高円寺の「レッドサブマリン」で第二の人生が始まった(青春発墓場行き 10)

高円寺の「レッドサブマリン」で第二の人生が始まった(青春発墓場行き 10)(イラスト・戸梶 文)
(イラスト・戸梶 文)

勢いのままに会社を辞めたものの、次なるあては皆無に等しかった。僕は会社の寮を追い出されることになったので、とりあえず引っ越しをしなければならなかった。

どこにしようか、と思うも、東京に来てまだ1年とちょっと。しかも、上京するまで東京にまったく興味がなかったということもあって、全然地理がわからない。仕方なく、東京で一番有名だと思っていた新宿を起点に家を探すことにした。

山手線沿いは家賃が高いのでパス。総武線で都心方面に入っていくのも、より家賃が高いのでパス。そうすると消去法的に、郊外の方向、すなわち新宿から西に向かって探していくことになる。

西側といっても、まだ選択肢がある。新宿からは、中央線、小田急線、京王線という3つの鉄道が走っている。さて、どの沿線にするか。僕は関西出身なので、伝統的に私鉄が強い関西のイメージに引きずられて、JRはしょぼいものと思っていた。

しかし、それぞれの沿線を散策してみると、圧倒的にJRの駅が豪華なのである。これが官の東京、民の大阪なのかと、あらためて実感したのだった。小林一三(阪急電鉄の創業者)は偉大である。

かなり年季が入った赤色のアパート

ターゲットをJRの中央線に定め、僕は、東中野から、中野、高円寺と順番に物件を見ていった。なかなか思うような物件が見つからないなか、高円寺のある不動産屋にふと入ってみると、お店の人が僕の顔を見るや否や、言ったのだ。

「あ、いい物件あるからすぐに付いてきて! すぐ埋まっちゃうから!」

予算も聞かない強引な勧誘だったが、僕はのこのことついて行った。

それは、赤色の4階建てのアパートだった。かなり年季が入っていたが、一周回ってレトロなオシャレ感が出ていなくもない……と好意的に解釈した。

聞けば、築年はビートルズの結成年と同じだった。1階には酒屋が入っていて、大家でもあった。どうでもいいのだが、大家のお父さんのほうはチャーリー浜に激似であったため、僕の心のなかで、その後ずっとチャーリーと呼ばれることになる。

昔の建物はサイズがおかしいのか、間取り上は8.5畳なのに、異様に広い。事務所としても使えそうだ。窓も無駄に大きいし、天井も高い。気になる家賃はなんと5万2000円。破格の安さだ。よほど僕が貧乏くさく見えたのだろう。まあ、その通りなんだけど。

僕は即決した。この家に住む! これが、今に至るまで高円寺に住むことになる全てのはじまりである。このときは高円寺がどんな街で、どんな人たちが住んでいるか、全く知らなかった。ましてや、高円寺を離れなければ売れないというジンクスがあるなんてことも。

僕はこのアパートをイエローサブマリンならぬ、レッドサブマリンと名付けた。僕の第二の人生がこのレッドサブマリンで始まるのだ。僕は今はなにものでもない。でもいつか、ひとかどの人物になれることを信じて。

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