空き缶を集めて30年 気づいたら世界一のコレクターに(元たま・石川浩司の「初めての体験」3)
コレクションというと、人は何を思い浮かべるであろう。フィギュア、切手、レコード、スニーカー、古銭、アクセサリー、時計、アイドルグッズ、etc…。それらは、ある意味みんな価値のあるものである。高値で取り引きされるものも多いであろう。
しかし中には、価値をもたないコレクションもある。こんなキャッチフレーズを耳にしたことはないだろうか。
「飲み終わった空き缶はゴミ箱へ」
人生を変えた空き缶
僕は今、埼玉県に住んでいる。ライブやレコーディングなどの仕事はほとんどが東京で行われるが、なぜかちょっと不便な埼玉県に住んでいる。
それは「ある物」を大量に保管するスペースが必要なため、一軒家を借りねばならないからだ。東京だと家賃がお高いので、ある物を保管するために、わざわざ隣県の埼玉に住んでエッチラと東京に通っているのだ。
「たま」がまだアマチュアで貧乏だった頃、何度か全国ツアーを行った。太鼓を布製のリュックサックに入れて、それをヨッコラショッと担いで、まるで山下清のようになって。青春18きっぷで各駅停車の列車に乗り、ヒーコラ全国を演奏して回っていたのだ。
そんなある日、関西に行った時だった。ふと自動販売機を見ると、知らない缶ジュースが売られていた。「カケフオレンジドリンク」。当時、阪神タイガースの現役の選手だった掛布雅之さんが缶のキャラクターになっていて、ボールに見立てたオレンジをポーンと打っているデザインであった。
「こんなの、東京じゃ見たことねえなあ~」
そんなことを言いながら何気なく買ったその1本の缶ジュース。飲み終わっても「空き缶はゴミ箱へ」のメッセージを無視して、旅の記念に持って帰った。そのことが、その後の人生を大きく変えることになるとは夢にも思わなかった。
「空き缶によって翻弄される人生」
その頃、友人で変なコレクションをしている奴がふたりいた。ひとりは家のまわりによくあるブロック塀。ブロック塀には穴があいているが、その形のデザインはさまざまだ。彼は、日本中の街を回って、新しい形の穴を見つける度に写真に収めてコレクションしていた。彼はその写真を原寸大に引き伸ばし、画廊の壁一面を使って写真展まで開いた猛者だ。
もうひとりは「九九の成立している車のナンバープレート」を見つけては写真に撮って集めている奴。例えば「99-81」とか「88-64」とかだ。このふたりの友人がいたから、「面白いな~、僕も何かコレクションしてみたいな~」と思ったのだ。
しかし、僕は彼らのようにちゃんとしたカメラを持っていなかった。なので「カケフオレンジドリンク」を持って帰った時に、「そうだ、僕は写真じゃなくて、こういう缶ジュースの空き缶をそのまま集めてみたらどうだろう」と思ったのである。バンドで地方に行くことも多いので、珍しい缶を集めてみたら友達が面白がってくれると思ったのだ。
ところが、この「珍しい」という定義が、実にあいまいなものだということが段々とわかってきた。何故なら、どこにでも見かけるようなおなじみの缶ドリンクでも、数年経つと微妙にロゴデザインが変わったりするということがわかったからだ。
定番のコーラなどの缶でも、10年も経てば、「そういえば昔はこういうロゴだったなぁ」となる。つまりはただの空き缶が、珍品になったりすることがあるのだ。
結局、「見たことのないデザインの缶ドリンクは全部買う」というドエライことを、僕はあまり考えもせずに始めてしまった。まさに、ゴミによって翻弄される人生をいつの間にか選んでしまったのだ。
空き缶収集のルール
空き缶を集めるにあたり、僕は自分なりのルールを決めた。「自分で飲んだものだけをコレクションとする」。
なぜなら、単にたくさん集めようと思えば、人に頼んで珍しい空き缶を送ってもらうことも可能だ。メーカーにお金を送って新製品を全部通販で買うこともできる。でも、それだと結局、お金がある人が一番集められることになる。僕は、それは面白くないと思った。
内容物が自分の体内を通り、僕の体の一部となった、その容器だけを集める。これすなわち、「僕という肉体を作りあげたモノのコレクション」でもあるのだ。なので、たとえ珍しい空き缶が道に落ちていたとしても「ムムムッ」とは思うが、決して拾わない。
ただ、珍しい空き缶が落ちているということは、その近くに売っている場所があるということでもある。名探偵よろしくカツコツと近くの自販機やスーパーなどを探索するのだ。
33年間続けてきた、自分の体を張った収集。これはいくらお金をかけてもできることではない。おバカで、なおかつシツコイ性格の僕の特性をいかしたコレクションといってもよかろう。まあ、そんな人体実験のおかげで、集める前よりだいぶ大きく育ってしまったのだけれど。
ちなみに僕が一番うれしい瞬間は、缶をコンプリートすることではなく、まだ知らない缶を発見した時だ。地方の路地にある自販機や古ぼけたスーパーマーケットなどで、「なんじゃこりゃあぁぁぁっ!」と、知らない缶を見つけることが何よりも快感なのである。
つまりどんな町に行っても、自分なりの旅をより楽しむことができる。缶集めは、そのための盛り上がり要素とも言える。特にコレクションを始めた当初は地方の中小メーカーがまだまだ元気で、そこの土地にしかない缶ドリンクを見つけて、「ウホーッ!」とひとりで奇声をあげて喜んでいたものだ。
ツアー先で夜中に街を徘徊し、眼光鋭く自販機だけを凝視し続ける男。当然、不審者に間違えられ、警察官に呼び止められ職務質問を受けることもある。
「バッグの中を見せていただいてもよろしいですか?」
バッグの中身は、僕がパーカッションで使用している風呂の桶、100円ショップの鍋、アルミのゴミ箱、鉄の鎖、そして大量の空き缶・・・。あわやそのまま連行されそうなこともあった。
「世界一の空き缶コレクター」
そんなことを30年以上も続けていたら、そんなバカは他にいないのか、おそらく世界一の空き缶コレクターになってしまった。その数、約3万缶。日本の清涼飲料研究家の第一人者の清水りょうこさんに、「石川さんは日本一缶ドリンクの種類を持っているコレクターであることは間違いない」とお墨付きをいただいた。
欧米やアジアなどを回って、そこでも缶集めをしたところ、日本ほど次々と新製品が発売される国はないということも分かった。つまり、日本一は世界一だということにほぼ間違いがない。
僕の空き缶コレクションはミュージシャンという仕事柄もあって、テレビや雑誌など様々なメディアで取材を受けた。NHKに取り上げられた時には、「世界一ならギネスブックに申請しよう」ということになった。
しかしこれは残念ながら挫折した。なぜなら本当に世界一か調べるためには、早くても半年以上の調査期間が必要だというのだ。これでは放送に間に合わないので、結局申請は見送りになった。だが、未だに僕以上のコレクションをしている人の情報を聞いたことはない。
僕の夢は、いつかミュージシャンとして体力の限界がきたら、空き缶博物館を作り、その館長ならぬ缶長として余生を過ごすというものだ。そして次のような結末を妄想している。
ある日、開館時間になっても扉が閉まっているのを不審に思った友人が何とか開けて中に入ってみると、そこに見たものは、崩れた大量の空き缶に埋もれて息絶えている僕の姿だった。「こいつ、なんだか幸せそうな微笑みをたたえて死んでやがる・・・」。そこには、人生を全うして満足そうに笑っている僕の姿があった。
このくらい空き缶を愛してやまない僕ですが、来春に『懐かしの空き缶大図鑑』(東海教育研究所)というオールカラーのエッセイ本を発売する予定です。そちらもよろしくお願い致しま~す!