就活失敗・フリーター・脳腫瘍を経験した31歳、保険のトップセールスに

田上顕子さん(撮影・齋藤大輔)
田上顕子さん(撮影・齋藤大輔)

保険のセールスをしている田上顕子さん(31歳)は、飛ぶ鳥を落とす勢いの活躍を見せています。昨年は、年間の保険手数料を28万8000米ドル(約3000万円)以上稼いだ人が取得できるCOT(Court of the Table)を達成しました。いまや個人と法人を合わせて500以上の顧客がいます。

しかし、ここまでの道のりは決して平坦ではありませんでした。フリーター時代や重い病気などを経験し、苦難を乗り越えて今があります。田上さんはどのようにして成功を手にしたのでしょうか。その半生に迫ります。

大学を中退して保険業界に飛び込む

東京都足立区出身の田上さん。田上さんが5歳の時に、経営者だった父親と母親が離婚。のちに母が再婚した養父も経営者だったことから、将来は経営者かプロの営業マンになろうと学生時代から考えていました。

大学は、早稲田大学に進学。偏差値50だった田上さんに、親が「早慶以外は学費を出さない」と言ったことから、6カ月で偏差値を20上げて現役合格しました。

「6カ月間ファミレスで1日13時間勉強しました。ウェートレスのお姉さんから応援されたことを覚えています」(田上さん)

”ゾーン”に入ったときに、周囲の声が聞こえなくなったという田上さん。その時に自分に備わっている集中力に気づいたそうです。

田上さんが営業の道へ進むきっかけとなったのは、在学中に読んだ『かばんはハンカチの上に置きなさい』(ダイヤモンド社)。トップ営業マンの川田修さんが、具体的なノウハウやトップ営業の考え方などを綴った本です。

「この本との出会いで大学を中退して保険業界に飛び込みました。最初からフルコミッション(完全歩合制)の代理店に入社しましたが、すぐに壁にぶつかりました。月収が5~10万円、多くて20万円。大変でした」

営業の大変さを痛感した田上さんは、いったん保険業界を去ります。その後、結婚・出産を経験して、再び就職活動を始めますが、厳しい現実が待っていました。

「生協の宅配も携帯ショップもことごとく落ちて、自分には市場価値がないと、がく然としました。生活のため時給1400円のパチンコ屋の店員、夜はファミレスのスタッフ。朝9時から深夜0時までフル回転で働いて月収28万円。大学中退でフリーターの私は、『人生もう終わったな』と失望しました」

脳腫瘍の手術という大きな転機

(撮影・齋藤大輔)

しかしその後、奮起して再び保険業界に戻ります。大手損害保険会社に出向し、2年弱を過ごしました。仕事も軌道に乗り、売り上げも順調に伸びていたのですが、人生を左右する大きな出来事がありました。

「脳腫瘍と診断されました。脳の真ん中から2センチ大の腫瘍を掻き出したんです。メンタルは強いつもりでしたが、手術では腰が抜けましたよ」

手術は無事に成功しました。田上さんはこの経験から、「人生は有限だから、明日死んでもいいという生き方をしよう」と決めました。その後、フルコミッション(完全歩合制)の営業に戻り、破竹の勢いで売り上げを伸ばします。

「昨年は、COT(年間の保険手数料が28万8000米ドル以上)に達しました。今年はCOTの3倍の基準のTOTを達成する見込みです」

これだけの手数料を達成するには、多くの契約が必要になります。田上さんは、契約を増やすために人脈の開拓に力を入れ、世界最大規模の異業種交流組織「BNI」に参加して、活躍の幅を広げました。

「BNIでは、お互いに人を紹介しあう制度があります。ここで重要なのは、すぐに結果を求めないことです。私も6カ月間、ひたすら人を紹介し続けました。結果として、少しずつ紹介がもらえるようになりましたね。実は人見知りで、トイレにこもったりするくらい、交流会が苦手なんです。でも『1番を取りたい!』、その思いでとにかくあらゆる場所へ顔を出しに行きました」

成功の秘訣は「本音で語ること」

様々な障害を乗り越えて、トップセールスになった田上さん。成功の秘訣はどこにあったのでしょうか。

「もがいていたころは、ひたすら『話を聞いてください』と、ニーズがないのに保険の話をし続けました。でも今は、『話を聞かせてください』に変わりました。そのことが変化につながったと思います」

さらに本音を語ることも、信頼関係を築く上では重要だといいます。

「脳腫瘍を患ったことで、誰に対しても本音を言うようになりました。本音を言われると、信頼を得ることができます。ただ、その人のためだと思って言っても、逆に不快に思う人もいるのも事実ですが、それでも本音を言うようにしています」

またライフスタイルの変化も成功の鍵となりました。日中は緊急度の高い仕事に集中する必要があるため、早朝の時間を使って緊急度の低い仕事をするようになったのです。

「朝4時に起きて『緊急度は低いが重要度は高い仕事』をするようにしています。すぐに結果にはつながりませんが、信頼関係につながり、中長期的には仕事にも繋がる可能性のあるものです。一方、日中の時間帯は、レスポンスの早さが重要となる、緊急度の高い仕事をするようにしています」

さまざまな苦難を乗り越えたからこそ見つけた成功の秘訣。田上さんはいま、こうした成功哲学を教えるコンテンツを作りたいと意気込んでいます。フリーターから保険のトップセールスになった経験を通じて、社会に還元したいと意欲が高まっています。

(撮影・齋藤大輔)

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