35歳で食道がん、死への恐怖と戦う先に見えた灯火
35歳の時に食道がんと告知された立山雄一郎さん(39歳・独身)は、手術はうまくいったものの、ずっと再発や死の恐怖と闘っています。食道がんの5年生存率は早期発見できた場合75%以上ですが、進行して転移が認められた場合は予後が良くないと言われているのです。職場復帰した立山さんの気持ちを支えるのは、ある出会いでした。
食道がんを告知され、思考が吹き飛ぶ
神奈川県に住む立山さんは、就労相談員として働いていましたが、35歳の時に重度の食道がんと告知されました。告知される1年ほど前に胸に激しい痛みを感じ、胃のあたりからこみ上げてくる強い異臭を感じたため、クリニックを受診したのですが、「若いから大丈夫、臭いは胃からは上がってこない。気にしすぎですよ」と言われました。
1年後、食べたり飲んだりすると喉につかえるような感じがして、立山さんは大学病院を受診しました。レントゲンに映った腫瘍は、まるで食道をふさぐ蛇の頭のように見えたそうです。
「食道がんは、初期症状があまりなく、飲食をした時に少ししみるように感じることがありますが、気づかないうちに進行していることもよくあります。食べているものがひっかかり出したら3カ月以内に水も喉を通らなくなります」(食道がんに詳しい近畿大学医学部上部消化管部門主任教授・安田卓司さん)
ステージⅣの食道がんと告知された立山さん。「その瞬間、思考が上空に吹き飛ばされるような感覚に陥りました。幽体離脱して、自分だけが世界からポツンと取り残されてひとりになった感じでした」
あえて希望を持たないようにした
立山さんは故郷の広島県に帰って、術前に放射線治療と抗がん剤治療を1クール(3カ月間)受けましたが、その間、心中穏やかではなかったそうです。
「難しい手術だと聞いていましたし、肺への転移が認められたら切除せず、そのまま閉肺することになっていました。死ぬ決心をして、生きることをあきらめようと、何度も何度も上塗りするように自分に言い聞かせました」
立山さんは「防衛策として希望を持たないようにしていました」とも言います。
「そうでないと絶望に耐えられないと思ったのです。でも、検査のたびに、『実は悪性ではなかった』と誰かが言ってくれないかという希望がじわじわ広がっていくんです。その希望を打ち消したかったのですが、母も奇跡を願っていたので、それが重荷でした」
「強くありたい」と思わせてくれた人
術前から、苦痛の中、弱っていく姿が何度も頭をよぎり、死を受け入れる準備について考えた立山さん。真っ先に「今の自分では耐えられないだろう」と思ったそうです。
その時、ふと頭をよぎったのは、かつて知り合ったシスターのことでした。
立山さんは、24、5歳くらいの時、無職で、半ば引きこもりのようになって、鹿児島県で祖母と暮らしていました。引きこもりとはいうものの、遠藤周作の哲学に興味を持って、毎週、鹿児島カテドラル・ザビエル記念聖堂というキリスト教の教会へ出かけました。
当時、立山さんは、「神がいるのになぜ不幸がなくならないのか」など、シスターが困るような質問を投げかけることで、唯一他者との関わりを持つことができたそうです。
食道がんの告知を受けてから、立山さんはキリスト教(カトリック)を救いの存在だと思うようになりました。
「死への恐れに対抗できる力は、そこにあると願っていました」
しかし、カトリックでは自死や安楽死を認めていません。
「私は、死の苦しみに耐えられる自信がまったくありません。苦痛から解放されたいと思う人の気持ちを丸ごと認めてあげることが、本当の神の役割なのではないかと思っています」
かつてシスターは、「信仰は考えて持つものではなく、祈りで神を感じる」ことだと言いました。立山さんは、まだ神を感じることはできませんが、引きこもりだった時に誠心誠意向き合ってくれたシスターとの思い出が、立山さんを「強くありたい」と思わせてくれると言います。
手術を受けたところ幸い肺には達していなかったのですが、食道を全摘し、リンパ節も切除。後遺症の反回神経麻痺のため声帯が半分麻痺し、女性のように高い声になってしまいました。
「食道がんは悪性度が高く、切除不能なこともあり、心臓や肺といった、いわば生命維持装置の真ん中にあるため治療しにくいのです。原因はさまざまですが、喫煙によるリスクは1日1箱40年間吸い続けると4.8倍、飲酒によるリスクは4.5倍にもなります。また、逆流性食道炎を放置しておくと、食道腺がんのリスクが高まります」(安田教授)
立山さんは、現在、神奈川県に戻って仕事を続けながら、術後管理のために病院に通院しています。実は最近、腫瘍マーカー(腫瘍があることを示す数値)が高くなって、検査の結果を待っています。