「紅白歌合戦の出演」最初は断った(元たま・石川浩司の「初めての体験」1)

たまは紅白歌合戦で「さよなら人類」を歌った(イラスト・古本有美)
たまは紅白歌合戦で「さよなら人類」を歌った(イラスト・古本有美)

28年前の「たま紅白出場」の舞台裏

紅白歌合戦に出るのが夢だった・・・わけでは全然なかった。

なぜなら、1990年にデビューしたバンド「たま」のメンバーたちが夢中になって聴いていた日本人アーティストと言えば、友部正人、三上寛、原マスミ、あがた森魚、突然段ボールなど、紅白とは無縁のミュージシャンだったからだ。

そんなミュージシャンをリスペクトしたり、影響を受けていたりしていた僕らには、同じ音楽業界と言っても紅白は遠い世界だった。それがひょんなことからデビュー曲「さよなら人類」がヒットしてしまい、あれよあれよと紅白出演が決まってしまったのだ。

そこでメンバー同士で「どうすべい?」と話し合いが持たれた。「何日も撮影リハーサルとかで拘束されるし、それならツアーのためのリハーサルや新曲づくりでもした方が有益なのではないか」という意見も出た。なのでレコード会社の担当さんに、「僕たち紅白は遠慮しようと思うのですが~」と気軽に言ったら、腰を抜かされんばかりにビックリ仰天された。

「な、な、何を言ってるの!?」

そして、その担当者は真剣な顔になり「レコード大賞から紅白まで車を走らせるのは、ミュージシャン担当のスタッフとして、一生に一回あるかどうかの大きなことなのだ!」と懇願された。当時、レコード大賞の発表も紅白と同じ大晦日に行われており、レコード大賞の生放送が終わるとすぐに、武道館から紅白歌合戦の会場であるNHKホールまで車を走らせるのが一種のステータスとなっていた。

その担当さんのあまりの真剣さに、ただごとではないと気づいた僕らは、「まぁ、他の音楽番組には出てるわけだから、紅白を断るということはかえって意識していることになるよなぁ。それならこれもひとつの番組として出ればいいかぁ」ということになった。

ちなみに何かのインタビューで、紅白について「他の音楽番組同様に演奏させてもらえるので出ます」と話したら、相手は「ワハハッ!」と、ジョークとしてしか受け取ってくれなかった。本当にそう思っていたのにな・・・。

ピンク・レディーの生着替えに「シアワセ」

さて、大晦日の当日。個室楽屋が与えられているのは大御所の数人ぐらいで、僕たちの楽屋は大部屋だった。今まで画面の向こうでしか見たことがなかった人たちが、一堂に会している現場はスゴかった。子どもの頃から見ていたトップアイドルがすぐ横でパンツ一丁で着替えてる。

う~む、ファンの人がこの光景を見れるとしたら、今ならネットオークションでものすごいお金が積まれるような気がする。演歌の人たちは気さくで、初対面なのに五木ひろしさんには肩を揉まれたり、森進一さんにはあの声で「(ランニング姿で)寒くないかい」と声をかけられたりした。

そして番組が始まり、ほどなく自分たちの出番。僕らの前がピンク・レディーだった。すでに全盛期は過ぎていたが、スペシャルメドレーのような感じで、「UFO」や「モンスター」などいろんなヒット曲を歌っていた。早着替えで、曲が変わるたびに衣装も変わる趣向だ。曲が終わると衣装のあたりに濃いスモークが現れ、スモークが消えるといつの間にか次の衣装になっている、というように、視聴者や客席には見えていた。つまり重ね着をしていて、どんどん脱いでいく形だったのだ。

ところがこれ、次の出番ですぐ後ろに控えていた僕らだけには、背中とはいえその服を脱いでいく姿が丸見え。なぜなら後ろ側には、スモークは炊かれないからね。これは全世界で、僕らと一部のスタッフだけの眼福だったな~。シアワセシアワセ。

紅白を抜け出し芝居を観劇

さて、僕らの出場曲は「さよなら人類」という曲なのだが、ライブでは間奏部分が常に即興だった。つまり長さが決まってない。というか曲のテンポ自体も、その日のメンバーのノリで、早めになったり遅めになったりする。しかしそこはNHKの看板番組の生放送。ぴったり4分30秒(時間の記憶は曖昧です)に収めなければならないので、何度もテンポや間奏の長さをリハーサルして合わせた。なので緊張はしたが、それは紅白だからということではなく、「テンポを間違ったら怒られる」ということだった。演奏の記憶はほとんどなかった。

ちなみに僕の定番の衣装といえば、ランニングシャツに半ズボン。いつもはライブステージで汗をかいても透けないように、義母にオーダーメイドで、厚い生地のランニングシャツを作ってもらっていたのだ。

ところが紅白では、権威ある番組に出るということで、僕の反骨精神がムクムクと湧き上がってしまい、わざと市販の一番安いランニングシャツで出演した。お笑いのためなど演出的に裸同然の格好で出るといった例外を除けば、紅白史上、最も安い衣装で出演した人間かもしれない。

僕らの出番は前半で終わった。あとは最後に、出演者全員でステージに上がり、観客に手を振るというシーンまで出番はない。それまでおそらく2時間近くあった。

すると誰かが、「近くで知り合いの劇団がいま、面白い芝居をやっている」という情報を仕入れてきてしまった。徒歩10分くらいの会場で行われているらしい。そこでなんと僕らは、紅白の会場をそっと抜け出して、その芝居を観に行くという悪行を働いた。結果、誰にもバレずに観劇し、またこっそり戻って来て、番組の最後には涼しい顔をしてステージで手を振っていた。

とんだ不良な僕らは、二度と紅白に呼ばれることが無かったのも自明の理である。

この記事をシェアする

石川浩司 (いしかわ・こうじ)

1961年東京生まれ。和光大学文学部中退。84年バンド「たま」を結成。パーカッションとボーカルを担当。90年『さよなら人類』でメジャーデビュー。同曲はヒットチャート初登場1位となり、レコード大賞新人賞を受賞し、紅白にも出場した。「たま」は2003年に解散。現在はソロで「出前ライブ」などを行う傍ら、バンド「パスカルズ」などで音楽活動を続ける。旅行記やエッセイなどの著作も多数あり、2019年には『懐かしの空き缶大図鑑』(かもめの本棚)を出版。旧DANROでは、自身の「初めての体験」を書きつづった。

このオーサーのオススメ記事

お笑い芸人との共演を思い出す「草薙」散歩(地味町ひとり散歩 36)

ヤギやウマやザリガニ…都心なのに動物が多い「面影橋」(地味町ひとり散歩 35)

日本最南端の駅「赤嶺」 黒猫がのんびり昼寝する街を歩く(地味町ひとり散歩 34)

「飲む極上ライス」不思議な沖縄ドリンクを「古島」で飲む(地味町ひとり散歩 33)

行徳で見つけた「体がグミになりそうな」滑り台(地味町ひとり散歩 32)

伝説の野外フェスの里「中津川」にリニアがやってくる?(地味町ひとり散歩 31)

石川浩司の別の記事を読む

「ひとり思考」の記事

DANROクラブ

DANROのオーサーやファン、サポーターが集まる
オンラインのコミュニティです。

もっと見る