ムエタイ選手の夢は挫折したが…至高のコーヒーを供する「靴職人」の壮絶人生
自分自身と向き合う、ひとりで過ごす大切な時間。そこに香り豊かなおいしいコーヒーがあれば、そのひとときはより深く、充実したものとなってゆきます。
「どんなコーヒーがお好みですか?」
大阪府枚方(ひらかた)市にある『かわごし』の店主・川越一之さん(49歳)は、僕にそう聞きました。僕は「味わいが軽く、甘みがあるものを」と希望を告げます。川越さんはそれに応え、1週間以内に自ら生豆を炒って焙煎した数種類のフレッシュな豆を挽き、ブレンドをし、ネルのフィルターにお湯を注ぎます。湯をまわし注ぐ時間は、じっくり3~4分。
「おいしいコーヒーの秘訣は“3分以上、4分以内で淹れること”。お湯を落としはじめて1分ぐらいで、まず酸味が出てきます。そのあとは旨味や甘味が追いかけてきて、3分を過ぎると味や香りのピークを迎えます。しかし4分を過ぎると今度は苦味やえぐみしか出てきません」(川越さん)
時間を見計らいながら淹れられたコーヒーは、酔うかと思うほどの、ただならぬ香りのよさ。ひとくちすすれば、リクエストに寸分たがわず、雑味がなく、豆のナチュラルな甘みが感じられます。これほど味に透明感をおぼえるコーヒーは、またと出会えません。
意外すぎる! 靴修理の工房で味わえる絶品のコーヒー
思わずうっとりと目をつぶってしまう極上のおいしさに感動するとともに、僕はハッと我に返りました。「自分はいま、なんという不思議なシチュエーションでコーヒーをいただいているのか」と。
コーヒーポットを手に持つ川越さんが営む『かわごし』は、喫茶店でもカフェでもありません。それどころか飲食店ですらない。実はここは意外にも、壊れた靴やかばんなどを修理する工房なのです。コーヒーをたてる一連の作業は、靴修理をする作業台の上で行われます。その大胆さに、驚くばかり。
「腕が確かで、さらに絶品のコーヒーが味わえる靴修理工房がある」と聞いて、やってきたのは大阪の郊外、枚方市。扉を開けると、15坪の店内にはうずたかく積まれた色とりどりの革や大きなミシン、大小さまざまな工具がズラリ。職人気質がみなぎる空間です。
「元の状態より強くして直す」市販の靴を分解する独自の修理方法
川越さんは、靴の傷んだ部分を修繕するのみならず、靴そのものを分解して組み立て直す凄腕の職人。
「『壊れたところの原因から直す』『元の状態より強くして直す』。それが『かわごし』を設立した当時からの僕の理念です。オーダーメイドでないかぎり、市販の靴が足にぴったり合う人なんてまずいない。メーカーが決めた縦のサイズだけで妥協しながら、靴を選ばなければならないのが現状です。ほとんどの方が正しいワイズ(足囲)を知らずに履いているんです」(川越さん)
「靴はかかとで履くもの」。川越さんはそう言います。そして、かかとが後ろにピタッとついた状態で足が固定できて、なおかつ前のめりにならないよう、靴を解体してから客の骨の位置に合わせてワイズを測り、組み立て直しているのです。それはもう修理を超え、一足の靴を新たにつくる作業。
小学生の頃から「モデラー」として活躍するほど手先が器用
本職の靴職人が「いったいどうやって直しているんだ?」と見学に訪れるほどの高い技術を持つ川越さん。それもそのはず、幼い頃からハンドメイドで一目置かれた存在だったのです。
「小学生の頃から、街の模型屋さんのディスプレイモデラー(模型製作をする人)に選ばれ、新しいプラモデルを作れば店頭に飾られる、そんな子どもでした。『ものの仕組み』に興味があって、暇さえあれば機械類をバラバラにして再び組み立てる、そういうことをずっとやっていました。今こうして靴を分離させても元に戻せるのは、幼い頃から機械類をいじっていた経験が生きていると思います」
世界トップクラスのスペシャルティコーヒーを自分で焙煎
小学生時代から手先が器用だった川越さんは、靴修理だけではなく、コーヒーを淹れるのが得意。靴が傷んだ原因をつきとめたり修理したりするために、お客さんを少々待たせることになります。コーヒーを供すようになったのは、「待つ時間も楽しんでもらいたい」という思いからでした。
「『飲みたい』という人がいれば、好みを聞いてお出ししています。豆は世界トップクラスのスペシャルティコーヒーのみ。高級なコーヒー豆を手網で焙煎しているから、喫茶店と同じ金額ではとうていペイなんてできない。なので修理や相談に来られた方のみに趣味の延長として提供しているんです」
お気に入りの靴がよみがえるまでのあいだを、最高のコーヒーを飲みつつわくわくしながら待つ。それはとても贅沢な時間です。そんな川越さんの人生は、カップから立ちのぼるコーヒーの湯気のように、ゆらゆらと揺らめいていました。
「あんたに何ができるんだ?」そのひと言でムエタイの選手に
10代の頃、川越さんがなりたかった職業、それは職人ではありませんでした。
「夢は格闘家でした。父親がボクサーだったんです。『おとんより強くなりたい』とずっと思っていて、空手を習ったり、鉄アレイで足のすねの骨を叩いて鍛えたりしていました」
「いつかは格闘家に」という目標を胸に秘めつつ、19歳から23歳のあいだは京都にあるアイスクリームショップで働き、アルバイトから店長にまで上り詰めた川越さん。この頃、同じビルにあったカフェのコーヒーに衝撃を受けたといいます。
「これまで飲んでいたコーヒーの味や香りとはまるで違うことに、びっくりしました。聞けば工場で週に2度焙煎しているから鮮度が違うとのこと。『焙煎が新しいと、コーヒーってこんなにおいしいんだ』と驚き、さっそく焼き物の焙煎器を買いにいきました。それから、コーヒーの味を追求しはじめたんです」
それが20歳の時。なんと川越さんのコーヒー道は、靴にかかわるずっと以前から始まっていたのです。そしてその後はコーヒーを極める方向へ驀進(ばくしん)するかと思いきや……。
「22歳の時、勤めていたアイスクリームショップで、年下のバイトと喧嘩になったんです。『店長だって偉そうにしているけれど、あんたに何ができるんだ?』と歯向かわれました。『何ができるんだ?』と言われ、なにも反論できない自分がつらかった。そしてこれ以上、店の大勢を率いる自信がなくなったんです」
川越さんは悔しさのあまり突然店を辞め、ある行動へ出ます。それは、あまりにも大胆な転換でした。
「『プロのムエタイ選手になろう』と考え、タイへ渡りました。弱い人間のままでいたくなかったから。母親からは『あんた、なに考えてんの!』と反対されましたが」
とても突飛な行動のようですが、もともと憧れていたのは格闘家。タイで体脂肪率7パーセントにまで身体を絞りあげ、試合に出場する寸前までいきました。しかしながら、ここでもうまくはいかなかった。
「プロを目指していたんですが、肩を脱臼し、脱臼癖がついてしまいました。『格闘家への道が閉ざされた』と、ひどく落ち込みました」
「手に職をつけろ」 登山家からの言葉を胸に帰国
志半ばのアクシデントに見舞われた川越さん。しかし失意にあったタイで、今後の進路に光を差す言葉と出会うこととなります。
「脱臼した頃、ゲストハウスで、ある登山家と知りあったんです。エベレストをネパール側とチベット側の両方から制覇したすごい方で、僕は『なぜそんなに勇気があるのか』と聞きました。すると登山家は『手に職があるからだ。自分は溶接の仕事をしている。手に職さえあれば、いつでも仕事に戻れる。世界中どこへ行っても仕事はある。だから冒険ができるんだ』と。そして『君も手に職をつけなさい』とおっしゃったんです」
年下から「あんたに何ができるんだ?」と逆らわれ、忸怩(じくじ)たる思いをいだき、やってきたタイ。ここで出会った登山家の言葉は「手に職」への道を拓く力を秘めていたのです。そうして帰国後、26歳で靴修理の会社へ入社しました。
「入社した日に、先輩たちの仕上げを見て、『自分ならもっと上手に修理ができるんじゃないか?』と疑問を持ち、独学で研究を重ねました。そうしてサラリーで毎月こつこつと工具を買い集め、32歳で『かわごし』を独立開業したんです」
まるで靴紐のように右往左往しながらも、しっかりと結び目を作った川越さん。お話をうかがいながらゆったりといただくコーヒーに人生の滋味を感じました。繕い終えた靴を履いて地面を踏むと、軽快に弾み、前進したくてたまらなくなるのでした。