「やりたいことしかやらない」が僕のモットーになった日(青春発墓場行き 22)

(イラスト・戸梶 文)
(イラスト・戸梶 文)

密着取材 を終えると、僕は売り込み先を探した。まずは大手出版社から発行されている今は亡きG誌にアタックするも著名じゃないと無理ということで撃沈、それならということで、僕はずっと愛読していてノンフィクションも扱っているインディペンデント誌S誌にメールで送りつけた。

まったく期待していなかったのだが、10日ほどたって、編集長からメールの返信があった。そこには原稿に対するお褒めの言葉と、よかったら編集部に遊びに来ないかということが書かれてあった。僕は浮足立つほど歓喜した。憧れのS編集部に遊びにいけるのだ。僕は喜び勇んで指定された日時に編集部に向かった。

千駄ヶ谷駅を降りてしばらく歩くとちょっと古びたマンションがあった。そのマンションの一室が編集部だった。ドアをあけると編集長のAさんと編集兼営業のKさんがドアに向かうかたちで机に座っていた。ふたりの風貌は雑誌のイメージとはかなりちがって、もっとヒッピーな感じだと思っていたのだけど、意外にも真面目な感じだった。

期待していなかった売り込みが実を結んだ

僕は挨拶して中に入り、自分の来し方行く末について、思う存分語った気がする。しかし、僕の原稿をS誌に載せようといった発言が全然ないので、僕は内心不安になっていた。1時間ほどたったころ、編集長のAさんは、僕に「今一番会いたい人っている?」と聞いた。僕はそのとき、僕が好きだった、クリエイターのTさんと答えると、次号でTさんを取材しようと言った。

この言葉は、実質、僕がS誌と関われることを意味した。そのときに、僕は、送った原稿が載ろうが載るまいがどうでもよいと思えた。S誌に僕が原稿を書けるのだ。僕はこころの中で喜び勇んで編集部をあとにした。

その後、K誌にも売り込んで、編集長に原稿を載せてもらえる約束をした僕は、静かに、このビッグウェーブに乗らなければ、僕のライター生命は終わると闘志を燃やしていた。ここから数年間は、本当に忙しい日々だった。書けるほどの記憶があるのか自分でも自信がない。まず、週5でやっていた、食っていくためのR社の仕事を、実入りはよかったが、思い切って辞めた。やりたいことしかやらない。それが僕のモットーになった。でもなかなか実現させるのは難しい。でもできるだけ近づけていこうと努力した。

僕はこの売り込みの成功に味をしめて、やりたい媒体にどんどん自ら売り込んでいくことになる。これが結構面白いことも発見したのだ。まさに、第2の青春が始まろうとしていた。

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