき、バイク事故で頚椎(けいつい)を損傷し、手足を自由に動かせなくなったためです。その10年後、三代さんは思い立ち、ひとりで世界一周の旅に出ました。
約270日間の旅を終え、2018年5月に帰国した三代さんの講演会が9月14日、東京・大手町で開かれました(主催:H.I.S.ユニバーサルツーリズムデスク)。そこで、三代さんが語った「車いす世界一周」までの軌跡とはーー。
「なんでもいいから行動しろ」人生を変えた“師匠”との出会い
障害のためにもう歩けないと知ったとき、三代さんは心を病み、「下り階段のきわきわまで行って、ここから落ちれば楽になれるかもと考えた」といいます。ネガティブになる三代さんの考えを変えたのは、三代さんがのちに「人生の師匠」と呼ぶことになる男性との出会いでした。
病院で同室になった「師匠」は、三代さんの父親と同年代で、三代さんと同じような障害がありました。「師匠」は三代さんに「なんでもいいから行動しろ」と言い聞かせます。
三代さんは「師匠」の言葉に従い、ひとり暮らしをはじめました。四肢に障害のある人の車いすバスケ「ツインバスケットボール」にも挑戦。さらに、就職、ハワイへのひとり旅、ロサンゼルスでの滞在と、少しずつチャレンジの幅を広げていきました。そして、世界各国のバリアフリーの度合いを自分の目で確かめ、他の人に伝えるために、ひとりで世界一周の旅に出たのです。
スポンサーはつけず、旅費はすべて自費でまかないました。基本的に介助者をつけない「ひとり旅」でしたが、車いすでの移動のため、旅費は通常の約3倍、600万円近くかかったといいます。
講演会で三代さんは、実体験に基づく世界のバリアフリーの状況を語りました。ロンドンのバスは運転手のボタン操作で障害者用のスロープが出るようになっているなど、欧米ではバリアフリー化が進んでいます。一方、インドをはじめとするアジア諸国は観光名所でも階段が多く、周りの人たちに協力を求める必要がありました。客席には車いすの人たちもいて、三代さんの報告にうなずいていました。
「美しさ、キツさ、バリア度、すべてが高い」世界有数の観光地
世界一周23カ国をまわった三代さんは講演の最後に、バリアフリーという観点からよかった都市として、アメリカのハワイやロサンゼルスを挙げました。旅行会社H.I.S.で障害者のためのツアーを担当する薄井貴之さんによると、アメリカにはADA法(障害を持つアメリカ人法)があるため、公共機関やホテル、レストランのバリアフリー化が進んでいるといいます。
逆に、車いすでの旅行でも、あえて刺激を求める人のために、三代さんは「クレイジーな旅」のオススメも紹介。ペルーのマチュ・ピチュ遺跡やボリビアのウユニ塩湖を挙げました。「ウユニ塩湖に近い空港には、障害者用のトイレがないんです」と三代さん。塩湖に向かうための四輪駆動車に乗り移ることも容易ではなく、「美しさ、キツさ、バリア度、すべてが高い」場所だったと話していました。
講演での三代さんは終始明るく、車いす生活のつらさを冗談をまじえて語るなど、前向きな姿勢が感じられました。しかし、たったひとりの長旅は困難に直面することも多く、フェイスブックでのコメントやLINEでのやりとりに救われたと教えてくれました。「SNSがなかったら、メンタル的には耐えられなかったかもしれないですね」。
ちなみに、三代さんの生き方を変えてくれた「師匠」とは、いまでも交流があるとのこと。「緊張するんであまり電話をかけないんです」としつつも、世界一周の旅に出ることや講演会が決まったことなどを報告してきました。
「いいことがあったと報告すると『図に乗るなよ』と言われ、落ち込んでいると『お前なら大丈夫だよ』と声をかけてくれる。僕の扱いをわかっている人なんです」