宇宙船のようなカプセルホテル「ナインアワーズ」 創業者がこだわる「究極の機能性」
急死した父親が残したカプセルホテル事業を継ごうとしたら、借金が5億円もあることがわかったーー。それでも、周りの反対を押し切って相続。のちに新しいスタイルのカプセルホテルを作ることになったのが、「ナインアワーズ」の創業者・油井啓祐さん(47)です。
ナインアワーズは、カプセルホテルらしからぬ斬新なデザインで、国内外から注目されています。しかしそれは、一朝一夕になったものではありません。なにしろ、油井さんが28歳で父親の事業を継いだとき、5億円の借金に対して、現金が1000万円しかなく、会社の経営は火の車だったのです。
「多額の借金を抱えた父の会社を継ぐべきかどうか。友人・知人に相談すると全員に止められました」。当時、勤めていたのは投資会社のジャフコ。周りにいたのは、金融のプロばかりでした。しかし油井さんは、周囲の助言に逆らって会社を辞め、父親の跡を継ぐことにしました。
背中を押したのは、学生時代の思い出です。「日本で就職できなかったらアメリカに行くと父親に告げたとき、家の通帳をポンと渡してくれました。たいした額は入っていませんでしたけど(笑)。結局、 就職できたので通帳は返しましたが、その思い出があって、父のホテルを手放す気にはなれなかったのです」
カプセルホテルの事業を継いだ油井さんでしたが、明るい展望があったわけではありません。「カプセルホテルは、宿泊業界のなかでも最下層にあって、しかも全体的に斜陽の部類でしたから」と振り返ります。「世界に通用するビジネスがしたい」という油井さんの夢とは、大きな落差がありました。
テレビや自販機を「削ぎ落とした」スタイル
父親から受け継いだ会社をなんとか回しながら、新しいカプセルホテルの構想を練っていた油井さんは2005年、あるデザイナーにコンセプトの立案を依頼します。しかし、提案された「高級カプセルホテル」のイメージに大きな違和感をおぼえました。そこで、もともとカプセルユニットのデザインを担当することになっていた別のデザイナーに、全体のディレクションも依頼することにしました。
それが、現在はグッドデザイン賞の審査委員長も務める著名なプロダクトデザイナー、柴田文江さんでした。「柴田さんは当時から名の知られたデザイナー。よく引き受けてくれたなと思います。人には本当に恵まれてきました」(油井さん)
油井さんと柴田さんは「豊かさとはなにか?」について、とことん議論したといいます。「機能的で高品質なものに対してピュアでなければならない。それが怖いからといって、適当なところで答えを出してはいけないと考えました」と、油井さんは語ります。
「できあがった『ナインアワーズ』には、他のカプセルホテルには必ずあるテレビがありません。ラウンジには、新聞や食事をする場所がなく、自販機すらありません。そうやって削ぎ落とすのは勇気がいります。妥協して『自販機は置こう』とか『雑誌はアリだね』と言い出していたら、今のかたちにはなっていないでしょう」
その選択が功を奏し、2009年末に京都でオープンした「ナインアワーズ」の1号店は、海外のデザイン誌で取り上げられるなど大きな注目を集めました。油井さんを取材した日、ナインアワーズの北新宿店では多くの外国人観光客の姿が見られました。宿泊していたアルゼンチンから来た男性(32)は、「『宇宙船の中にいるかのような心地になる』というレビューを見て、このホテルに決めた」と語っていました。
またこの店舗には、宿泊客でなくても利用できるコワーキングスペースが設けられていて、大きなテーブルや個別のブースで、ノートパソコンを広げる人たちも見かけました。駅から近いため、ちょっとした空き時間に仕事を進めたいときに使えそうです。
京都に続いて、「ナインアワーズ」ブランドのカプセルホテルは、成田空港、仙台、北新宿、神田、竹橋にも進出。今年5月には赤坂店がオープンしました。さらに、蒲田、新大阪、浅草への出店を予定しています。
皇居に近いナインアワーズ竹橋では、皇居の周りをランニングする人たち向けに、シューズやウェアの貸し出しサービスが行われています。「ひとり」の時間を大切にするカプセルホテルの会社らしい着眼点といえるでしょう。
油井さんは、新しいタイプのカプセルホテルの需要はまだまだ伸びると見ています。「新宿だけでも5店舗は作れると思っています」。さらに「いずれ国境を超えたビジネスにしたいですね」と、展望を語っていました。