「村上春樹さんは寡黙な人だった」孤独な人たちの受け皿となる喫茶店
「村上さんは寡黙な人でした」。そう語るのは、千葉県で40年近く営業を続けている「cafe螢明舎」オーナーの下田荘一郎さん。谷津店(習志野市)を創業した1980年代の初頭、作家の村上春樹さんと親交がありました。村上さんは店にも何度か来たことがあるといいます。今回、本八幡駅から歩いて5分ほどの八幡店(市川市)を訪れ、下田さんに店のこだわりや村上さんとの逸話を聞きました。
「一つ一つに思い入れがある」
2階まで階段で上り、クラシックが流れる薄暗い店内へ。細部にまでこだわりを感じさせる内装です。座り心地のいい椅子は、下田さんがデザインしオーダーメイドで作ったといいます。
コーヒーは、出来立ての生豆ではなく、熟成豆「エイジング・ビーンズ」を使用しています。ネル(布)を使ってコーヒーを抽出し、ポットにデキャンタージュ(移し替え)をしてから提供する珍しいスタイル。まろやかでとろみのある味に仕上がります。
ランチのおすすめはキッシュ・プレート(1250円)。きのことベーコンのキッシュに、南仏風ラタトゥユとクスクス。「混ぜながら食べてもらえれば」と下田さん。シンプルながら奥深い味わいです。
旅行でフランスのパリの裏通りを歩いていたときに、惣菜屋で本場の「キッシュ」と出会い、帰国後に味の研究を重ねました。「料理は全部うちで手作り。そういうこと一つ一つに思い入れがあります」(下田さん)
店の「猫」が村上春樹の小説に
下田さんが独立する前、修行していた店に村上春樹さんが出入りしていて、仲良くなったといいます。村上さんは、下田さんが独立して始めたcafe螢明舎(谷津店)も訪れ、取材に使ったことがあるそうです。
「村上さんの『カンガルー日和』という小説の取材のために、私が人を紹介したんです。でも、寡黙な人だから、取材なのにあまり喋らないんですね(笑)」
それから30年あまり。2014年に発表された「木野」(『女のいない男たち』所収)という短編小説があります。ふと読んでみた下田さんは、驚きました。
「私が当時飼っていた猫が登場していたんです。お客さんにとても愛されたガンジーという名前の猫でした。ちょうど村上さんが店に来た時、玄関先で待っていたのを覚えています。僕の勝手な思い込みだけど、『取材を受けて村上さんのことを語ってもいいよ』と言ってくれた気がしましたね」
村上さんも1970年代にジャズ喫茶を経営していました。そのころ、喫茶店は「孤独な人たちの受け皿」のような空間だったと振り返る下田さん。
「夜、仕事の帰りに行き先のない人がふらっと来て、店に集まる。田舎から出てきた孤独な青年もやってきたりする。カウンターで話をして、そこに集う人たちと人間関係を形成していくんです」
今ではそういうお客さんも少なくなったといいます。しかし、下田さんと話していると、だんだんと会話が仕事や恋愛についての人生相談になっていきました。「ぜひ、ひとりでも来てもらえたら」と下田さんは語っていました。