「孤独なしには何も生まれない」世界的な音楽家・三宅純さんが語る「創作の源泉」

音楽家の三宅純さん
音楽家の三宅純さん

いまの日本に贈る「忖度(そんたく)コメディ」。そんなキャッチフレーズがつけられたアメリカとイスラエルの合作映画『嘘はフィクサーのはじまり』が10月27日、日本で公開されます。主演のリチャード・ギアが、大金を手にすることを夢見ながら、アメリカのユダヤ人上流社会に入り込もうとする「自称フィクサー」を熱演しています。

影響力のある政治家や財界人とつながって私腹を肥やしたい! そう考える人間はどの国にもいますが、ギアが演じる主人公のノーマンは、小さな嘘を積み重ねてユダヤ系の人脈を広げていき、ついにはイスラエルの親しい政治家が首相に就任するという幸運に恵まれます。彼の人脈を利用して暗躍するノーマンでしたが、だんだんと危機が迫ってきてーー。

この映画の音楽を担当したのは、国際的に活躍する音楽家の三宅純さんです。リオ五輪の閉会式で『君が代』のアレンジを手がけたり、ヴィム・ヴェンダース監督『Pina/ピナ・バウシュ 踊りつづけるいのち』の映画音楽を担当したりするなど、海外でも高く評価されています。そんな三宅さんに、同作への思いや映画音楽についての話を聞きました。

リチャード・ギアが演じる主人公のノーマン・オッペンハイマー

ユダヤ人の音楽には「独特の角度」がある

ーー今回はユダヤ人の上流社会を舞台にした映画ですが、音楽を作るにあたって、どういう点にこだわったのでしょうか?

三宅:こだわったわけでもないですが、「ユダヤ的なもの」が自然に出ているかと思います。僕は幼少時から、ユダヤの人の音楽に反応する傾向がありました。クラシックだと、クルト・ワイルやアルノルト・シェーンベルク、グスタフ・マーラー、スティーヴ・ライヒなど。もうちょっとポップな音楽では、ジョージ・ガーシュウィン、バート・バカラック、ルー・リード、レナード・コーエン、ボブ・ディランなど……。すごい数のユダヤ系の素晴らしい音楽家がいるんです。

ーー「ユダヤ的なもの」とはどういうことでしょう?

三宅:それは、言葉で表現するのが難しいですね。歴史的にみて、ユダヤ人は国土を追われたという経緯があります。いろんな国でいろんな形に変化を遂げながら、生きてきました。一つの場所におらず、どこにいても異邦人。そうやって育ってきた人生に対する「独特の角度」のようなものがある。メロディでもハーモニーでも、角度がついている。秘めた情熱のようなものがある、といえばいいでしょうか。

ーーヨセフ・シダー監督からは、どんな依頼があったのでしょう?

三宅:監督から言われたのは、背景音楽ではなく、音楽が「役者のひとり」のように個性を持ったものにしたいということでした。メロディもしっかりあるものにしたい、と。そんな要請があったので、「望むところです」と答えました。

最初、監督からコンタクトがあったときは、ちょうど日本で稲垣吾郎さんがベートーヴェンを演じる舞台『No.9 -不滅の旋律-』の音楽をやっていました。「今、ベートーヴェンの世界にズッポリ入っています」と言ったら、ちょっと待ってくれました。そして、私が拠点にしているパリに帰ると、すぐに監督と音楽プロデューサーが訪ねてきて、依頼されたんです。

主人公ノーマンは、イスラエル首相に出世したエシェルの「お墨付き」を武器に暗躍

「孤独は創作の源泉」

ーーこの映画を初めて見たとき、どういう感想を持ちましたか?

三宅:脚本を読まずに、何の予備知識もなく見たんですね。何が起こっているのかを理解するために、英語の会話を聞き取るのに集中しました。見終わったとき、「あまり見たことがないタイプだけれど、とてもいい映画だな」と思いました。同じユダヤ系のコーエン兄弟の作品に似ているとも思いました。普遍性がありつつ、独自の論法もある映画です。

ーーそもそも「映画音楽」というのは、どうあるべきなのでしょう?

三宅:一定の法則があるというよりは、映画ごとにふさわしい音があると思います。どの立ち位置なのか。どう攻めていくのか。もしくは、完全に背景にまわるのか。何らかの感情を支えるのか。環境自体を表現するのか。そのつど、自分の任務を果たすのが、映画音楽の仕事だと思います。でも、中学生くらいのころ、はじめて映画音楽を意識して聴いたときに「なんてつまらない音楽だろう」と思ったんですよ(笑)

ーーなぜでしょう?

三宅:つまり、「骨が抜いてある」というのでしょうか。映像の中に主役がいるので、音は主役になってはいけないんです。映像の完成度が高ければ高いほど、音は後ろにまわる傾向がある。僕は純粋に音楽家を目指していたので、こういうのだけはやめておこうと思いました(笑)。今回は、監督に「音楽も役者のひとり」と言ってもらえたのはよかったですね。

ーー監督と話し合いながら作曲するのでしょうか?

三宅:最初にじっくり話し合いますが、作曲のときは基本的にひとりです。僕は「ひとりの時間」が大好きです。1日に最低7、8時間は「ひとりの時間」がないと、破綻します。孤独は創作の源泉です。それなしには何も生まれないと思っています。

ーー今後も映画音楽の仕事を続けますか?

三宅:いくつか動いている仕事があります。ただ、映画音楽は必ず何らかの困難と不条理が伴います。それでもやりたい魅力があるのか。それとも労力のほうがかかるのか。バランスを見極めないといけませんね。もう還暦も過ぎたので、自分の持っている時間をどう使うかを考えていきたいです。

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