愛知の山村に単身移住した男性、地域の記憶を発掘し伝える決意をしたワケ
石井峻人さん(35)は26歳の時に「緑のふるさと協力隊」として、千葉県から愛知県の北東に広がる奥三河地方の山村に移住しました。隊員の任期を終えた今、引き続き愛知県に残り、町の仕事と並行して地域の歴史を拾い集め、イベントなどで多くの人たちに発信しています。石井さんが「奥三河の学芸員」(自称)を目指した理由とは何だったのでしょうか。
石井さんは2011年、26歳の時に学芸員の資格を取得しました。そして「緑のふるさと協力隊」として、奥三河の最も北に位置する愛知県豊根村に赴任します。緑のふるさと協力隊とは、現在の地域おこし協力隊のモデルとなった国の事業で、活動の期間は1年間。全国の山間部に派遣された隊員らが農作業や特産品づくり、地域のイベントなどを手伝って、地域の活性化を促す事業です。
当時愛知県では、隊員は石井さんひとりだったと言います。石井さんは活動を終えると、翌年以降も村に住み続けようと思い、あらためて地域おこし協力隊員となって村に残りました。
「学芸員の資格は取りましたが、どうしたら(実務ができる)学芸員になれるかはまったく分かりませんでした。緑のふるさと協力隊員になったのも、当時は学芸員のイメージに何となく田舎の雰囲気を感じていたからなんです。それなら田舎に住めばいいというくらいの軽い気持ちだったんです」
13年には豊根村と同じ郡内にある設楽町に、同町初の地域おこし協力隊員として赴任します。赴任後は町の歴史的資料などを展示する「奥三河郷土館」に勤務し、16年に任期を終えます。その後石井さんは、町の正式な学芸員に任命されました。
町の学芸員として、10万点におよぶ膨大な資料の整理や移転のための展示計画などを担当。休日には、地元の廃線跡を巡るツアーや子供向けのワークショップなど、さまざまイベントを開催します。これらのイベントは町の事業ではなく、石井さんが協力者を募って開催したものでした。
「人集めや観光アピールが目的ではなかったんです。こんなことをしたら楽しそうだけど、自分ひとりでは実現できないようなことをイベントにして、一緒に楽しんでくれそうな人を呼んだんですよね。数年前には、山間部のバス停が廃止されるということがあったんですが、僕はそのバス停に最後に止まるバスに乗ろうというイベントを開きました。すると、地元の人が20人ほど集まってくれたんです。自分がやってみたいと思うことは、おおむね他の人にも共感されましたが、たまに参加者がゼロの時もありますね」
ある老人のひと言がきっかけ
石井さんがこの地に根を下ろすことを決めたのは、とある老人のひと言がきっかけでした。前任地の豊根村にいたころ、石井さんは地域の老人の話を拾い集めたことがあり、その人数は100人にも及んだと言います。
「聴き取りの際、とあるおじいさんと出会ったんです。おじいさんは僕に『こういう(聴き取りの)活動は、誰かが続けていかないといけない』とおっしゃったんです。それならば僕がそういった(歴史を記録する)ことをする人になろうと思ったんです」
しかし、そのおじいさんはもう亡くなってしまった。おじいさんの歴史は石井さんのレコーダーにしか残っていません。そういった重みも同時に感じたと言います。
「僕が今住んでいる設楽町はダム建設の真っ最中。あちこちで工事が行われ、景色も日々変わっていきますが、それは地域が動いている証拠なので、何も言うことはありません。ですが、ずっとそこにあったもの、無くなってしまうものは記録され、多くの人に伝えられていくべきだとも思っているんです。そしてこういった考え方を多くの人たちに伝えるのも僕の仕事だと思っています」
石井さんは19年春に町役場を退職しました。現在は、町の施設を管理する法人で職員として勤務しています。プライベートではこれまで通り、地域の歴史の調査、記録を続けています。イベントも引き続き開催しており、自分自身のことを説明する際には「奥三河の学芸員」と名乗っています。
これまでに石井さんが手掛けたイベントの中でも、かつてこの地を走っていた“田口線”と呼ばれるローカル鉄道の廃線跡を歩くツアーは、地元のみならず、全国各地からも参加者が訪れるなど、広く知られるイベントに成長しました。回数を重ねるごとに規模が大きくなり、現在では1人で運営できるレベルを超えていて、広報などは町の協力を仰いでいるそうです。
「奥三河郷土館には、かつて田口線を走っていた車両が展示されていて、以前から見学に訪れる人が多かったんですよね。だからイベントは絶対に人が呼べるという自信がありました。豊根村にいた頃には1500体の石仏をひとりでスケッチし、その中で地域の人の話を拾ったり、昔お寺だった場所を訪れたりしていました。田口線でも同じように、ひとりでコツコツと線路跡を調べました。こういった活動が何かの役に立つのかと聞かれると、以前は何も答えられませんでした。でも今は、こうして調べたことを伝えることで、人の心を大きく動かすということを知っています」
コミュニティーを結ぶ祭りに魅せられ
石井さんがこの地域に根を下ろすことを決めたもう一つの理由が、この地方に古くから伝わる祭りの存在です。この祭りは「花祭り」と呼ばれ、子供から大人までが火を囲み、夜通し踊り続けるという祭りです。年末から年始にかけ、石井さんが以前住んでいた豊根村をはじめ、奥三河の町の各地区ごとに開催される冬の風物詩です。
「花祭りでは、子供たちが地元のおじさんたちに舞を習うんです。おばさんたちは舞の稽古やお祭りの際にご飯の支度をしてくれますし、おじいさんたちは会場の飾りを作ります。地域全体がシステマチックに動いていて、子供の成長を地域全体で見るような雰囲気なんですよね。僕には子供が3人いますが、こういった地域で子供を育てたいと思いました。僕が豊根村に来た頃は完全なよそ者扱いで、祭りに参加することはできませんでした」
それでも9年間、一度も休まずに祭りに通い続けた。すると一昨年からは、石井さんの息子も舞える(踊れる)ようになり、去年からは石井さん本人も舞っているという。
「今は協力隊員の後輩らも祭りに受け入れられるようになりましたが、彼らも誠意をもって地域に関わっているということが地域の人たちに分かってもらえたんだと思います。僕自身も道を切り開いてきたという自負はありますね」
失われていく歴史と景色を、後世に伝えたい
石井さんが奥三河の地に来て、もうすぐ10年が経とうとしています。隊員の先輩もおらず、見ず知らずの土地で試行錯誤を繰り返し、ようやく自分の居場所を作り出すことができました。
石井さんが現在暮らしている設楽町には埋蔵文化財も多く、9000年前の村の跡と言われる遺構も発見されています。この地域に古くから文化があり、1万年近く大きな地殻変動や土砂崩れに見舞われていないということの証明でもあります。しかし、これらはダムの完成によっていずれ水に沈んでしまいます。見ることが出来なくなってしまう前に、石井さんは遺跡や遺産、そしてここに暮らした人々のことを、可能な限り調べたいと語ってくれました。