「人間って滑稽でおもしろい」昭和の夜を彩った「裏の世界」の魅力とは?

小泉信一さん(右)(撮影:萩原美寛)

※朝日新聞記者の小泉信一さんが2024年10月5日、前立腺がんで亡くなりました。小泉さんはDANROでも「大衆文化」をテーマにした軽妙なコラム記事を何本も書いてくれた恩人です。2019年3月25日にDANROに掲載された小泉さんのインタビュー記事を再公開します。謹んでご冥福をお祈りいたします。(DANRO編集部)

 

額縁ショー、ヨコハマメリー、キャバレー太郎、フランス座……。昭和の夜を彩った、妖しくも魅惑的な「裏の世界」。そこで生きた人たちを長年取材してきたのが、朝日新聞記者の小泉信一さん(57歳)です。小泉さんは「大衆文化担当編集委員」という、ユニークな肩書きをもったベテラン記者。ひとりを楽しむメディア「DANRO」のコラムニストのひとりでもあります。

そんな小泉さんが、昭和の「裏の歴史」を振り返った本が『裏昭和史探検』(朝日新聞出版)です。平成も終わろうとしている今、なぜ「昭和」なのでしょうか。昭和の夜の文化には、どんな魅力があったのでしょうか。東京・新宿の歌舞伎町にあるスナックで、話を聞きました。

ーー『裏昭和史探検』には、今だったら炎上しそうな店がいっぱい出てきますよね。

小泉:そうかもしれないけど、そこには創意工夫があったんです。「棺桶マッサージ」なんて、今じゃ考えられないですよね。昭和56年(1981年)ごろだと思いますが、本物の棺桶に裸で入ってサービスを受ける。大事な部分にはフタがあって、開くようになっていて。めちゃくちゃ面白いですよね。ただ、今だったらクレームがくるでしょうね。世の中、ある程度の許容範囲を認めないと、成り立たないと思うんですけども。

ーー「裏昭和」の世界は、平成も終わろうとしている今と、どのような違いがあったのでしょうか。

小泉:僕らにとっての「風俗」っていうのは、芸能みたいなもので、目で見て楽しむ。表現で楽しむ。それは(作家の)寺山修司が「トルコの桃ちゃん」のエッセイで、「(トルコ風呂は)東京砂漠のなかで繰り広げられるドラマであろう」という風に書いているんですけど、そういう部分があったんです。

今は即物的というか、ドラマがないんですよ。エロ本の例が非常にわかりやすいんですが、かつてエロ本には文化があった。寺山修司が文章を書いたり、横尾忠則がデッサンを載せたりと「ニュー・アカデミズム」(文化的な潮流)みたいなものがあったんです。今のエロ本には、そこの部分がなくはないでしょうけど、たぶん弱いですよね。

(撮影:萩原美寛)

ーーこの本では「裏昭和」を表現する言葉として「情」が出てきますね。

小泉:僕らのころは、エロの情報に到達するまでに手間暇がかかったんです。すぐにはゲットできない。親に隠れて白黒テレビをつけて音を小さくして見るとか、本屋さんでもエロ本を手にとって読むわけにはいかないけれど、前をすーっと通りすぎながら見ておぼえるだとか、プロセスがあったんです。そのプロセスにはドラマがあって、そのドラマには失敗がつきものなんです。だいたいが失敗するわけですよ。

昔、(エロ本の一種に)「ビニール本」というのがあって、なんとかして修正で隠れた部分を見たいと思う。誰かから歯磨き粉を使うとそれが消えるって教わって。でも実際にやってみたら、紙が破けるだけ(笑)。そういう失敗だとか、プロセスがあることによって、いろんなことが学べたんです。それがネットで「パパッ」と調べられるとなると、「パパッ」ではやっぱり早すぎます。

(撮影:萩原美寛)

ーーくだらないことでも、失敗があって初めて次の段階に進めたわけですね。

小泉:そういうばかばかしい話を書き残しておきたかったんです。この本に出てくる人や話にも、ばかばかしいものが多くて。まったく効率的に生きていない。「ノーパン喫茶」なんて、お客さんが必死になって店員のスカートのなかをのぞき見ようとするわけですから。そこで必死になってしまう、いじらしさみたいなのがあるわけじゃないですか。それが「優しさ」というか「情」というか。人間っていうのは滑稽で面白いなあ、というのを書き残しておきたいなと思ったんです。

「ストリップをよろしく」小沢昭一からもらった大切な言葉

ーー小泉さんは新聞社の「大衆文化担当編集委員」ですが、なぜ「大衆文化」を取材することになったのでしょうか。

小泉:ほかに誰もやっていない分野だったんです。僕は「文化には垣根がない」と考えているんですが、文化部の記者はふつう、音楽なら音楽、芸能なら芸能と決められたジャンルでこなすわけです。ある種、その人たちを代弁するようなこともある。でも、たとえばスナックにはスナックの記者クラブがあるわけじゃないし、なにかが発表されることもない。だから、オールラウンドでいろいろやってみようと。

UMA(ユーマ/未確認動物)や忍者について取材しましたし、流人、島流しになった人たちについて書いたり鯨食文化を取材したり。ごった煮みたいに、ありとあらゆるカルチャーをやりました。これは昔(俳優で、大衆芸能などを研究した)、小沢昭一さんがやっていたことに似ているのかも知れませんが。

ーー小沢昭一さんについては、本でも触れられていますね。

小泉:2004年ごろ、社会部にいたんです。そこでストリップに関する連載をやろうということになった。当時は若かったので、意気込んで小沢昭一さんに取材を申し込んだんですが、断りの手紙があって非常にがっくりときたんです。でも、手紙を読み進めたら「朝日新聞でストリップを扱ってくれるのはとてもうれしいことです。ストリップをよろしく」と書いてあって。「ストリップをよろしく」。この言葉は非常に支えになりました。小沢さんの影響は大きいです。

(撮影:萩原美寛)

あとは(作家の)吉村平吉さん。戦後まもなく『肉体の門』を芝居にした人ですが、うまくいかなくて、劇団が潰れた。そこで彼は色街の世界に入っていって、ヒモになったり、ポン引き(風俗店などの客引き)をやったりした。雑誌「AERA」で吉村さんのことを知って、「面白いな、会いたいな」と思ったんです。社会部で記者クラブにいた僕はどこか「カゴの鳥」みたいで、つまらなかったんですね。

でも当時はネットがあるわけじゃないから、とりあえず浅草に飲みに行って。ビアホールのママから吉村さんの居場所を教えてもらって。その吉村さんからいろんな話を聞いたのが、今になって生きてきたわけです。「ポン引き」は「ぽんびき」じゃなくて「ぽんひき」というんだとか、昔は赤線、青線のほかに白線(パイセン)っていうのがあったんだとか。

僕がこの本を「書かなきゃいけないな」と思ったのは、そういう先達(せんだつ)が切り開いてきたものが、文学だったら小説として残っているわけです。そうしたものを読んでいたから、(記録として裏昭和史を)やらなきゃなと。

(撮影:萩原美寛)

ーーー平成のうちに出版したいという思いもあったのでしょうか。

小泉:それはありました。平成が終わるときに、僕らにとっては平成以上に郷愁を思い起こさせる時代を振り返る。それは、風俗できちっと振り返ることが大事だと。世の中ってそういうものだと思うんですけど、知らないうちに変わっていくので。

だから管理される社会も、いきつくところまでいっちゃうんじゃないかなという気がしています。いくところまでいっちゃったところで、また1から始めるのか、どうなるかわからないけれど、今の方向って強くなると思うんです。イヤですけどね。

ーーー昭和のころも規制や管理はあったと思うんですが、どう対応していたのでしょう。

小泉:それはスルーしてたんです。(本で対談した編集者の)末井昭さんが仰っていたのは、『写真時代』という雑誌を出したとき、おばちゃんからクレームの電話があって、「こんなものを出していたら子供の教育によくない」と。だったら買わなければいいんだけど、存在そのものを認めないような電話がかかってくる。末井さんからすると、それはスルーしかないと。理屈で答えても、相手は感情でくるわけですからね。今の人たちも「スルーする力」を磨くべきなんでしょう。

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土井大輔 (どい・だいすけ)

ライター。小さな出版社を経て、ゲームメーカーに勤務。海外出張の日に寝坊し、飛行機に乗り遅れる(帰国後、始末書を提出)。丸7年間働いたところで、ようやく自分が会社勤めに向いていないことに気づき、独立した。趣味は、ひとり飲み歩きとノラ猫の写真を撮ること。好きなものは年老いた女将のいる居酒屋。

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